遥の花 漣 三話

漣は驚いて、その光景に見入っていた。
幸が蹲って泣いていた。
「お父さんのお茶碗、割れちゃったよ」
黒さん達から母さんと呼ばれる美少女、こんな綺麗な女の子、見たことがない、それでいて、男っぽい言葉に自信に満ちた眼差し。
父さんよりも遥かに強い、いや、桁が違い過ぎる。

「うるさいわ、静かにせい」
なよは幸の頭をはたくと、呆れ顔で言った。
「わしの気に入りの湯飲み。黒の丼茶碗、店の客用の珈琲カップセット。次々と割ってしまいおって。これだけ割れば、不吉もなんもあるか」
なよは怒鳴ったが、深く溜息をつくと、おろおろと見つめていた黒を手招きした。
「黒。幸を父さんの部屋に連れて行け。これでは手伝いにならん。幸をゆっくり落ち着かせて来い」
「はいっ」
あたふたと黒が幸を抱き上げた。
「ねぇ、黒。父さん、帰って来なかったらどうしよう」
「大丈夫だよ、父さんは約束を守ってくれるよ」
黒はにっと笑うと、自身の不安を打ち消そうかとするように足早に男の部屋へと向かった。
ふと、幸乃は現れると、なよに言った。
「幸乃もお父様の部屋へ参りますわ、幸と黒、二人で泣き出すでしょうから」
「そうじゃな、そうしてくれ」
幸乃は頷くと、なよに笑いかけた。
「なよ姉様も肩の力、ほどほどに」
「あぁ。幸乃、お前が居てくれて助かる」
「どういたしまして」
幸乃の姿が消える。
「あとは」
なよが漣を見つける。
「漣、わしがじきじきに教えてやってもよいがの、ちと、用事がある。そうじゃ、白。お前が活法を教えよ。それもまた、漣を助けてくれるじゃろう」
白が目を丸くして言った。
「なよ姉様、いいの」
「わしは良いと言った。わしは同じことを二度も言うのは嫌いじゃ」
なよの言葉に白は飛び上がって喜ぶと、本当に嬉しそうに漣に笑いかけた。
「そうじゃ、小夜乃。小夜乃も白に活法を教えてもらえ」
小夜乃は頷くと、そっと白を見つめた。
「小夜乃ちゃん、おいで」
白は笑みを浮かべると、三人で部屋を出て行った。
ほぉっと息を漏らすと、なよは部屋の真ん中に胡座をかいて座る。
「朝から大変じゃの。幸は昨晩、日付が変わると同時にそわそわとしだしよる、仕舞いにはまだ帰ってこんと泣きだす。父さんには早く帰って来てもらわんと身がも たんわ」
あさぎは笑うとなよの隣りに座った。
「大丈夫ですよ、もうしばらくの辛抱です」
なよは笑うとあさぎに言った。
「父さんがどんな状態になって帰ってくるかはわからんが、うまいものを用意しておいてくれ」
あさぎの頷きに笑みを返すと、残ったあかねと三毛を見る。
「さて、あかねと三毛は椅子を三脚、表に運べ、玄関と門扉の間じゃ。わしは折り畳みの卓を運ぶ。あさぎ、紅茶の用意じゃ」
玄関と門扉に間、畳二畳ほどの空間にテーブルと椅子を設えると、三人向かい合って座る、テーブルには紅茶のセット。
「あの、お茶をしようということですか」
あかねが不思議そうになよに尋ねた。
「茶はついでじゃ。お前達二人には結界の補強と修復を教えてやる。父さんはおらん、幸はあの始末。ここの結界が弱くなりつつある」

三人はそれぞれテーブルにつき、向かい合った。見上げれば青い空、心地よい風が流れてくる、絶好のお茶日和だ。
「道向こうの電信柱を覗いてみい」
二人は目を凝らすようにじっと見つめたが、やがて気づいた。電信柱の中程が微かに膨らんで見える。
「わかるか、そこだけ、結界が薄くなっておる。じゃから、レンズを通して見るように歪んで見えるわけじゃ」
