【随筆】 嗜虐心


嗜虐心(しぎゃくしん) 
→他者に対して苦痛を与えることに喜びを感じる心理状態を指す言葉である。
この心理状態は、他者の苦痛を見ることで自己の優越感を満たすという側面がある。
嗜虐心は、一般的には社会的に受け入れられる感情ではなく、倫理的な問題を引き起こす可能性がある
(―webio国語辞典より)

 二月から、夜間のコールセンターでバイトをしている。
 最近、一人の先輩が、「あなたの書いた小説を読みたい。」と言ってくれた。
 突然の告白に驚き、言いようもなく緊張したが、それは、「うれしい」という正直な気持ちを覆い隠すには至らなかった。
 「ぜひ。読んでいただきたいです。読んでください。」
 先輩は定年間近の優しい男性だった。明治大学の文学部を卒業した、小説を愛する人だった。
 「………ところで、小松君は、どんなジャンルを志しているのかな?」
 「……………なんと。純文学だったのか。それは素晴らしいことだ。」
 「…好きな作家さんは、誰なのかな?」
 「……僕も好きだ。いつだって彼女の文章は、芸術ではなく、人間に向いている。」
 「…………文学談義なんて、いったい何年ぶりのことだろう。」
 電話を待つ間、静寂の粒をなぞるように見つめ、そっと言葉を置く。そんな丁寧さをもった人だった。
 親しくなるきっかけは、夏目漱石の存在だった。バイトを始めたころ、僕はたまたま「明暗」を半分ほど読み進めていて、先輩は卒業論文も「夢十夜」で執筆したほどの漱石好きだったのだ。
 先輩は、僕に漱石のことを沢山教えてくれた。「三四郎」「それから」「門」は三部作になっていること、「それから」で描かれる略奪愛がもつ異様な重苦しさは、不倫が犯罪行為だった当時の時代背景が影響していること、早稲田駅から徒歩圏内に漱石の記念館があり、そこには空襲で燃やし尽くされた漱石の書斎が再現されていること。
 「十年前の引っ越しで売った漱石全集、また買ってしまったよ。Kindleだと、三百円くらいで買えてしまうんだね。」
 「ええ、そんなに安いんですか。」
 「漱石には、もう著作権がないからね。小松君も生活のことを考えるならおすすめだよ。いや、でも最初は紙で読みたいという気持ちも理解できる。やはり、小松君の好きなようにするべきだ。つまらないことを言って、申し訳ない。」
 「とんでもないです。また、教えてください。」
 偶然が増幅させた引力を行使し、僕らの距離は近づいていった。漱石を語る先輩の生き生きとした様が、虚飾なく好きだった。

 唯一の中編と短編二つ。翌日、すぐにプリントアウトして、三つの小説を渡した。
 「なんと。原稿で読ませてもらえるのか。」
 先輩は照れたように、細い目をさらに細め、喜んでくれた。
 「お忙しいと思うので、一つでも読んでいただければ…。ほんとすみません。」
 謙虚めいた言葉を並べながらも、僕も興奮を隠せなかった。先輩はわざわざ、十三階のロッカールームまで戻り、「大切に、鞄にしまったよ。」と微笑んだ。

 運よく、翌日もシフトが被っていた。
 その夜、先輩は遅番で、先に出勤していた僕は落ち着かない気持ちで居た。
 「いや、社員さんの忙しさを僕は何も知らないじゃないか。まさか、こんなに早く読んでもらえるはずがない。」
 そんな風に、際限なく肥大しかける期待を、押さえつけていた。

 「おはようございます。」
 やがて現れた先輩は、いつもの通り、僕の隣に座った。
 しかし、明らかに今までとは違う「何か」があると感じた。舞い上がり気味の僕でさえ、感じずにはいられないほど、分かりやすい何かが。
 あとになって分かった。
 その日は、目が合わなかったのだ。
 「小説、読みました。」
 業務が始まって数分。静寂を貫くように、先輩は短く言った。
 「短編です。一番最近に書いたと、教えてくれたものを。」
 放つ言葉の様が、いつもと違っていた。彼は決して、それを「放つ」ことはしない人だった。心の内で遠慮深く揉み込み、満月のように磨いてから、対象に添える人だった。
 「僕たちは、妥協や言い訳ばかりをしながら、この仕事をしてきたわけじゃない。」
 先輩は、少し裏返った声を恥じるように、数舜俯き、また前方に視線を投げた。

