[小説]死霊つかいと死霊と死体

 町外れの森の古い家屋、家主は年若い死霊つかいの男だった。死霊つかいは、同じ家に住む若い女に語り掛ける。

「今日も綺麗だね、君は。こっちを向いて、そこに座っておくれ。」彼女は虚な瞳で死霊つかいを見つめながら、言われた通り机をはさんだ向かいに座る。

「今日はどうしようか、天気がいいから外に出てみないかい?」彼女は何も答えない。それを気にせず死霊つかいは続ける。

「最近ずっと体の調子が良くないみたいだね。君が笑うところを随分見てない気がするよ」彼女の頬に指をあて、荒れた血色の無い肌に滑らせて髪をすくう。髪はずいぶん傷んで、艶も無くなっていた。

「どこか痛いのかい?僕に話してくれよ」

やはり何も答えない。俯いたままの彼女は微かに震えているようだった。

「本当に心配してるんだよ?どうして何も言わないんだ。」少し語気を強める死霊つかい。震える彼女の肩を掴んで揺すっている。彼女は揺すられながら震えを大きくしていく。結ばれたままだった唇も、震えながら半開きになる。

 「っ…」彼女の口から、微かに声が漏れた。

「ああ、 やっと話してくれた。どうしてずっと…」「いい加減にしやがれ!」突然、彼女が怒鳴りだした。急な大声に死霊つかいは固まっている。

「お前の恋人はもう死んだんだ、いい加減に認めろ!」どん、と机を叩きながら捲し立てる。「死霊術を使って、俺を呼び出して死んだ恋人の体に憑依させたんだろう。とんだとばっちりだよ、俺はお前たちと縁もゆかりもないただの死霊だってのに。お前の術で操られていたせいで、ついさっきまで声も出せやしなかった。」彼女、に憑依させられている死霊は大きなため息をつく。姿こそ若い女そのものだが、その所作や口調は荒々しく、中年を迎える前の男のように見える。どういうわけかこの死霊は、死霊つかいの力を振り切って自由に動けるようになったようだ。

「ごっこ遊びは終わりだ。俺をこの死体から出すんだ。彼女の体を開放してやれ。」死霊が喋りだしてからずっと黙っていた死霊つかいをまっすぐに見つめて述べる。

「なんとか言ったらどうなんだ、え?」もう一度机を叩いて問いかける死霊。

 「…やっと、喋ってくれたね。」

 「は?」「全く、君には困らされるなあ。そんなに僕にかまってほしかったのかい?かわいいことをしてくれる。」呆けたままの死霊を無視して、死霊つかいはさっきと全く変わらない調子で喋りだした。

「いや、だから俺は…」「そんないたずらをしても無駄だよ。僕の君への思いは揺るがない。」死霊つかいは死霊の肩に触れ、抱き寄せようとする。

「やめろ、気色悪い!」死霊はその手を振り払い、強めに突き飛ばしそうとした。元の体と勝手が違うので、うまく力が入らない。

「ふふ、強情だなぁ。」死霊つかいは楽しそうに笑っている。その目に映るのは彼の最愛の恋人でしかなかった。これ以上近寄られまいと喚く死霊の罵倒など耳にも入らないでいる。

「まあいいさ。明日に君も僕に甘えたくなっていることだろう。今日はもう遅いんだから寝るといいよ。」くすくすと笑いながら、部屋に帰っていく。「あ、おい待て!」死霊の呼びかけにも当然、聞く耳を持たなかった。

 「なんて野郎だ…話も通じやしねえ」死霊は大きくため息をついた。「あの死霊つかいの男は、はっきり言って完全に狂ってやがる。恋人の死を認めないどころか、俺を恋人に仕立て上げるだなんて」

あの男にこれ以上の会話は無駄だろう。今日のところは部屋に戻るしかない。出ていくことも考えたが、この暗さで森のなか、道もなにもわからないのだ。他人の体で遭難して衰弱死などしたくない。部屋の場所は、死霊つかいに無理やり動かされていたころに覚えたのでわかる。部屋に入るとランプを点け、また盛大にため息をついた。