「結界って目に見えるんですね」
「見える奴にはな。三毛にしてもそうじゃ」
「え」
三毛がなよを見上げた。
「わしがここの娘になった頃は、三毛の眼が猫の眼に見えた。人によって見え方が違うておったわけじゃ。じゃが、今は、わしにも三毛の眼がすっかり人の目に見え る」
「それは」
「三毛、お前が曖昧な存在ではなく、すっかり人になったということよ。しかし、三毛という名はなんとも、猫っぽいな、名前を変えてみるか」
三毛が慌てて言った。
「三毛は三毛だよ。幸お母さんが付けてくれた名前だもの」
「なるほど。その名は宝物じゃな」
なよは笑うと柔らかく三毛の頭を撫でる、三毛が気持ち良さそうに笑みを浮かべた。
「あ、電信柱が」
あかねが声を上げた。歪んでいた電信柱が真っすぐに立っていた。
「結界を張るのも、修復するのも生半可な術者ではかなわん。しかし、この結界は巧く作ってある、ここに居る者の気分に呼応する。楽しい、嬉しいと思えば結界が 強くなる。あかね、お前も楽しい気分になってみい」
「急にそんな、無理ですよ」
あかねが戸惑いながら答えた。
「生真面目じゃのう」
なよは笑うと紅茶を一口すする。
「以前、幸と白が二人で旅行をしたらしいのう」
「ええ、白さんの教育方法に悩んで」
なよが引き込むように笑みを浮かべた。
「あかね。幸と二人で旅行すれば楽しいであろうな」
「幸姉さんと二人で」
あかねが呟く。
「そうじゃ、なんとか言ったのう。ネズミの着ぐるみを生きているなどとほざく遊園地。二人して遊べば楽しかろう。ソフトクリームなんぞ食いながら、楽しいぞ」
あかねがぼぉっと宙を眺める。
「でも、幸姉さんは人の多いところは苦手ですから」
あかねが呟く。
「北の方に、電気を延いていない宿があるらしいのう。奥座敷、ランプのあかりに差し向かい。二人っきりで美味しいものなどいいぞ。その宿には温泉もあるらし い、二人で湯につかり。どうするぞ、あかね」
いつの間にか、夢心地の表情であかねが眼をつぶっていた。
「幸お姉ちゃん」
あかねが小さく呟いた。
瞬間、三毛が驚いたように外を見つめた。圧迫感、結界がその厚みを増したのだった。
「凄い」
三毛が呟いた。あかねは意識を取り戻すとなよを睨む。
「酷いですよ、なよ姉さん」
「何が酷いのかわからんのう」
いたずらげになよが笑った。
「あかねちゃん、三毛も幸お母さんが好きだよ、一緒だね」
「そ、そうですね」
あかねの慌てた返答に、意地悪くなよが笑った。
「好きと一言で言っても、色々あるがの」
「子供相手に変なこと言わないでください」
慌ててあかねはなよの言葉を遮ると大きく溜息をつく。
「あかねは幸お姉さんのお手伝いが、ちょっとでもできれば、それで幸せなんです」
なよは紅茶を一口啜り、呟いた。
「鬼紙家の孫娘、鬼紙老には溺愛され、うまく立ち回れば、権力も財貨も手中にできるというのにのう」
「起きて半畳、寝て一畳。衣食住も足る、衣は黒さんと白さんのお下がりをいただいて、食はあさぎ姉さんが作ってくださる、充分です。意地悪なお姉様もお一人い らっしゃいますが、まっ、すべてが幸せでは心が腐りますから、少しぐらい、頭を悩ます相手がいるくらいの方が緊張感もあってちょうど良いかも知れませんね」
「言いおるわい」
にかっと嬉しそうになよが笑った。
「はっきりと言い返す奴がおるのは楽しいのう、わくわくするわい」
三毛が慌てて言った。
「なよ姉さんも喧嘩はだめだよ」
