遥の花 漣 竹林にて

両腕を組み、鼻歌など口ずさみながら竹林の小径を歩く。
黒と三毛を従え、なよはにかっと嬉しそうに笑みを浮かべた。
「あさぎが作ってくれた弁当に日本酒、言うことないのう」
三毛が辺りをうかがいながら、なよに言った。
「なよ姉さんはお気楽すぎます」
「三毛の生真面目にも困ったもんじゃ。青い空、小春日和の風、沢山の敵、言うことないではないか」
「でも、なよ姉さん」
黒が気配を探ろうと半眼のまま、囁いた。
「かなり強いよ。数え切れないくらいだ」
「惑わされるな、黒」
なよは一升瓶を掲げ、空の青を映す。
「久しぶりの大吟醸じゃ。かぁぁっ、腹の中が熱くなるのぉ」
なよは笑うと、黒に言った。
「人鬼が十一人、それに、この竹林には陰(おん)が漂うておる。陰は人鬼を活性化させるが、それ自体に力はない」
「何千もの鬼がいるように思えるよ」
「この国の呪師のほとんどが理解しておらん。鬼と陰は全くの別物、それが解っておらんから無用に鬼を恐れおる」
「なよ姉さん。でも、この辺りは鬼の気配で充満している」
「陰は人の恨みや悲しみ、怒りなどの負の念が堆積して、つくも神のように、かりそめの実態を持ちはじめたモノ。その気配は鬼と良く似ておるが、鬼の存在に引き寄せられ集まってきただけのものじゃ。ま、問題があるとすれば、陰の中では、鬼は実力以上の能力を発揮するということくらいじゃな。なんというたかのぉう、そうじゃ、ドーピングという奴じゃな」
黒の問いになよは答えると、ふいと前方を望んだ。車の少し古びた整備工場と隣りに二階建の安普請のアパート。
「あれか。幸の親友がいるのは。ユッキーとか言うたかな」
思い出したのか、三毛が少し笑みを浮かべる。
「ちょっと怒りっぽいけど良い人だよ」
いたずらげになよが笑みを浮かべた。
「それはカルシウムが足らないせいじゃな。三毛、黒。呼ぶまでここで待っておれ。油断はするな。奴らはわしらの一挙手一とうそくを注視しておるぞ」
黒が慌てて言った。
「ユッキーをいじめたらだめだよ」
「わかっておるわ。わし流の挨拶をするだけよ」
なよは声を出して笑うと一人歩きだした。


「よう、童(わっぱ)。そんな俯いておったら、鬼に食われるぞ」
事務所入り口にある硝子戸の手前で、なよが声をかける、そして、にたりと凄みのある笑みを浮かべた。
「く、来るな」
事務所の壁に背を預け、くたびれ果てたように座り込んでいたユッキーが顔を上げる。赤く目を腫らした顔のまま、大声で叫んだ。
「来るなぁ」
重い拳銃を両手で掴み、なよに銃口を向けた。
「困ったのう、わしは少々天邪鬼でな、来るなといわれると行きとうなる。ちと、お邪魔するかな」
「来るな。来ないでくれよぉ」
どれほど、涙を流したのだろう、それでも、涸れることなくユッキーの両の眼から涙が流れ、唇が震える。
「仕方ないのう、なら、来いと叫べ。ならば、退散も考えよう」
唖然とした顔でユッキーがなよを見つめる。
そして、小さく呟いた。
「来い・・・」
「ん、何か言うたかな」
ユッキーが叫んだ。
「来い」
なよはにっと笑うと、硝子戸に手をかけた。
「では、お言葉に甘えてお邪魔するかな」
あっさりとなよが事務所に入った。
「な、なんだよ。帰るって言ったろう」
「ふむ。帰っても良かったんじゃが、ま、折角、来てくれというのを断るのも悪いかと思うての」
がくがくと銃口が上下に震える。
「ば、馬鹿にしやがって」
ユッキーが震える口元をそのままに、なよを睨みつけた。
なよが嬉しくてたまらないと声を上げて笑った。
