真珠の耳飾りの少女
こんにちは。お昼は何を食べました?
今回の映画感想は真珠の耳飾りの少女、という2004年公開のイギリス映画です。
そうです、あの有名なフェルメール作の絵画が描かれるまでのお話になります。
先に申し上げますが、今回の感想は自分の年齢もあって、感情移入というかいろいろ考えてしまっていつにも増してまとまらなかったので、読むだけ時間の無駄かもしれません、悪しからず。。
働けない父親に代わり、売れっ子画家のフェルメールのもとへ使用人として稼ぎに行く主人公グリートが、大人の色気を放つ画家に惹かれ、画家であるフェルメールもグリートの初々しくて無垢な若さにのめり込んでいく。周囲の使用人や、フェルメールの妻もそれに気づいて、若く美しいグリートに嫉妬を露わにする様子が生々しくてエグかった。
う~ん、美しさって何だろうなぁ、と考えさせられる映画でした。
そして私は、月並みだけど美しさは内面から滲み出る表情や立ち居振る舞いだと思った。
若さは美しい。それはどうしようもない事実。
でもあの絵画の美しさって、少女の若さ故の美しさだけじゃなくてフェルメールに惹かれているあの目線や表情からくるものだと思う。
最後に本物のあの絵画が写るのだけれど、改めて見ると耳飾りってそんなにしっかり描かれていない。
真珠であることはなんとなくわかるけれど、ほとんど陰になっていて目立つ描かれ方じゃない。
彼女のフェルメールに対する好意から、真珠の輝きを引き出している、さらに絵画全体の美しさになっている、と思った。
もちろん、フェルメールが少女の若さに魅力を感じていたことは否定しないけれど。
奥さんだって、ドレスや宝石の似合う綺麗な女性だった。
ただ、家計のこととか、たまたま苦しいことが重なって、若いグリートに余計に嫉妬して余裕がなくなっただけ。
フェルメールも奥さんを愛していたから、結局最後はグリートが家を去るときもなにも言わず引き留めたし、耳飾りも手放したんだと思う。
耳飾りをグリートに贈ったのは、もう思い出さないように、過去のことにするためだったんじゃないかなと私は解釈した。
私も20代半ばに差し掛かって改めて思うけど、人の魅力ってやっぱり若さだけではなくて、どう生きてきたか、何を思ってきたかによる。
というか、若さは美しいけど魅力は若さじゃない。
その人自身から溢れるものが、周囲を惹きつける魅力なのではないかな。
最近はなんだか顔の造形で人の善し悪しが決まるようなルッキズムに拍車がかかっているような気がするけれど、
そういったものに振り回されずに余裕を持って生きていこうと思った。
(もう全然まとまらなくてちょっと投げやり。笑)
それと他に綺麗だったのが、町並みと服装!
こちらは完全に私の好みだから、なんですけど、セットがすごくていねいに作り込まれていて素敵だった~
使用人の服ですら可愛い。どのシーン切り取ってもそれこそ絵画みたい。
というか元々はそれ目的で鑑賞したのにこんなに生々しい映画だと思わなかったよ・・・・・・。
皆さんの美しさとは?若さとは?も教えていただきたいです。
よかったら観てみてください。
ではまた~
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