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一斉に春!そして夏?

 我が家の庭に一斉に春が舞い降りた。
 沈丁花が咲き始めた時には、まだ桜の花芽は硬かった。
 それが、桜が散り始めたら一斉に春がきたように、それも駆け足で来たようだ。
 お正月がきて、
「新春を寿ぐ!」
とは名ばかりで、庭の花は水仙が一つ二つ。
 山茶花の花は咲いていたが、お日様を集めるまでにはならなかった。
 水仙が香るのは雪の朝。
 キラキラ輝きながら雪解け水が滴り落ちると
冷たさと暖かさの中で雪折れの水仙が香り立つ。
 その頃になると梅が…。
ー 梅一輪一輪ほどのあたたかさ
            服部嵐雪 ー
 少しずつ少しずつなのだ。
 椿も日陰で一輪、二輪と咲く。

沈丁花

 気がつくと沈丁花が香り初めて、クロッカスの花芽が見え、ヒヤシンスの花房も伸びてくる。
 チューリップも咲き始め、枝垂れ桜と歌い合う。
 桜は「木花之佐久夜毘売」という春のお姫様
 コノハナサクヤヒメは名前の通り、花が咲くように、盛美で短命で散ってしまう神様だそうだ。
 だから、美しく短命な花の代表ともいえるサクラの語源となったと言われている。
 桜の語源は、実際にははっきりしていないらしい。
 動詞「咲く」に接尾語「ら」が付き、名詞になったものという説。
「さ」は「神霊」を意味する「さ」を表し、「くら」は「座」を表すといった説、神が座っている木なのだ。
 あんなに美しければ、そう思って当然だと思う。

枝垂れ桜・雪柳・白桃・鬱金香

 今年の春はなかなか温かくならず、凍えるような日が続いたため、いつもの年より桜の開花が遅かった。
 待って待って来た春だった。

福岡の桜のトンネル

 また、満開になってからも、冷たい雨の日が多かったため花持ちがよく、孫の入学式まで散らずに咲き誇ってくれた。
 その桜が、はらはらと舞い散るようになってから、ビックリするような速さで春が駆け抜けていき初夏の花が咲き始めた。

芝桜

 何年もかけて株を増やして来たが、埋め尽くすようには咲かなかった芝桜が、土手を埋めるように大笑いを始めた。

大笑い

 見ているだけで笑ってしまう。
 いや、微笑んでしまうというのが妥当だろう。可愛いものを見るとにやけてしまうのと同じだ。
 嬉しいことがあると笑ってしまうのと同じだ。
 苦労した分だけ嬉しいのだ。
「やぁ、咲いてくれましたね。
 よく頑張りました。」
と厚洋さんの声もする。

勿忘草

 勿忘草の水色の花が裏庭いっぱいに咲き始めた。何処かの物語で、「青い花が見たい。」と言った愛しい人に、絵描きがひとつひとつ青の色をつけたなんて話も聞いたことがある。
「私を忘れないで…。」
と言って川に流されてしまった人の化身と聞いたこともある。
 勤めている時から、勿忘草が好きで毎年、鉢植えで育てていた。
 種を蒔いて育て始めたのは退職してから。
 で、種も蒔かず去年の種が育って花を咲かせたのは今年が初めてだった。

おのろばえ「己生え」

 カラタネオガタマの花が咲き、バナナの香りがして来た。

カラタネオガタマ


 卯の花が真っ白な丸い蕾をつけて、スタートラインに着いた。
 野薔薇の美しい黄緑色の蕾が「私は薔薇です」とすっかり背伸びを始めた。
 芍薬の赤い芽は、赤いまま手のような葉を広げて、中心部に丸い蕾をつけた。

タチツボスミレ

 スミレはコンクリートの間からも、駐車場の隅からも小さな鉢の中からも光を集めるようにそのしなやかな首をゆすっている。

小鬼田平子 仏の座

 春の七草を探し回っていた時には気づかなかった「仏の座」小鬼田平子が群生していた。
 ドクダミも生えて来た。
 爛漫の春は既に夏に向かって突進中である。
 我が家は、薬草の宝庫である。

著莪

 2月末に猪に荒らされた土手だったが、ひっくり返された著莪を植え直したら、全て綺麗に咲いてくれた。
「このままだと子孫は増やせない!」
と焦った著莪が花をたくさん咲かせたのかもしれない。

アザレア

「厚ちゃんの植えたアザレアも
 頑張って咲いてるよ。
 小さいのに本当によく咲いてくれるね。」
 この花が咲くたびに厚洋さんが言っていた言葉と同じ言葉を呟いてしまう真愛がいた。
 真愛の目を通してこの庭の春と全力疾走中の夏の花達を見ているのだろう。
 草花は嘘をつかない。
 手をかければ心をかければ美しく咲いて微笑んでくれる。
 寒くて長い冬だった分だけ、一斉の春の訪れと猛スピードで準備をしている夏が一緒にいる。

ぎっしりの藤の花房


 そうだ。
 驚いたことに、藤の花房が40近く垂れ下がった。
 なんだろう?
 藤は、「魔除け」とか「悪魔祓い」とかいって、悪霊が入れないように結界を張ってくれるのだそうだ。
 厚洋さんの七回忌の年である。
「俺、ちゃんと守ってるぞ!」
っていうアピールなのかな?なんて思ってしまう。
 今日は厚洋さんが逝って2039日目の素数日である。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります