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熟達論を読んでスクラムマスターの熟達の道を考える

こんにちは。天野です。

ここ1〜2週ほど、隙間時間に為末大さんの「熟達論」を読んでいました。以前から為末さんの発信には共感するところが多く、本書も興味深く読むことができました。

本書は学びのプロセスについて書かれた本です。熟達の探究プロセスを「ゆう」「かた」「かん」「しん」「くう」の5段階で定義しています。それぞれの段階の詳しい解説は本書をご覧ください。

今日は、スクラムマスターの熟達のプロセスにおいて、各段階に照らし合わせて自分が感じたことを紹介します。


遊 不規則さを身につける

 熟達に至る道の第一歩は「遊び」から始まる。最も扱い難いながらも、前に進み展開を広げていく熟達の重要な原動力である。
 遊びとは何か。子供が砂場で遊ぶことも、大人がハメを外すことも遊びと呼ばれる。少し余白があることを遊びがあると言い、「少し遊んでみましょう」という言葉は本来の目的とは関係のない寄り道や無駄な行為を表す。このように遊びという概念は幅広い。
 この熟達論の中では遊びを「主体的であり、面白さを伴い、不規則なものである」と定義したい。

為末大. 熟達論人はいつまでも学び、成長できる (p.38). Kindle 版.

スクラムマスターとしての「遊」は、最初の実践における試行錯誤全般が当てはまるように思いました。プロダクトバックロの作成、プランニングポーカー、イベントのファシリテーション、チームの観察など、どの活動も新鮮で学びがあります。

個人的に重要だと思うのは、この段階を「遊び」と言えるほど安全なチーム環境を作ることです。チームの条件を整え、信頼して任せることで、初めてスクラムマスターとして「遊べる」ようになります。

遊びの余地を大きくするために、最近はスクラムの実装方法はなるべく具体的に言わず「自由にやってみて」と伝え、最低限のガイドだけするようにしています。安全なチーム環境でしっかり遊んだスクラムマスターは、その後も勇気が必要な大胆な提案などの行動を取れるようになると感じます。

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