「なんて奴に呼び出されちまったんだ…あいつをどうにかしないと。奴の恋人のふりなんてごめんだ。体の持ち主にも申し訳が立たない。」

しかし、ろくに話も聞かない相手を説得するなんて到底無理に思える。死霊は頭を抱えたが、そう都合よく妙案が思いつくわけもない。とりあえず、今夜はもう寝て明日考えることにした。

 翌日、やけに爽やかな日差しが、カーテンの隙間から入り込んだ。死霊は眩しさで目をさます。自分の意思で体を動かせるようになってから初めての朝だ。起き上がると、鏡の前に座る。生気のない顔が映った。

 「…悪いな、こんなになるまでなにもできなくて。」体の元持ち主である、死霊つかいの恋人に呟いた。無論彼女は既に死んでいるので死霊の声も届きようがないのだが。「少しはマシにしなきゃな。」髪を軽くまとめ、服も古くなっていたので着替える。こざっぱりしたところで、棚の奥に何かを見つけた。「これは…日記」

 素朴な本の表紙に柔らかい字で「日記」とだけ書かれている。「まめな性格だったみたいだな」死霊が彼女に憑依させられるようになってから、昨日までで一ヶ月というところだった。それだけの期間があっても、彼女のことはほとんど知らない。毎日起きてから寝るまで、あの死霊つかいに人形のように使われていただけだ。「なにか、手がかりになるかもしれないな。他人である俺より、彼女の言葉なら聞き入れやすいだろう。」

 読み進めて行く。この家で暮らし始めたころに描き始めたようだ。商家の一人娘である彼女は、親が決めた婚約者もいた身であの男と駆け落ちし、ここで暮らすようになったらしい。最初の方は、将来の不安や親元を離れた寂しさとともに恋人と過ごす幸せな日々が綴られていた。三ヶ月を過ぎたころ、この家を訪ねてきたのは前の住人の友人を名乗る人物だった。『信心深い人みたいで、この地は神聖な地だから、庭に七賢神を祀る祠を建てるべきとか言ってたかな。結構しつこくて、二時間は説法のようなものを聞かされた。そのあと帰ってきた彼が怒ってくれて、その人は帰っていった。少し融通のきかないところのある人だけど、私との時間を一番に考えてくれる。この人についてきたことを後悔はしていない。』

「融通がきかないのは少しどころじゃないだろ、あいつ…」

 異変があったのは、駆け落ちしておよそ五ヶ月目のあたりだ。体の不調を訴える文章が増えてきて、字も弱々しくなってきた。彼女はこの頃から、病床に伏すようになったようだった。男は医者を呼んだが、快方に向かうことはなかった。恋人は懸命に看病してくれるが、迷惑をかけてしまっていることに苦しんでいた。そして、医者からのこり一ヶ月の命と言われたとき、男は豹変した。病気の苦痛に悩まされ、死を受け入れた彼女を許さなかったのだ。           

 『いつもの彼とは別人のようだった。「君が死んでしまったら、もう二人で過ごすことができないじゃないか。それでもいいっていうのか!僕と一緒に生きるのを諦めるのか!」ものすごい形相で、私の肩を強く掴んで言った。痛くて悲鳴を上げてしまった。今まで病気で体中が痛む私を気遣って、少しも動かさないようにしてたのに。彼はおかしくなってしまった。その日から部屋にこもりきりで、私の世話をするときも虚ろな目で何かをぶつぶつ言っていた。死霊術がどうのこうの、魂を呼び出してなんとかって…私はもうすぐ死ぬのに、もう彼とまともに話すこともできないのかな。』


「おはよう、昨日はよく眠れたかい?」

死霊は死霊つかいの言葉を無視し、死霊つかいの向かいにどかりと座った。「今日こそは話を聞いてもらう。」彼女の日記を見せながら机の上に置くと、死霊つかいの目には微かに驚きが浮かんだ。「これは、何かな?」