「さあ、どうする。ひょっとしたら、わしはお前を助けに来たかもしれんし、もしかしたら、うまそうじゃ、食ってやろうと来たかもしれんぞ。さあ、どうする」
「撃ってやる、穴だらけにしてやる」
ユッキーが叫んだ。
その声に、なよは得意満辺に笑みを浮かべた。
「感情を制し、撃つか、撃たぬか、理性で判断せい」
一歩、なよが足を進めた。ユッキーはなよを睨んだが、ふっと力を抜くと拳銃を落とし、俯いてしまった。
「まだ、空き缶しか撃ったことがないんだ」
すっと、なよは近づくと、力強くユッキーを抱き締め、囁いた。
「心配するな。わしは敵ではないぞ。ただ、意地悪なだけじゃ」
なよは笑うと、同じように壁を背に、ユッキーの隣りに座った。
「他には誰もおらんのか」
「アパートに住んでいた奴らはみんな鬼に食われてしまったし、マス爺さんは故郷に帰っているし、とっつあんは香港で足止め食らっているし」
「とっつあんというのは、お前の父親か」
「あぁ」
「裏の世界の住人じゃな。この事務所にだけ結界が張ってある」
ふと、なよは天井、いぬとらの角を眺めた。
「なるほど、暗殺寺の作った結界じゃな。印がしてある」
なよは片手を伸ばすと、ユッキーの肩をしっかりと抱いた。
「鬼が押し寄せて来たろう、中から撃っていたら結界も割れてしまう。びびって小便ちびるくらいがちょうど良いわ」
「ちびってなんかいねぇ」
「あぁ。なら、そういうことにしておこう」
なよはいたずらげに笑みを浮かべた。
はっと気づいたようにユッキーがなよの顔を見つめた。
「あんた、誰なんだ」
「わしか。わしは・・・、おぉ、そうじゃ。奴らを忘れておった」
なよは正面を向き声をかけた。
「黒、三毛、来い」
言葉が終わらないうちに、二人があたふたと駆けて来た、事務所に入り、ユッキーに笑みを浮かべる。
「ユッキー、久しぶり」
黒が挨拶をすると、隣りで三毛も笑みを浮かべた。
「お久しぶりです、ユッキーさん。昨晩は大変だったようですね」
「ってことは」
驚いて、ユッキーがなよを見つめた。
「わしは奴らの母親の姉、なよと云う。よろしくな。本来なら妹が来るのじゃが、ちと、患っておっての、わしが代わりにやって来たということじゃ」
「あいつ、病気なのか」
心配げになよに尋ねた。なよは重い吐息を一つ漏らすと呟いた。
「峠はとうに越して、元気じゃが、姿形が随分変わってしもうての。めったに外には出おらん」
なよが沈痛な面持ちでユッキーを見つめる。。
黒が慌てて言った。
「どんな姿になっても、母さんは母さんだよ」
「黒姉ちゃん、その言い方は誤解を招きます、なよ姉さんも面白い方へと話を持って行こうとしているでしょう」
いひひとなよが笑った。
「これも、幸が元気であればこそじゃ」
なよは愉快にユッキーを見つめた。
「よう、親友が病気で心配したか」
「心配なんかしていねえ」
ユッキーがそっぽを向くのを、面白そうに眺める。
「そうじゃ、ユッキー。父さんが預けた荷物があるじゃろう。いくらか、持ち帰りたいのじゃがな」
ユッキーはふいっと立ち上がると、引き出しから鍵を取り出した。
「工場の裏手に倉庫がある」
「そうか。三毛、鍵を受け取れ」
慌てて、三毛が鍵を両手で受け取った。
「黒、聞いたぞ。お前、あさぎと買い物に出た時、タコ焼きをいらぬと言ったらしいな」
「え。あれは、だって・・・」
黒が俯き、言いよどんだ。
「いらぬことを言いおって。わしがうまいタコ焼きを食いそこねたではないか」
「でも」
珍しく黒が不安げに言葉を返す。
「学校、通わせてもらって、いっぱい、お金を使ってくれているし。だから」
なよは立ち上がると、黒をぎゅっと抱き締めた。
「わしも幸もあさぎも働いておる、心配するでないわ」
なよは笑うと事務椅子に座った。
「幸が父さんと旅をしておったのは聞いておろう。その時のタコ焼きの屋台がここにあるらしい。持って帰ってタコ焼き食い放題じゃ」
「いやっほぉ」
黒が歓声を上げて飛び上がった。
「行くぞ、三毛」
「はいっ」
黒と三毛が飛び出して行くのを、なよが楽しそうに眺める。
「面白い奴らじゃのう。初めて会うたとき、意地悪し過ぎたかのう」
なよは立ち上がると、ユッキーに声をかけた。
「さてと、ユッキー。わしが鬼と戦うのを見ておけ」
「何言ってんだ。殺されてしまうぞ」
目を見開いてユッキーが叫んだ。
「奴らも戻ってこさせないと大変だ」
目の前になよがいない。ユッキーが入り口を見ると、既になよが硝子戸の向こうに立っていた。
慌てて、ユッキーも飛び出す。
「なんて、無茶なんだ」
なよは平然とした顔で竹林の一角を眺めていた。
ユッキーがなよの横に立った時、ふっとなよの表情が視野に入った、なんて・・・
先程までの一升瓶を片手に好き勝手言っていた人間と同一人物なのか。
なんて、哀しげな眼をしているのだろう。
真っすぐに立ち、正面を見つめる、その横顔。
近所のスーパーに買い物に来た程度の質素な服装に、足元は素足につっかけ。それなのに、高貴な気高さを感じる。
「ユッキーはわしを撃たなかったな。それは、裏の人間としては失格じゃが、わしは妹の友人にそんな人間がいることをな、羨ましく思っている。そしてな、わしはそういう奴をちっとは守ってやろうと思う」
前方の風景が不自然に歪んだ。歪みの中から抜け出すように、鬼が一人、二人と現れだし、十一人の鬼が目の前に現れた。武装し迷彩の戦闘服を身に纏った鬼の一群。
「人を辞めて悔いはないか」
静かになよが問うた。
「悔いはない、それどころか歓喜に満ちているさ。鬼の姫よ」
「なるほど、わしのことは承知ででてきたわけか」
なよはつまらなそうに呟くと、その前で、平気でしゃがみ、小さな親指ほどの小石を拾い立ち上がった。
「わしを前にした時は無条件に逃亡せよとは教わらなかったか、ひよっこども」
「そんなことを言う鬼もいたな。俺達、戦闘のプロが鬼になったということを理解できなかったのだろう」
「これからどうするつもりじゃ」
「しばらくはここに身を潜める。機を見てこの国を転覆させてみせるさ」
なよは溜息を漏らすと、初めて、にたぁっと笑った。
「がきじゃのう。身のほど知らずのがきにはお仕置きじゃな」
なよは眼の高さに小石を摘まんだまま手を上げると、その手を開いた。小石がふわっと浮かぶ。
「始める。おのれの生命を賭けて戦ってみるがいいぞ」
一瞬で十一人の鬼が扇型に陣を展開した。
中央の鬼の喉が微かに緊張する、号令を掛けようとする、その瞬間、鬼の額に小石が張付いた、その小石が鬼の額を窪ませ、入り込んで行く。
「うわぁぁっ」
鬼が悲鳴を上げた、他の鬼達の意識がその悲鳴に引き寄せられた。
「素人以下じゃな」
なよが舞うように、鬼達の首を刎ねて行く。
ユッキーは、ぼぉっと口を開けたまま、目の前の現実を受け入れ切れずにいた。なよが緩やかに舞うように腕を上げ、そして降ろす。そして、鬼達の頭が首の上から落ちて行く、肩の付け根から、脇へと赤い筋が吹き出し、その首が眼を見開き落ちて行く、あっけないほど簡単に落ちて行く。
真ん中の一人を除いて、屍と果ててしまった。
「わしはのう、お前らが憎くて憎くてしょうがないのじゃ」
なよが静かに呟くのと同時に、小石が鬼の額を貫き飛んで行った。どさっと音を立て、最後の鬼が倒れる。
「うわわぁぁっ」
