続 良い親前提→公の場で必要なのか?

昨日書いた良い親がいることを前提としない、の記事を読んでくださった方々から、FBでコメントやメッセージをいただいて、誤解があるといけないなと思って書きます。

私が書いたことは、個々のやり取りの話ではないんです。

個々のやり取りにおいて、相手を傷つけないように、と
いう話では、ないんです。 
最後に自分の発言について触れたので、話がごちゃごちゃしてすみません!

個々のやりとりについては、もう、仕方ないというか。

ひとを傷つけない人、なんていない。

だけれども、公の場で、学校教育の公の場で、わざわざ、晴れの舞台で、子どもからの親への感謝や、逆に子どもへの親の思いを全員一致の意見として子どもに聞かせるのはどうだろうか、そこを問いたいという話でした。

むしろ、子どもたちのやり取りは、率直で、ある意味で残酷で。そこは、流せるなら流せたらいい。
打ち返せる球なら打ち返せたらいいなと。嫌なら嫌と言えたらいい、言えなくてもその場から離れたっていい。


なんで、はげてんのー?
なんで、太ってんのー?
なんで、チビなのー?
なんで、足がないのー?
なんで、お父さんいないのー?


と、いった形で、聞いてきます。
それは、違いについて、尋ねてるだけだから。

傷つけるつもりが、全くない場合もあるし、ある場合だってある。執拗に言うなら、それはまた違う話だけれど。

傷つけようとしてるかどうかは言われた側もわかるし、その質問を、途中で大人が、やめなさい!って言うのも、それもまた違うようにも思う。
かわいそうだから、とかね。それはまた、余計な押し付けで、全然別の話。

言われた相手がどう思うか、自分が言われたらどう思うかは、子ども同士で学んだり大人とのやり取りで学んだりしていくのかなと。

だけれども、私が今回書いたことは、それではなく!!!

公の場で、言わせることを強要したり気持ちを強制したり、そういうことは違うと思うなと。

わざわざ、授業でもなく、晴れの、お祝いの席である公の場で必要?っていうのが改めて私が問いたいことでした。

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