「今日こそは俺と話してもらう。お前は彼女の死と向き合わず、死霊術を使ってこれまで通り生活するふりを続けてきた。だからこの日記の存在に気づきもしなかったんだろうな。」

「それがどうしたのかな?僕にわざわざ日記を見せにきてくれたのかい。そんな顔しなくたって、僕は君から逃げたりはしないさ。」 飄々と返してくる死霊つかいに呆れながら、死霊は続ける。

「こいつを読めば、お前のやってることが間違いだとすぐにわかる。彼女は確かにお前との生活を望んでここで暮らすことを決めた。でも死ぬ前の日々は苦痛にあふれていた。体中が痛くて苦しかったはずだし、治る見込みがなく、日々いつ来るかわからない命日に怯えて辛かったはずだ。その一番支えが必要なときに、お前は彼女と向き合うことをしなかった。彼女は若くして死んでしまうとしても、お前さえずっと側にいればせめて最期のときは幸せに過ごせたはずだ。」

 死霊つかいは呆けていて何も答えなかった。もうひと押しだ、と死霊はさらに畳み掛ける。

「死を受け入れた彼女に対するお前の扱いはひどいもんだった。目の前で苦しむ本物の彼女に見向きもせず、死霊術で偽物の彼女をつくることだけを考えていた。それでも、彼女は最期までお前のことを心配していたよ。『きっと彼は一人では生きていけない。このまま私が死んでしまったら寂しさで壊れてしまう。もう私にはどうすることもできない。彼は私が何をいっても聞いていないみたいだった。誰かが、私の代わりに彼を支えてくれたらいいのに。私のことを忘れても構わない。どうかもとの優しい彼に戻って、幸せに過ごしてほしい。』彼女は死体になってまで生きようだなんて望んでいなかった。生身の人間として、お前と向き合おうとしたんだ。」死霊は息をつくと、死霊つかいの方をじっと見据えた。すると、死霊つかいはおもむろに立ち上がる。

 「そんなことはもうわかってるんだ!」予想外の大声に死霊はわずかに怯んでしまった。「彼女はもう死んでる。もう二人で暮らすことはできない。死霊術でも特定の魂を呼び出せない。もう二度と一緒に話すことも笑うこともできない。そんなのはわかってるんだよ!」

「だからって死者を冒涜するのか!どうしたって彼女が死んだ事実からは逃げられないんだぞ!」死霊も負けじと立ち上がり、声をあげる。

「わかっていても耐えられないんだ。笑わない、喋りもしない彼女を見て、何度もやめようとした!でも、もう見たくないんだ。死体になった彼女を見るのはもう嫌だったんだ!」今にも泣き出しそうな顔の死霊は、さらに悲痛な声を絞り出す。これ以上死霊の言葉を聞くのも嫌なようで、死霊に背を向けて部屋を出ていこうとする。

 「待て!」死霊は肩をつかんで強引に振り返らせる。死霊つかいが涙をぼたぼたとこぼしながら振り向くと、その頬に拳がめりこんだ。

 ばしっ、と重みのある音が響いた。顔を押さえながら、何が起こったのか飲み込めないでいる死霊つかい、死霊はずかずかと近づいてくる。

「は…?」死霊の目は焦点が定まっていない。がたがたと震える手で頭を抱え、そのまま耳を塞ぐようにうずくまろうとしていた。「よく聞け!」

死霊はその震える手を掴み、耳から離させる。

「お前は取り返しのつかないことをした。彼女は苦しみながら死んだ。もう彼女は戻って来ない。」死霊つかいが目を背けていた事実を、はっきりと述べていく。耳をおさえようとする手の力が強くなる。

「それでもまだ、お前にできることがある。弔いだ。たとえもう聞こえていなくても、彼女へのこれまでの行いを謝罪する。そして、彼女の望む方法でその体を埋葬してやるんだよ。」

「そんなことで、償えるわけないじゃないか…」死霊つかいは子供のようにしゃがみ込むと、弱々しく答えた。頬から耳にかけてじんじんと熱くなってくる。口の中に広がっているのが血の味だとわかった。