ユッキーが叫んだ。
「お前、なに殺してんだよ、お仕置きじゃなかったのかよ」
なよがにかっと笑った。
「ちと、力みすぎたかのう。ま、こういうこともあるわい」
「あいつら、元は人間だったんじゃないのか」
「そうじゃな、自衛隊の隊員じゃ。鬼神化特殊部隊とかいうらしい。この国のお偉方は人を鬼に変えて、他国に攻め込むための準備をしていたらしいな。計算は狂ったようじゃがの」
「なんてことだよ」
ユッキーが地面に座り込んでしまった。
なよも隣りに座ると、ほっと吐息を漏らした。
「ユッキーは面白い奴じゃな。人として、真っ当な見識の持ち主なのかもしれぬ」
「政見放送からこっち、なにがなんだかわからねぇんだ」
ユッキーが呟く。
「じっくり考えろ」
面白そうになよが答えた。そして、ふと思いついたように声を掛ける。
「ユッキー。電話を貸せ、携帯電話じゃ」
仕方なさそうに、ユッキーが携帯電話を差し出す。
「ん、一回百円」
「ほい」
素直になよが百円玉をユッキーの手のひらに載せた。
思わず、えっ・・・と、ユッキーがなよの横顔を見つめた。
「あんた。不思議な奴だな」
「可愛い妹の親友じゃ。ユッキーもわしのことをなよと呼べ」
なよは気にするふうもなく、番号を押す。電話が繋がった。
「ホンケか。わしじゃ、白澤猫に代われ。なんじゃ、お前は頭が悪いのか、この国であやつを猫と呼べるものがどれほどおる、ましてや可愛い女の子の声とあれば決まっておろう。ならば伝えろ、鬼の回収に来いとな、あん、場所は電波の発信地を読み取れ、所番地までは知らん。十分で、いや、五分で来い、よいな」
なよは電話を終えると、ユッキーに携帯電話を返した。
「あんた。いや、なよさんは何処に電話を掛けたんだ」
「鬼の死体を回収させようと思うてな、国から依頼受けてをいる組織に電話したのじゃ。電話一本で便利じゃのう」
ユッキーはしばらくの間、うーんと俯いて考えていたが、おそるおそるとなよに尋ねた。
「大丈夫なのか、それって」
なよが嬉しそうににんまりと笑った。
「大丈夫なわけなかろう」
「だよな・・・」
がくっとユッキーがうなだれる。
「国はのう、出来ればあの放送をなかったことにしたいと願っておる。他の国との通商に障害があるからのう。特にキリスト教圏の国に対して、人間の姿に角が生えているとあらば、それはもう絶対的な拒絶となるであろうな。じゃから、鬼の痕跡は跡形もなく消したい、昔話の中だけに留め置きたいと方針転換をしたというわけじゃ」
「俺達もその痕跡というやつなんだろう」
「もちろんじゃ。ユッキー、どうじゃ、わくわくせんか」
「あんたの頭の中がわからねぇ」
「人生とは壁を乗り越え、成長して行くものよ。お、来たぞ」
なよが正面を向いた。
一陣の風が駆け抜けた。一瞬、眼をつぶり、ユッキーがおそるおそる目を開けた時、大きなパネルトラックが一台、火炎放射器、いや、逆だ、液体窒素で鬼の死体を冷却し凍らせている一群、そして、なよの前には三十路近くに見える女、白澤がしかめ面でなよを睨んでいた。
「あの生意気な口の利き様、やはりお前か。かぐやのなよ竹の姫」
「今更、姫は照れるのう。しかし、なんじゃ、その口の利き方は。わしは国賓、つまりは他国の女王や大統領と同じ扱いぞ。謹め」
「その国は鬼に滅ぼされたと聞く、ならば、今はただの不法入国者だろう。何処に消えたかと思っていたがこんなところにいたとはな」
「猫はきついのう。もう少し言葉の選びようがあろうに」
なよが重く溜息をつく。ユッキーが肘でなよをつつく。顔を寄せ、囁いた。
「おい、これって大丈夫なんだろうな。雲行きがあやしいじゃねえか」
「わしは抹殺。ユッキーは脳に細工をされてここしばらくの記憶を削除といったとこかのう。いやはや、まいった」
気楽に笑うなよにユッキーが呻いた。
「まいったじゃねぇ、この野郎」
噛みつかんばかりになよを睨みつけたが、仕方ないと気持ちを入れ替えると、ユッキーは白澤を見つめた。
「お願いです、お姉さん。なよさまを助けてあげてください」
一転、清らかな風が囁くような声がユッキーの唇からこぼれた。
「お前は・・・」
思ってもいなかった言葉に、白澤は少し身を引き、驚いたようにユッキーを見つめた。
ユッキーが膝を揃え、両手のひらをそっと合わせる。
「私が鬼に襲われるのをなよさまが助けてくださったのです。もしも、なよさまがおられなければ私は鬼に食い尽くされていたことでしょう。お願いです、おねえさま、なよさまをどうぞお助けくださいませ」
瞳を潤ませ、白澤を見つめる。
「いや、お嬢さん。こいつは根っからの悪人なのだ。君を助けたのもただの気まぐれに違いない。奴のことなど、気にしなくていいのだよ」
微かに焦る。同性でも、この儚き清らかさに、思わず頬が火照ってしまう。ユッキーは、その焦る言葉にここぞと、白澤の手を両手で包み、力強く握った。
「私を救い出してくださったなよさまは決して悪いお方ではありません。どうぞ、どうぞ、おねえさま、私の言葉を受け入れてくださいませ」
ユッキーの両の目から、はらはらと涙がこぼれる、その瞳に見つめられ、白澤は動けなくなってしまった。
なよが重々しく、まるで自分自身に語りかけるよう呟いた。
「わかるであろう。わしらは裏の政治の世界で騙し騙され力を得て来たが、その間に、大事なものを随分と失って来てしもうた。その失ったものをこうも見せつけられてしまってはのう、辛くてしょうがないわ。せめてな、善い人の振りでもせねば仕方あるまい」
白澤はぎゅっとユッキーの手を握り締めるとゆっくりと手を離し、背を向けた。
そして、大声で叫ぶ。
「回収はすんだか」
「すべて完了致しました」
「よし、撤収するぞ」

白澤は冷凍車の助手席に座ると、なよに言った。
「かぐやのなよ竹の姫。次はないと思えよ」
「あぁ、承知した」
ユッキーはなよの隣りで、正座すると、目をつぶり、両の手のひらを重ね、合掌する。そして、そっと頭を垂れた。
白澤は微かに笑みを浮かべると、虚空に印を描く。かき消すように車諸共消えてしまった。

「行ったか」
ユッキーが合掌したまま、囁いた。
「行ったぞ。完全に気配が消えた」
うわぁぁっ、ユッキーは大声を上げると、仰向けに寝転がった。
「疲れた、やってらんねぇ」
なよは面白そうにユッキーを眺めた。
「恵まれた才能じゃな。ユッキーに助けてもろうた、ありがとうな」
「自分が助かりたいからしただけだ」
ユッキーの言葉に、なよがくすぐったそうに笑った。
「なよさん。あんた、切れるカード、何枚も持っているだろう」
つまらなそうにユッキーが言った。
「妹の親友を危機にさらすわけにも行くまい」
あっさりとなよは認めると立ち上がった。
「奴らのせいで、ちと冷えるのう」
なよは、仰向けに寝転ぶユッキーの横に足を崩して座ると、少し抱き上げ、自分の膝を枕代りに寝かせた。そして、両腕で優しく抱き締める。
「なんだよ」
「寒さしのぎの湯たんぽがわりじゃ、静かにしとれ」
「ガキ扱いしやがって」
正面を向いたまま、ユッキーが呟く。
「子供は体温が高いからのう、ちょうど、いいわい」
なよがそっとユッキーの耳元に顔を寄せ囁いた。
「たまにはゆっくりせい。そんなに角張っておると、体も心もへとへとになってしまうぞ」
「余計なお世話だ」
「お前はとっあんが好きなのか」
「嫌いじゃねぇけどな」
「お前が角張っていると相手も角張ってしまう。お前が丸ければ、相手も丸くいられるというものだ」
「だって・・・」
心なしか、ユッキーが言葉弱く反論する。
「ここに住んでいた何人かの男共も鬼に食われてしもうた、角張って、ハリネズミのように他を近づけまいと威嚇する必要は随分と減ったじゃろう。いずれはお主のとっつあんも戻って来る、それなりの日常が戻るであろう。良い機会ではないかな」
なよの膝にユッキーが頭を押し付ける。
「どんなに頑張っても男の腕力にかなわねえよ。あんたみたいに強かないんだ」
なよは腕に力を込め、頬をそっと寄せた。
「いくら強くなっても上には上がおるものよ。ここに鬼が現れ始めたのは放送の前後であったろう。早々に街にでも逃げ出せば、誰も殺されずに済んだであろうし、ユッキーも恐怖に震えずに済んだ。つまりは、鬼に腕力では勝てなくとも、危険を早期に感じ、適切な判断ができれば、生き残れるということじゃ。わかるか」
そっとユッキーが頷いた。
「角張った体と心では逃げることもできんぞ」
囁くように言うと、ユッキーの左手をなよは両手で包み込むように重ねた。
そして手を離すと、ユッキーの左手首に白い絹の帯が巻かれていた。
「それが必要が無くなるまで、ユッキーに付けておいてやろう」
「これは」
「気休めの呪いじゃ」
楽しそうになよは笑うと、軽くユッキーの頭を二度軽く叩く。
「幸い、幸い」
ユッキーは安心したかのように、委ねるように力を抜き、少し笑みを浮かべたが、はっと目を覚まし、飛び上がった。
「黒と三毛。大丈夫か見て来る」
「そういえば、全く顔をださんかったのう」
なよも立ち上がり、二人で工場の裏手に回ると、タコ焼きの屋台に夢中になっている二人がいた。

「黒姉ちゃん、コンロは大丈夫だよ」
屋台の下に潜り込んでいた三毛がはいだす。黒はタコ焼きを焼く鉄板を熱心に磨いていた。
「今晩、使えそうだな」
黒が一心に磨きながら、答えた。
なよは楽しそうに笑うと二人に声をかけた。
「よぉ。うまいタコ焼きは焼けそうか」
黒がなよの声に気が付いた。
「大丈夫。美味しいのできるよ」
黒が幸せそうに笑みを浮かべた。
「台車つきですから、押して帰りましょう」
三毛も声を弾ませて言った。
「なよ姉さん。黒はね、タコ焼き屋さんをするよ、家の前でね」
「そうか。商売繁盛じゃな」
ユッキーがなよの後ろで驚いて言った。
「お前ら、ずっと屋台の掃除をしていたのかよ」
黒がにっと笑った。
「楽しいよ。こういう掃除ならいくらでもできるよ」
黒の言葉に呆れたようにユッキーが笑った。

「そうじゃ、黒。白を呼べ。わしはとっつあんとやらが帰って来るまで、ここにおろう。白と一緒ならすぐに家に帰れるじゃろう」
黒は頷くと大声で叫んだ。
「おおい。白、おいで」
黒の視線の先、微かに霞が生じ、その中から白が飛び出してきた。
「黒姉ちゃん、来たよ」
あっと白がユッキーに気づいた。
「ユッキー、久しぶり」
白がユッキーに抱き着く。
「元気にしてましたか」
「ああ、元気だ」
いたずらげになよが何か言おうとするのを、慌ててユッキーが制する。
なよは笑うと、白に言った。
「先に三人で屋台を引っ張って帰れ」
「はい」
白は頷くと、屋台の前に立った。その後ろに三毛。黒は後ろから屋台を押す。
なよが厳かな口調で言った。
「ユッキー、油性のマジックを持って来い」
「は・・・、はい」
ユッキーは自分でも不思議なほど、素直に返事をして、作業場の片隅から油性のマジックペンを持ってくる。なよは、緩やかにそれを受け取ると、屋台に記号のような絵を描いた。
