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風が吹く

 以前、風の生まれ方について書いた。
その日、台風1号がマリアナで発生した。
 真愛のところまで、梅の香りを運んでくれる花びらさえも動かさない「いい風」について、書きたいと思った。
「いい風が吹く」とは、良い状況の進捗を言うのだそうだ。「追い風」「順風満帆」もいい風が吹いている。
 反対に、悪い状況の進捗を「悪い空気が流れている。」と言う。何故か「風」と言わず、「空気の流れ」という。同じ意味なのに…。

 漢字博士の白川静先生の本から、「風」が「風」と書かれていなかった時代のことを知った。
「風」は、「鳳」という文字で表された。
目には見えない「風」を鳥の羽ばたく姿に託して形にしたのだろうという。

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 大空を自由に羽ばたき、天翔る鳥に、古代の人は神秘的な力を感じ多くの祈りを託した。
 亡くなった人の魂を
       あちらに連れて行くのも鳥。
 亡くなった人の化身となるのも鳥。
「風」=「鳥」
「千の風」の歌詞ではないけれど、真愛の傍を吹き渡って行く「いい風」は、厚洋さんだったのだ。
 風の中で、すっくりと首を伸ばした白い鳥に心惹かれたのは、それが厚洋さんの化身であったのかもしれない。

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 土地の文化や産物のことを「風俗」「風物」というのは、「鳥」の形をした風神(ほうおう)が各地に行き、そこの人々に影響を与えて生まれた物であるからだそうだ。
「風」には、常に生命力の意味合いが含まれている。
 今頃の春先に東方より吹いて、万物を生長させる風を「谷風(こくふう)」という。
 真愛の住む土地を【花ヶ谷】という。
 ここから吹く風は、「いい風」で幸せを連れて来てくれていたのだと思う。

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「風」の話を書いでいたら、小田さんの歌が聞こえて来た。
ずっと待っていた 風が 今吹いた
 小田さんは、白川静先生の「風の字源」の話を知ってらっしゃったのかしら?
 最近思う。
 素晴らしい詩や文章は、沢山の体験・知識に支えられたものだということ。
 
 厚洋さんも原稿料をもらった時よく言った。
「凄いって、褒めてくれてもさあ。
 これ書くための本だったり、調べに行った
 費用だったり考えたら、儲からないなあ。」
真愛は、
「でも、この本の内容以上に、沢山の雑学を身 
 に付けたんだからいいじゃない。」
「そうだな。面白い時間だったしな。」
 書き手・作り手は、山の様な資料を登り、
その中のひと握りの「感動」を綴ってくれているのだ。
 誰でもが…。
 楽して、自分の持っている「感動」だけで書いている真愛の文章が低くくて小ちゃいのが分かる。
 もっと体験し、調べて(学ぶ?)「書きたいこと」に豊かな真実の言葉を纏わせたい。
「いい風」は、自分のエネルギーで起こし、周りの人に伝えられる空気の流れの様だとも思った。
「風」一つとっても知らない事が、沢山・沢山・たーくさん、有る。
 生きてるうちにどのくらいの事が学べるのだろう。

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 人の心に「いい風」を吹かせられるものが作りたい。

ありがとうございます。 愛しい亡き夫厚洋さんに育てられた妻「真愛」として、読み手が安らぐものが書ける様頑張ります