「当然だ。お前が償いに相応しいことをして、罪を清算した気になって楽になることが目的じゃない。ただ彼女の死体も、俺の魂も、お前の手によって歪んだ形で今ここにいる。死体は墓場に、死霊は冥界に、本来あるべき場所に戻すんだ。」

もう死霊つかいは何も答えられなかった。死霊は手を離すと、部屋のドアまで歩いていく。「俺は彼女の部屋に戻ってる。台所に朝飯が作ってあるから、腹が減ったなら食べるといい。」そう言い残すと、ドアを開けて部屋を出ていった。机の上に彼女の日記を残したまま。

 一人取り残された死霊つかいは、何も言わず、ただ俯いたままだった。

 部屋に戻った死霊は、ベッドに腰掛けて一息ついた。「あとは、あいつ次第だ。俺が言えることはすべて言いきった。」

 右手の甲がひりひりする。白熱しすぎて手が出てしまった。この体の力の弱さで加減はされただろうが、戦いなれた仲間たちからも恐れられた死霊の拳は健在だったようだ。その仲間たちも今はどうなっているかわからない。自分が死んでからどのくらい経ったのか、さほど生活様式も変わっていないことからそんなに長くもないのだろうが。動けない間はずっと昔のことを思い出していた。戦死した仲間への弔いは、どれだけ不真面目な奴でも参加した。誰もが思い思いの遺書を書いていて、残されたものはその望みをなるべく叶えるのだ。死霊は自分が遺書に、「静かなところで眠りたい」と書いたことを思い出した。

 死霊つかいが少しでも頭を冷やしてくれれば、彼女と向き合わなければならなかったと思って日記を読むはずだ。自分が聞こうともしなかった彼女の気持ちを知ろうとするはずだ。死霊が喋りだしても彼女のいたずらとして扱おうとした様子を考えるとかなり心配ではあるが。

「喋ったり怒鳴ったり殴ったり、久々に疲れたな。」この体に憑いて初めて感じる疲労感だった。ベッドに体を横たえ、目を閉じる。自分のしていることは、本当に彼女の望み通りなのだろうか。生きているうちに会ったこともない相手のことを、日記を読んだくらいで分かったようなことを言ってしまった。彼女のことを考えるならば、彼女とよく言葉を交わし、その考えに触れていた者に任せるべきだろうが、その死霊つかいがあの様子では…。そんなことを考えていた。

 死霊が目を覚ましたのは、日が昇りきった正午ごろだった。ゆっくりと体を起こして、壁にかかった時計を見た。「もうこんな時間か。そろそろ昼飯だな…。」台所へ向かう。死霊つかいの分の朝食が、食器だけになって下げてあったのを見つけて、少し安心した。とりあえず必要な分だけ皿を洗うと、昼食の準備をすることにした。簡単な食事を手早く作っていく。妻が料理を教えてくれたときのことを思い出して、少し寂しくなった。明るく朗らかな妻は、どれだけ下手くそに野菜を切っても笑いながらこつを教えてくれる。それでも今は随分と上達して、不格好な炒めものを前に謝ったことも思い出にすぎない。切なさに浸りながらも体はてきぱきと動き、見る間に食欲をそそる盛り付けが出来上がっていく。

 死霊つかいは、朝と同じように座っていたが、俯いていて表情が読めなかった。昼食に呼びにきたはいいが、朝のことを考えるとどう思われるかわからない。

「もう昼だろ。昼飯も作ったが、食べるか。」内心恐る恐る聞いてみる。

 死霊つかいが少し顔を上げる。「うん。食べる。」

妙にしおらいい返事が返ってきて、拍子抜けしてしまった。よくよく考えてみればまともに会話をしたこともないのだ。なんとなく気まずさを感じてしまう。

 「あの…」十分ほど無言で食べていた死霊つかいはおもむろに口を開いた。結構空腹だったようで、皿の中身は半分以上なくなっていた。

「どうした?」

「あれから、彼女の日記を読んだんだ。僕は全然知らなかった。知ろうとしなかったんだ。病気になった彼女が何を思ったかなんて。」

死霊は無言で話を聞く。

「日記の最期、彼女が死ぬ一週間前日付に、僕に向けての言葉があった。病気のせいで支えてあげられないこと、先に死んでしまうことを申し訳ないって。一番苦しかったのは彼女なのに。」灰色の瞳が潤んでいる。グラスを手に、揺れる水面に映った自分の顔でも見ているのか。