丸の下に上下に長い楕円形、髪を伸ばすことで、なにやら女の子に見える。
「難しいのぉ、絵を描くというのは。まっ、気分じゃな」
なよは、マジックペンをユッキーに返すと、白に言った。
「本物はこの絵の百倍は可愛いのじゃがのう、まっ、それでも、わしの依り代じゃ。白、花魁道中の儀を使うことを認める」

「花魁道中の儀 発」
白が緊張気味に叫ぶと、それを合図に三毛と黒が、しゃんしゃんと口々に言う。ゆっくりと進み出し、三人がとけるように消えた。
「なんでもありだな、あいつら」
ユッキーが呟いた。
「奴らは一人ではさほどではないが、三人よれば、わしでもかなわんかもしれんな」
なよは笑うと、ユッキーに言った。
「事務所に弁当がある、腹が減ったじゃろう」

「美味いなぁ、これ」
溜息まじりにユッキーが呟く。
「なよさん。これ、本当に美味しいよ」
ユッキーは事務机に置いたお弁当から、卵焼きを食べ、しみじみと言った。
なよは大吟醸片手にコップ酒、はぁっと気持ち良さそうに息を吐いた。
「そうじゃろう、三女のあさぎは真剣に料理を作るからのう」
「本当に全部食べていいのか」
「わしはこの大吟醸を全身全霊で味わっておるからな。ん・・・、なんじゃ、とっつあんにも食わしてやりたいと思っておるのか。良い子じゃな」
ユッキーは顔を赤くすると、慌ててかぶりを振った。
「別にそんなんじゃねえよ」
なよはくすぐったそうに笑うと、事務椅子に座り、窓から外を眺めた。
「良い天気、行楽日和じゃなぁ。あれは・・・」
なよが少し目を見開き、遠くを見つめる。
「とっつあんというのは、四角張った顔にがたいが良く、これまた、真っ黒の大きな四角張った車に乗っているのかのう」
「あぁ、そうだけど」
「恐ろしい形相で車をとばしておる。十五分程度で車の音が聞こえだすぞ」
「ほ、本当か」
「なんじゃ。急に嬉しそうにしおって」
なよは笑うと、酒瓶を置き、ゆらりと立ち上がった。
「ちと、出迎えてやるかな」
なよは事務所の外の出ると、壁にもたれ掛かって両腕を組む。慌てて、ユッキーも隣に立った。
「どうじゃ、ユッキー。お父様、お帰りなさいませとか言うてみんか」
「そ、そんな、恥ずかしいこと言えねぇ」
なよは静かに笑みを浮かべる、そして、ユッキーの顔をじっと見つめた。
「わしはユッキーの生い立ちを知らんし、どういう生活をしてきたかも知らん。ただ、わしはユッキーを気に入ったし、そのユッキーが、これ以上、性格が曲がらぬよう生きて行けば良いなぁと思う。ま、考えておけ」
微かな地鳴りとエンジン音が響きだした。
漆黒の巨体が唸りを上げる。一気に加速し、距離を狭める。
急ブレーキと共に四角い男が飛び出し、銃口をなよに突き付けた。
凄まじい気迫と速さだ。
「とっつあん、待ってくれ。この人が鬼から助けてくれたんだ」
ユッキーが叫んだ。
「女が鬼をだと。何者だ」
なよは凄みのある笑みを浮かべると、低く呟いた。
「十一人の鬼をわしが殺した。その方が分け前が増えるからな。こんな美味そうな子を分けてはもったいないではないか」
瞬間、銃声が二つ、なよの胸から血が吹き出し、崩れるように倒れる。
「うわあぁぁ」
ユッキーが悲鳴を上げ、なよにしがみついた。
「どいていろ。止めを刺す」
必死になってユッキーがなよにしがみつく。
「なよさん、どうして。どうしてなんだよ」
苦しい息の下、なよが微かに笑みを浮かべた。
「この世界では迷わずに撃つ。それでなければ生き残れんぞ」
「そんな、そんな。やだよ、なよさん。うわぁぁ」