「三毛。喧嘩はせんよ、する理由がない。なんというかな、あかねの減らず口は楽しい。特にわしはな、ここの娘になるまで、わしに逆ろう者など一人もなかった。 わしの言うことは、すべて仰せのままに、というやつじゃ。対等に喋ってくれる者がおらんというのは存外寂しいものよ」
なよは満足げに笑みを浮かべた。
「しかし、あかね。たまには実家の母親にも顔を見せてやれよ。随分、実家には戻ってもらんじゃろう」
「弟が生まれたので、あかねはお役御免です。自由の身ですから」
「なんとまぁ、頑なじゃのう。幸が元気になれば、あかねにたまには実家に顔を見せるよう進言せよと言っておこう。幸もえらくお節介なところがあるからな、楽し みじゃ」
「それは」
あかねが抗議を仕掛けた瞬間、なよは視線を鋭く道向こうへと向けた。
「三毛。お前のおばあ様がなにやらいらっしゃるぞ」
三毛は驚いて眼を見開くと腰を浮かした。
「何処へ行く」
「幸母さんのとこへ」
息ができないかのように、小さく呟く。
「まぁ、急くな。ここに居れ。大事なお前のおばあ様ではないか」
なよが笑う、三毛は覚悟を決めたようにじっと俯いた。

「知尋ちゃん、開けてちょうだい。あの娘、どうかしらね」
白澤の声が門扉の向こうから響いた。
なよは立ち上がると、門扉のこちら側に立った。
驚いて、白澤が声を失った。真ん丸に眼を見開いて、茫然となよを見ていたが、引き絞るように声を上げた。
「かぐやのなよ竹の姫。何故、お前がここに居る」
なよは柔らかに笑みを浮かべると、かぶりを振った。
「長女のなよ子と申します。良く、その方とは間違えられるので困っています」
淑やかに小首を傾げた。
「愚弄する気か。なよ竹の姫」
白澤が間合いを開け、叫んだ。
なよはその表情のまま、両腕を組んだ。
「先日は見逃してくれて助かったぞ、白澤猫。さすがのわしもお前にはかなわんからな」
「何故、お前がいるんだ」
「言うたであろう。長女、つまりは幸の姉になった。わしも良い妹が出来て嬉しいわい」
可々大笑となよが笑った。
「三毛。何故、報告せん」
白澤が俯いたままの三毛に怒鳴った。縮こまるように三毛が小さくなる。
「おいおい。わしの妹の娘、可愛いわしの姪を怒鳴らないでくれ」
嬉しくて仕方がないとなよが笑った。
白澤が両腕を振り上げる。
「おや、白澤猫。いいのかえ、この結界を破っても」
「何が言いたい」
「簡単なこと。お主ならこの結界を破ることも出来るであろう。しかし、いいかのな。それは、この結界を作り出した者を敵に回すということじゃぞ。つまり、わし の父さんをじゃ」
にたっと笑みを浮かべ、言葉を続けた。
「わしの父さんは、子供の頃、お主に育ててもろうた。じゃから、敵とまではならんじゃろうが。幸がのう」
「何が言いたいのだ、はっきり言え」
「幸はこれを機会に本家とは絶縁してくれと言うじゃろうな、わしらのお父さんにな。となると、活躍している本家の精鋭は困るじゃろうな。間違いなく奴らは本家 についてくれるかのう、はてさて、難しいことじゃ」
「減らず口め」
なよは白澤をなだめるように言った。
「お主が私淑する本家初代の顔を見、言葉を交わした者も、今はわしとお前の二人だけじゃ。いつか、月でも愛でながら、昔話に酒を交わそうではないか。な、白 澤」
なよが寂しげに笑みを浮かべた。
「知りたいのは鍾馗の長の娘のことじゃろう。見事に育っておるよ」
白澤は手を降ろすと、言葉を探すように俯いたが、顔を上げると、大きく息を吸い、そして吐いた。
「出直す」
すっと溶けるように白澤の姿が消えた。
「行ったな」