「俺は彼女に会ったこともない。日記のことしか知らない、それでも優しい人だったことは俺にもわかる。」死霊も水を飲みながら答えた。

「最後のほうに書いてあったんだ。この家の庭が好きだからそこで眠りたい、たくさんの花を植えて欲しいって。」

「それじゃあ、」「うん、君の言う通りかもしれない。死体になった彼女にまで甘えるなんて、冥界で彼女は呆れるどころか失望していたかもしれないね。それでも、最後にちゃんと望んだ場所で眠ってもらいたい。手伝ってくれるかな。」

「もちろんだ。俺は巻き込まれただけだが、ここまできたらとことん協力するさ。」グラスを置き、真剣な表情で向かい側を見返す。

「…ありがとう。」死霊つかいの目からは、もう狂気は感じられなかった。穏やかで、少し希望の感じられる表情だ。

 相手が話の通じる人間になったことで、死霊もようやく安心することができた。

「それにしても、なんで死霊術なんか使ったんだ?彼女をほったらかしにしてまで。」死霊つかいにとっては、思い出したくないかもしれないが。死霊術はかなり特殊な方法だ。学校ではせいぜい五大魔術くらいしか扱わないし、死霊術に関しては決して手を出してはならない禁忌とだけ教えられる。何十年も前、七賢神の信仰が最盛期だった頃は死霊術に関われば家ごと火炙りにされたらしい。今でも敬虔な信者にはそのくらいの考えをもつものもいて、わざわざそんなものを習う人はほぼいないのだ。それに死霊術の適正のあるものは非常に少なく、あっても習得するのに年単位でかかるのが一般的だ。

「…僕の先祖に、死霊術で国を支配した一族がいたらしい。藁にもすがる想いで試してみたら、一ヶ月くらいで死霊を操れるようになったんだ。」

「たった一ヶ月でか。そこまで才能のある奴はそういないだろうな。まあ、おおっぴらに言えるようなことでもないが。」

「そもそも僕ほとんど人に会わないし。この家に来たのだって最近は一人くらい。彼女のこと見られそうにになって焦ったよ。比較的近くに住んでて、彼女が生きているときには玄関先で長話なんかされてさ。怒って追い返しちゃったよ。前の住人と仲が良かったらしいけど、僕らには関係ないし。」

死霊に多少気を許して来たのか、淀みなく話をするようになった死霊つかい。


「なるほどな。死体で人形遊びしても怪しまれない訳だ。もし気づかれたら、家に火を放たれたかもな。」

「はは、まさかね。」

食事の進まない話だったが、二人とも空腹だったこともあって綺麗に食べきっていた。

 「僕は納屋を見てくるよ。彼女の墓のために、庭を綺麗にしないと。随分と放ったらかしにしてたからね。」食器を重ねると席を立つ死霊つかい。

「俺は食器を片付ける。終わったら手伝いに行くからな。」

「助かるよ。納屋には死霊術の道具が押し込んであるから、まずそれをどけないと。」

かくして、二人は動き出した。一人の死体を埋葬するために。

 死霊つかいを見送り、食器を持って台所に向かった。食器を水桶につけたところで、戸を叩く音が聞こえた。

「あいつ、もう戻ってきたのか…?いや、だとしたら普通に入ってくるか。」とりあえず出てみることにした。死霊はこの家に住む人間とは赤の他人だが、姿は家主の恋人のものだ。怪しまれはしないだろう。

「ごめんくださーい」中年ほどの女の声。戸を結構強めに叩く音がする。慌てて玄関まで小走りで向かった。

「はい、何でしょう?」それらしく愛想笑いを浮かべてみたが、どうにも不安で仕方がない。この体で死霊つかい以外と話すのは初めてだ。変に思われていないか気が気ではなかった。

「あら、奥さんの方ね。旦那さんはどちら?」口調の割には随分と鋭い眼光で、こちらの方を訝しむように見てくる。この家には滅多に他人は訪れないと聞いていたが。

「ええと、彼は今納屋の方に。呼んできましょうか?」来客の視線に、内心冷や汗が止まらなかった。

「いえ、大丈夫よ。自分で行ってくるわ。」そう言うなり、納屋のほうへさっさと行ってしまう。死霊はもう喋らなくて済むと思うと正直ほっとした。引き止めることも考えたが、ボロを出すのはやはり怖い。

「まあ、用があるのはあいつみたいだしな。それにしてもあの人、この家に来たことが会ったのか?納屋の場所を聞いて行かなかった。それと、彼女たちのことを夫婦だと思ってたみたいだな。まあ、似たようなもんか。」

急な来客は死霊つかいに任せるとして、仕事に戻る。

 皿を洗いながら、今後のことを考える。庭が綺麗になって、花を植えて、墓穴を掘り終わったら。この死体から出ていかなければならない。魂を体から引き離す方法など知らないが、あの死霊術だけはずば抜けている男ならどうにかできるだろう。死体を腐らせない意味もあってそれまではこの体にいるつもりではあるが、数日もかからないだろう。無論、一度死んだ身だ。未練などないと言いたいが、できることならば妻にもう一度会って話したかった。急に事故死してしまったことを謝りたかった。でも、この姿ではそれは叶わないだろう。今の自分は他人の死体の中にいるただの死霊、生前の自分とは全く違う存在だ。皿を洗い終わり、ついでに掃除をするために窓を開けた。

 「…焦げくさいな」窓の外からそんな匂いがするとは。ものすごく嫌な予感がする。玄関まで走り、適当な靴を引っ掛けて外へ出る。癖で男物の靴を履いてきてしまったせいで走りにくい。

「納屋の場所は…」この家の外に出たことはない。それでも探すまでもなくわかった。玄関の反対側に、どす黒い煙が見えた。「あそこか!」

 それなりに大きい家に対応して、納屋は案外大きい。前半分が大きな赤い炎に覆われていて、外観もよくわからない。入り口側が半壊して、燃え盛る瓦礫で塞がれている。

「あいつ、まさか中にまだいるのか?」庭まわりはひらけて見通しがきくのに、死霊つかいの姿は見当たらない。だとするとこの火の中にいることになる。入り口が塞がれていて、非常にまずい状況だ。

「おい!いるのか!」中に向かって声を張り上げる。火の燃える音に木の爆ぜる音で、いたとしても聞こえるかわからない。

「…!…げて!!」やはり、まだ中に居たようだ。何をいっているかはわからないが、叫んでいるのはわかった。どうにか助けださないと。そう思ったあたりで、ガラガラと納屋が崩れていく。

 「おい、嘘だろ…」燃え続ける納屋の中にいて、火のついた瓦礫に押しつぶされては無事で済むとは思えない。全身から汗が吹き出る感覚。納屋に向かって走り出すと、景色が異様にゆっくりと流れて行く。「どうする…?」納屋の周りを見回しながら思考を巡らせる。側面の木組みの部分、ほとんど崩れているが、あそこなら外から壊せそうだ。ただ、それだとこちらも無傷でがいられないだろう。借り物の体に傷をつけるどころか、大やけどを負わせてしまうかもしれない。彼女にその是非を聞くこともできない。自分の判断で、彼女が焼死体になるかもしれないのだ。炎まみれの納屋が、ゆっくりと近づいていく。事態は一刻を争うのだ。