ユッキーが大声で叫んだ。
「さてと」
なよは呟くと、体を起こした。
「え、えっ。なよさん」
「ユッキー。工場でなにか細長い棒を探して来い。わしがこの程度で死ぬか」
「え、あ。う、うん」
ユッキーが工場へ駆け出した。
呆れたように男がなよを見つめる。なよは顔を上げると、人差し指を男の顔に向け、くっと下を指す。まるで重いものに押し潰されたように男がうずくまった。
「わしを見下ろして良いのは父さんだけじゃ」
なよは座り直すとなにごともなかったように笑った。
「よう、童(わっぱ)。余程、娘が心配だったようじゃのう」
危険がないことを察知したのか、男も体を起こすと胡座をかく。
「もう一度聞く、何者だ」
「お前、賞金稼ぎもやっておろう。ならば、わしの顔、見覚えあろう、この国はわしに十億の賞金を掛けたと聞くぞ」
男はあっと声を漏らした。
「かぐやのなよ竹の姫」
「こんななりをしておるが、一国の女王としての気品に満ちあふれておろう」
なよが笑った時、ユッキーが細長いマイナスドライバーを持って戻って来た。
「こ、これでいいかな」
「上等じゃ」
なよは受け取ると、指先でくっとマイナスドライバーの先を曲げる。そして、胸の銃孔にドライバーを差し込んだ。
「痛っ、たたっ。この程度では死にはせんが人並みに痛くはあるのじゃ。ユッキー、酒を持って来てくれ」
「はっ、消毒だな」
ユッキーは事務所に飛び込むと、酒瓶を持って来た。
なよは受け取ると、がぶ飲みをする。
「酒で洗って消毒するんじゃないのかよ」
「そんなもったいないことができるか、ユッキーは恐ろしいことを言うのう。酒は麻酔の代わりに飲むだけじゃ」
やっとのことで銃弾を取り出すと、なよは酒瓶を置き、改めて男を睨んだ。
「ほんにユッキーのとっつあんは朴念仁じゃのう、可愛い女の子の機知にとんだ冗談を真に受けおって」
「最悪の冗談をじゃねえか」
ユッキーの抗議になよは嬉しそうに笑った。
「さて、とっつあん。わしは魚屋 魚弦で金土とアルバイトをしておる。じゃから、月火とユッキーの家庭教師をしてやろう。勉学はもちろん、立ち居振舞い教養も身につけさせ、そのうち、とっつあんもお父様と呼んでもらえるようになるぞ」
「勝手なこと言うんじゃねえ」
ユッキーが叫ぶのを、なよは左腕をその首に絡ませ、顔を寄せた。
「未来への選択肢を増やしてやろうというのじゃ。学校にも行っておらんじゃろう」
「人の多いところは好かねぇんだ」
ユッキーが顔を背けるのを見て、男が口を開いた。
「よろしく頼む」
「なんでだよ、とっつあん」
男はユッキーをぎろっと睨み言った。
「俺には責任がある、それだけだ」
「よし、決まった」
なよは声を上げると、ゆっくりと立ち上がった。
「さて、帰って、幸に傷を治してもらわねばならん」
なよは一歩踏み出したが、微かにふらついた。
「血が流れすぎたか、それとも、久振りの天水、ちと、酔ったかのう」
右手の酒瓶を眺める。なよは、酒が残っていないのを見ると、ぐっと酒瓶を持ち上げ、滴も残すまいとラッパのみをした。そして、酒瓶を降ろす。
「ではな」
ゆっくりと歩き出す、数歩してなよの姿が消えた。
呆然とユッキーはなよを見送ったが、慌てて、なよの消えた辺りに走る。
「これって、なんだよ。帰ったってことかよ」
「そういうことだ、俺は車をガレージに入れてくる」
立ち上がると、車の元へ戻っていった。
「うわぁぁっ、勝手な奴らばっかりじゃねぇかよ」
ユッキー叫び声がこだました。

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