なよは呟くと、大きく息を吐いた。
「白澤は結界越しでも迫力があるのう。びびった、びびった」
なよは笑うと、椅子に戻った。
そして、俯いたままの三毛を拳でぐいっと押す。にぃいと笑った。
「わしが白澤の立場なら、こう言っておるじゃろうな。逐一報告せよ、逆らえば、猫に戻してしまうぞ、とな」
ぴくんと三毛の肩が震えた。
「黒はそんなことを言われれば、白澤が言い終わるまでに、走りだして幸に泣きつくじゃろう。白は真面目に頷きはするが、それだけじゃな、次の日には忘れてお る。三毛、お前は真面目すぎるからな。多分、逆らえば、黒や白も猫に戻してしまうぞと脅されたな」
三毛が小さく頷いた。
「そんな酷いこと」
あかねが呟いた。
「白澤は別に悪人ではない。本家の隆盛しか考えておらんというだけのことじゃ」
なよは右腕で三毛の肩をしっかり抱くと囁くように言った。
「言うたであろう。三毛、お前は既に人じゃ、いかな白澤でもお前達三人を猫に戻すなどできんよ」
三毛はなよにしがみつくと、そのまま、なよの胸に顔をうずめた。漏れ聞こえる泣き声。
自然とあかねが三毛の頭を撫でていた。
「怖かったでしょう、大変だったね」
あかねが呟く。
ほっと息を漏らすと、あかねは椅子に座り直し、門扉を通して外を眺める。
ここは本当にシェルターだと改めて思う。
「結局、白澤さんは何をしに来たのやら」
なよが三毛を両腕で抱き締めたまま、顔を上げる。
「わしは鍾馗の親、つまり、漣の父親を古くから知って居る。娘思いの男じゃ。おおかた、漣をこのまま、ここに住まわせたいと言いだし、話が違うと白澤は慌てた のじゃろう」
「漣さんは女の子ですし、戦線に戻したくないのは、父親として不思議はないでしょうに」
「白澤は幸の術を取り込みたい。そのために漣に術を習わせ、それをまた、本家の精鋭に覚えさせようと思っておるのじゃろう。幸の術は、独自に発展させ、随分と 特殊なものになっておるからな」
「それはだめです」
あかねが慌てて言った。
「幸姉さんのような術師が他にも現れたら、世界そのものが滅してしまいます」
なよは三毛の背中をやわらかく叩きながら、思案気に俯いた」
「幸は世界を制することもできるじゃろう、それをあやつがせぬのは父さんがおり、皆がおるこの生活がもっとも大切じゃからじゃ。そういうしばりのない、幸と同 等の力を持つ者が現れれば大変じゃのう。口喧嘩で世界が滅びるぞ」
「幸母さんは大丈夫だよ」
三毛が泣き濡れた瞳のまま、顔を上げた。
「だって三毛の母さんだもの」
なよは満足そうに笑みを浮かべた。
「そうじゃな。そして賢明なるわしの妹でもある」
「あかねのお姉さんでもあります」
あかねも言葉を重ねた。
「まっ・・・」
なよは三毛から両手を離すと、少し冷めた紅茶を一口、含んだ。
「幸の術は、幸以外に教えることは出来ん。その術をいくらかでも使えるようになったとしてもな。仮に、まったく、他のところから幸と同等の力を持つ者が現れた としても、それはわしらが心配してもせんないことじゃ」
なよは三毛を目の前に立たせると、いたずらげに笑った。
「三毛。お前の肩には世界の命運がかかっておるぞ。何しろ、幸の娘じゃからなぁ」
「は、はいっ」
なよは笑うと、三毛の頭を軽くはたく。
「三毛は真面目すぎじゃ。素直に、はいなど言うでないわ」
「三毛さんがなよ姉さんのようになってしまっては可愛そうです」
あかねが三毛に言った。
「三毛さん。なよ姉さんは反面教師です。なよ姉さんの言うことは、拗ねない程度に七割、聞き流すのがいいですよ」