 十八時に出勤し、日付が変わるころに四時間の仮眠に入り、翌朝の六時に上がる。三六五日営業しているこの部署は、頭の先まで妥協と言い訳に浸かり切った、定年間近の社員ばかりで形成されている。

 若者の窮地にもどこ吹く風、もはや死を待つばかりの老人たちは、日中勤務の女性社員にまつわる下卑た噂話で盛り上がっている。

 「お疲れさま。ゆっくり休んで。」
上司が遠慮がちに肩を叩いてきた。脂ぎった右手のぬるい感触が気色悪かった。それでも平静を装い、頭を下げ、会社を後にした。

 その短編には、こんな言葉が、恥ずかしげもなく、綴られていた。
 僕が綴り、興奮のままに先輩へ放った言葉だ。

 僕はきっと、いつもどこかで、誰かを傷つけてやりたいと願っている。
 心の奥底に、醜い獣を飼っている。

 電車に隣に誰かが座ると、僕は席を立つ。
 「肩幅の広いヤツが隣だと狭い思いをさせてしまうだろう。」と思うからだ。
 でも本当は、その人を完膚なきまでに傷つけたがっている。
 「私が不潔だったのかな。」
 「臭かったのかな。」
 「俺が悪いのかな。」
 そんな思いを抱かせてやりたいと、本気で思っている。
 迷わず席を立つ自分を、どこか儚く、遠く見つめてほしいと願っている。

 友人の前で、別の友人の話を、わざとらしくしてみせたりする。
 「あいつの言葉は生きててさ。生き様がかっこよくてさ。あいつに決められたからさ。」
 「あの人の優しさにしか、打ち明けられないことがあってさ。とても大切な人でさ。」
 「あいつは信じられないくらい、心のキャパが広くてさ。俺なんかのことも、受け入れて、笑ってくれてさ。」
 「会ったらお互いイライラばっかしてんのに、絶対にお互い断らないんだ、俺ら。」
 「こないだ久々にあいつと会ったんだけどさ、驚いたよ。俺と話してんのかと思った。普段は話せないことを、たくさん話せたんだ。とても楽しかったんだ。」
 「あいつが、あの人は、あいつは…」
 渦中の僕は、得意で、夢中で、気づかない。
 気づこうとしていない。

 バイトを無断欠勤した日。
 クビだろうなと諦めていると、上司から連絡が来た。
 「小松君、大丈夫ですか?少し無理をさせちゃったね。とりあえずゆっくり休んで。」
 「可能であれば、次の出勤日は連絡くださいね。」
 頭の先まで妥協と言い訳に浸かり切った、ずっと腹の底でバカにしていたその人に、何も返すことができなかった。次の出勤日、何食わぬ顔で机に座った。
 友が、家族が、先輩がこれを読むと思うと、こわい。
 失う覚悟もないくせに、言い訳を繰り返しながら、これも言葉にする。
 規範に収まらぬ正しさを、物差しから外れた絆を、「本当」などと定めて。
 抱えておくことができないだけのくせに
 その深淵に眠る価値のことなど、何も分かっていないくせに。

 どんなに大仰な喪失を経ようと、心の奥底にある傲慢は、決して消えない。
 おままごと。物書きごっこ。人間ごっこ。
 自慰的だと嘲笑ってきた、小さな演劇などよりも、遥かに。
 恋人が出来たことがないのも、どんどんと人が離れてゆくのも、納得だ。

 僕は、嗜虐心を行使する。
 「それは、誰しもが持っている気持ちだよ。」
 「君の愛する友人たちだって、きっと、君に同じことをしてきたんだよ。」
 「完璧な人間なんて、いない。」
 心の内から、声が聞こえてくる。
 しかしそれは、決して、自分に向けて発してはいけない言葉だ。
 誠実に、本気で苦しんでいる。
 そんな誰かの美しさに、そっと添えるための言葉だ。

 僕のやり方は、喫煙所に撒き散らされた吐瀉物より薄暗く、質が悪い。
 大きな駅の雑多に紛れ、こっそり靴を踏むようなやり方で、それを為す。

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