 死霊は思考を止め、覚悟を決める。「…お嬢さん、ちょっと熱いが我慢してくれよ。文句なら冥界で受け付ける!」燃えたままの壁に思いっきり蹴りをいれる。自分が苦しめられても最期まで死霊つかいのことを考えていた彼女なら、きっと助けようとするだろう。勝手な想像だが、自分の知る限りの彼女はそうするに違いないと死霊は思った。どうにか隙間をつくり入り込んで行く。袖で口を押さえながら薄目で中を見回す。死霊つかいは奥の方で蹲っていて、涙目で見上げてきた。煙を吸って動けないのかもしれない。腕をつかんで引っ張り上げて立たせると、蹴破ってきた壁が崩れていく「くそっ!」燃える柱や壁の破片を蹴飛ばし、腕で顔をかばいながら抜けだそうとする。靴はとっくに脱げてしまっている。壊した木が鋭い棘になっているが、他に抜け出せそうな場所もないのだ。死霊つかいを引っ張って外を目指す。一瞬、腕に熱さと鋭い痛みが走るが、無視して抜け出す。そのままの勢いで、煙の届かないところまで走り抜けた。

 肩で息をする死霊は傷まみれで、ところどころ火傷になっていた。髪も一部焦げているが、この程度の怪我で済んだのは奇跡的だと言える。同じく火傷だらけの死霊つかいはさっきから大きな咳を繰り返している。こちらも半壊した納屋に閉じ込められていた割には軽傷で済んでいた。

「火をつけられたんだ…。何度かこの家に来たことのある前の住人の友人で、死霊術の道具を見るなりものすごい剣幕で。『やっぱりそうだったのね!おぞましい死霊つかいめ!』って。気づいたら出口のほうに火が回ってたんだ。」

「お前まで死体になってなくて安心したよ。お前がいなければ俺たちは、ちぐはぐな体と魂で彷徨いつづける羽目になるんだからな。」

納屋はもう原型を留めないほどには崩れていた。幸いにも周りに燃えるようなものはなく、燃え尽きさえすれば火も消えるだろう。

「死んだかと思ったんだけどね…。それよりも、その腕の怪我だよ。」

「あ。」すっかり忘れていた。腕を見てみると、引き裂けて鋭くなった木の破片が深く刺さっていた。

「引っこ抜く前に止血しないとな…」傷をみたことで思い出したように痛みが感じられてくる。

「彼女の体なのに、傷だらけじゃないか。」

眉をひそめる死霊つかい。

「助けられておいて非難するとは、とんだご挨拶だな。これでもかなりマシな方だろ。」疲れがどっと押し寄せてきて、座り込む。

「それもそうだね。」薄く笑いながら、隣に座ってきた。

「やけに素直だな」

「彼女の気持ちを汲んだ上で、危険を冒してまで助けに来てくれたんだろう、君は。」怪訝そうな目の死霊に、死霊つかいは確信を持って答える。

「まあ、な。」心を見透かされたようで少し居心地が悪い。倒壊して真っ黒になった瓦礫の塊をぼんやりと見ていた。

「燃えた納屋はどうにかしなきゃいけないし、庭は少しも片付いてない。花の苗も買ってこないと。やることは山積みだよ。」同じく納屋だったものを見て死霊つかいが言ったが、その声に悲壮感は感じられなかった。

「それに、その傷を直してもらわないと。最愛の恋人を埋葬するなら綺麗な姿で居て欲しいものでしょ?」すでに死体であっても、死霊さえ入っていれば生きている人間と同じく傷も治る。

「そうかもしれないが、数ヶ月はかかるんじゃないか?」

骨は折れていないが、一番ひどい腕の傷はかなり深い。

「まあね。だからそれまで君には彼女の体を預かってもらうよ。それと、料理も作ってもらえるかい?」 さっきまで死にかけていたというのに、随分と楽しそうな死霊つかい。

 勝手に呼び出しておいて図々しいと呆れたが、死霊もそれには賛成だ。とりあえず家に戻って、体を洗って怪我の手当をしなくてはならない。

「とりあえず、晩飯は何にする?」

「うーん、根野菜が随分残っていたから、煮物でもつくってよ。彼女の好物なんだ。」

「お前にも手伝ってもらうぞ。」

「もちろん。」死霊つかいと死霊と死体は、もうしばらくこの家で過ごすことになりそうだった。


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