あかねは立ち上がると、紅茶のポットに触れる。
「冷めてしまったようです、三毛さん、いいですか」
三毛はあたふた頷くと、ポットを抱えた。
「ありがと。あかねちゃん」
「戻ってこなくて大丈夫ですよ、あさぎ姉さんのお手伝いをしてください」
あかねが笑みを浮かべるのを、こくこく頷き、三毛があさぎの元へと走って行った。
ほっと吐息を漏らすと、あかねはなよを睨んだ。
「なよ姉さんは困った方です」
「仕方あるまい。真面目な奴は面白いからのう」
「度が過ぎると小夜乃さんに言いつけますよ」
「それは勘弁してくれ、あやつは真面目は真面目でも、どの付く真面目じゃ。命を懸けて真面目を通されれば、太刀打ちできんわ」
なよは不思議と嬉しそうに笑みを浮かべると、少し冷めた紅茶を飲み干した。

「あ、あのね。あさぎ姉さん」
「どうしたの」
三毛はそっとあさぎに紅茶のポットを差しだした。三毛はあさぎにポットを持って行ってほしいと言いかけたが、戸惑い、口を閉ざしてしまった。
代わりに行ってほしいけれど、それはだめ。三毛は笑みを浮かべると、あさぎに言った。
「あたっかい紅茶をお願いします。持って行きたいから」
三毛の言葉が終わった瞬間、なよが飛ぶように速く駆け抜けた。あかねがその後ろで叫ぶ。
「梅林練習場、お父さんが落ちて来ます」
あかねも返事を待つことなく駆け抜ける。追うように三毛とあさぎが走った。
まさしく一陣の風、なよは梅林にたどり着くと空を見上げた。青く澄み渡る空の高み、一点をなよが睨みつけた。
「空を飛べるのは幸のみ、ならば仕方ない。刃帯儀」
唸るようになよが呟く。なよが右手から一本の帯を地面に向かって放った。鋭く先端は地面に突き刺さると、長く伸び、なよを空へと押し上げる。速度を上げ、風を 切る。
一歩、遅れてあかねは梅林にたどり着くと空を見上げた。
点でしか見えないが、背中でなよ姉さんが、落ちて来た父さんを支えているのだろう
刃帯儀が鋼のように地面から伸びている。
「あかねちゃん」
黒が慌ててやって来た。
「幸母さんが消えちゃった」
「上です」
あかねが空を見上げたまま、鋭く答える。
「上って」
「そうだ。花魁道中の儀は何処へでも行けたはず。黒さん、三毛さんに毛布を持って来させなさい」
「は、はい」
黒があかねの鋭さに気圧されて頷いた。
あかねが大声で怒鳴る。
「白さん、来い」
うわ、わわっとたたらを踏んで、白が掛けて来た。三毛も毛布を両手に持ってくる。
「白さん、花魁道中の儀。発動しなさい」
一瞬で状況を把握した白が叫んだ。
「花魁道中の儀 発」
黒と三毛が毛布の前後をしっかりと掴む。
「白さん、黒さん、三毛さん。毛布を御輿と見立て奉れ。かぐやのなよ竹の姫をお迎えに参りなさい」
「しゃん」
黒が叫んだ。
そして、黒と三毛がしゃんしゃんと鈴の音を模し大声で叫ぶ、そして、白の後をついて消えて行く。
「あかねちゃん」
あさぎが転ぶように走って来た。
「どうなっているの」
息も絶え絶えに言う。あかねが空を指さした。
「あの黒い点です。あ、黒さんと三毛さんが掴んだ毛布にお父さん、幸姉さんなよ姉さんが載っています」
「どうして、そんな」
「とにかく落下加速度を減衰させながら降りてこなければなりません」
黒い点が大きく螺旋に巡り出した。
「あさぎ姉さん、みんながここにうまく着地しなければなりません。ここからみんなを呼んでください」
「う、うん。わかった」
あさぎが頷いた時、小夜乃と漣もやって来た。
「小夜乃ちゃん、ああぎ姉さんと、ここからみんなを呼びなさい。漣はあたしと一緒に来い。ありったけの布団をここに運ぶんだ」
あかねが自分をあたしと呼んだ瞬間、鬼気迫る迫力で漣の手を掴むとあかねは家に向かった飛ぶように駆け出した。

あかねと漣、山のように布団を積み上げ、上空を見上げる。あさぎと小夜乃がおおい、おおいと叫ぶ。
白さんがうまく先導している、あかねが布団の山の上に立ち上がった。
完全に速度を押さえ切れてはいない、でも、充分だ。あかねが思いっきり両腕を広げる。
白が完全に速度を落とせずにあかねに飛び込んだ、あかねは白を含み込むように体全体で受け止め、二人、地面に転がる、慌てて、布団を見ると、うまく三人を乗せ た毛布が布団の上に載っていた。
もぞもぞと毛布がうごめき、一番下になっていたなよが飛び出した、布団から転げ落ちたが、うまく着地すると同時に、布団を駆け登り毛布の中を見る。
毛布には首から下が血だらけになった男とそれを庇うようにしがみつく幸の姿があった。
微かな歌声、幸だ、これは言祝ぎの歌、呪(まじな)いの歌。
「黒、三毛。このまま、父さんを家に連れて行け」
なよが叫ぶと、慌てて二人は布団の山から毛布を支えたまま降りた。
「小夜乃、漣も毛布を支えろ」
返事をする間もなく、二人が毛布を支えた。
「つまずくなよ。倒れれば、父さんの首から下が・・・」
なよが言いかけてやめた。
「早く行け」
なよの言葉に四人が急いだ。
あかねは白に肩を貸し、立ち上がった。
「白さん、お疲れさま」
「お父さん、大変だよ、血だらけになっていたよ」
「幸姉さんがいるのだから大丈夫です」
あかねは言い切ると、ぎゅっと白を抱き締めた。あかね自身も不安にさいなまされていたが、大丈夫だと言葉を発することで、自分自身を支えていたのだった。
「あかね、白。お前達も行って来い」
なよが二人に声を掛けた。
「父さんの術は無の術。無術と呼ばれておる。呪文を唱えずとも、思念だけで実現させる強い術じゃ。お前達二人も幸を通していくらかは無術を身につけておる。父 さんの近くで元気になりますようにと強く念じてやれ」
二人がうなずき駆け出したのを見ると、なよはほっと吐息を漏らして、胡座をかいた。
あさぎがその横にしゃがむ。
「なよ姉さん、大丈夫ですか、随分、疲れているようです」
「ん。あぁ、わしも一メートルくらいは浮遊することができるが、あんな高くまで駆け上がったのは初めてじゃ。思い返すと、足がすくむわい」
なよが振り返り布団を見る。
「指図したのはあかねか」
「はい。てきぱきとしてかっこ良かったですよ」
あさぎもほっとしたのか、表情がほころんだ。
「であろうな。本来、あやつは人の上に立って、統治する側の人間じゃ。鬼紙家も、息子ではなく、あかねが継げば、今以上に巨大な勢力になるじゃろう。もっと も、本人は幸の妹としてここに暮らすのが嬉しくて仕方のないようじゃがな」
「あかねちゃんが」
「才能の無駄遣いじゃが、本人が幸せならばそれで良いわ」
なよがゆっくりと立ち上がる、慌てて、あさぎが支えた。
「まだ、一仕事が残っておるが、腹が減った。あさぎ、ちょっと贅沢で旨いもの、用意しておろうな」
「はい。でも、お父さんが」
「わしが食う。父さんは当分、食えんじゃろう。食えるようになったら、また、改めて作れ」
なよが気分を変えるように笑った。

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