001:跳ぶ前に見たかい?


 カルロ・アンチェロッティである。

 シウヴァ解任後、取り沙汰された監督候補の中にモウリーニョだのシメオネだのポチェッティーノだの、大物の名前が混じるたびにクラブオーナーの叶わぬ希望を想って一笑に付し、現地サポのBring back Moyesを溜息交じりで眺めるここ数年毎度おなじみ繰り返されてきた光景、だったはずなのだ。

 クラブは降格圏から僅か3ポイントの16位。成績的にも最早「古格」以外に誇れるものの無いクラブが招聘できるのは、せいぜい同じくPLボトムハーフに沈むクラブからの引き抜きか、欧州で台頭し始めた若手しかいないだろう。そう高を括っていたのは決して私だけではないはずだ。

 ところが、我らが新監督はアンチェロッティである。本当に決まってしまった。「アンチェロッティのエヴァートン」である。

 CL制覇3回、欧州五大リーグのうち4ヵ国を制し(リーガ・エスパニョーラのみバルセロナの前に最高2位)、国内カップも数多のトロフィーを手中にしてきた、押しも押されぬ超一流監督だ

 そんな超一流がエヴァートンに来るには、幾つかの予期せぬ幸運があった。そして黒幕がいた。

 まずはナポリ解任のタイミング。CL快勝数時間後の解任。リーグ7位の不振の責を負ってのものだが、エヴァートンとしては後任探しが手詰まりになって「モイーズ…」という単語が喉から出かかっていたタイミングで、超大物がフリーになった。

(話は逸れるが、そもそも「7位で不振の責任をとり解任」がよく分からない。7位を不振と捉える「概念」が、私を含め、少なくともPL以降のエヴァートンファンには存在しないだろう。実際、PLで7位で解任されたエヴァートンの監督もまた存在しないのだ。)

 さらに、解任直後から交渉していたアーセナルとの破断も幸運だった。一部報道ではほぼ決まりかけていたのを、アーセナル側から突然交渉中止してきたらしい。アルテタ脈ありで急旋回したのかもしれない。そしてモイーズしか脈のなかったエヴァートンがここぞとばかりにオファーした。

 アンチェロッティはエヴァートンからオファーを受けた際、様々な「保証」を要求したと伝わる。潤沢な選手獲得資金、契約に影響されない自由な選手起用、ケーンの残留等。アンチェロッティも馬鹿ではない。エヴァートンの財政状況だって耳にはしてるだろう。自分への報酬含め、「私の要求に耐えうる金はあるのか」とカマをかけたのである。

 その問いに対するモシリの回答として、黒幕が姿を現す。

 ロシア人実業家アリシェル・ウスマノフ。アーセナルで筆頭株主クロエンケと常に対立しつつ永らく持っていた株をそのにっくき共同経営者にすべて売り払い、フットボールクラブ経営から退いたかに見えたビリオネアである。モシリのビジネスパートナー(というか上司)として、フィンチファームの命名権を買い(USM)、息のかかった企業(Megafon)をスポンサーに送り込むなど、「友人の仕事を手助けしたい」格好でその存在は常にモシリの影で蠢いていた。そして今回アンチェロッティがロンドンに来る直前、イタリアでウスマノフと会談したとの報道があった。

 「友人のビジネスを助けてほしい」とアンチェロッティにお願いしたのだろうか。

 いや、そんなナイーブなものではないだろう。多分ウスマノフは、アンチェロッティの要求に対して満額の回答をした。その上で「友人のビジネスを助けてほしい」といったわけだ。

 上記の推測は、おそらく今後証明される。ウスマノフがどういう形でエヴァートンに資金注入してくるかは定かではない。直接「共同オーナー」として乗り込んでくるかもしれないし、スポンサーとしてさらに自分の息のかかった企業を送り込んでくるかもしれない。もしくは、FFPだの健全経営などの「枠外」からなされるのかもしれない。

 いずれにしろ、今回の件ではっきりしたのは、我らがエヴァートンの「真の」オーナーは、ここ数季で持ち株を増やし実質的な裁量権をすべて手に入れたファルファド・モシリ「だけ」ではないのかもしれない、ということだ。

 では何故、わざわざウスマノフがアンチェロッティと対面し、彼を信用させるために、モシリ体制を裏書きして自ら「保証」を与える必要があったのか。

ここでモシリがエヴァートンのオーナーとして着任後、彼が取捨選択してきた監督の顔ぶれを振り返りたい。

 まずはロベルト・マルティネスの解任。2年連続でボトムハーフに沈んでいたものの、カップ戦では準決勝まで駒を進めたマルティネスを、一部選手と多くのファンの声に応える形で解任し、自らの到来を宣言した。

 そして彼が後任に選んだのがロベルト・クーマンである。モデルはトッテナムだ。サウサンプトンで名を挙げたポチェッティーノが、より強いスカッドを与えられスパーズをCLに導いた姿に追随したのである。そこに前任者からの継続性は殆どなかった。実際、マルティネス期の唯一の遺産として継承したルカク中心のチームを作り上げたクーマンは、7位でEL出場権を手にした。

 これに気をよくしたモシリは、短期でチームを一気に引き上げるプランに出た。前年レスター優勝の陰の立役者となったスティーブ・ウォルシュをFDに引き抜き、斯くして17/18キャッシュ・スプラッシュの夏が幕を開ける。ルカクとバークリーの穴など埋める気もないような、「見る前に跳べ」とばかりの大盤振る舞いの果ての惨状はご存知の通り。10月に早くも残留争いに巻き込まれそうになったところでクーマンをあっさり切り、次の見立てもないままアンスワース暫定監督も奮わず、窮地に陥ってパニックになったモシリにウォルシュがささやく。

 「アラダイス」

 当時モシリはワトフォードを好調に導く若手監督を欲しがったが、シーズン途中で無理とわかると、その悪魔の囁きに屈した。ウォルシュの獲得選手のタレントに合致したアラダイス独自のフットボールは、戦術深化、若手の成長、選手の能力拡張その他、何一つチームにもたらさず、ただ8位という結果だけを残した。その結果だけをもってあと1年の任期延長があるとアラダイスは踏んだが、モシリはまたもファンの声に応え、アラダイスとウォルシュをまとめて解任した。

 そして半年越しに意中の監督を手に入れる。マルコ・シウヴァ。若くモダンな戦術を有する監督に加え、ウォルシュ解任後に今度は欧州に名を轟かすFDマルセル・ブランズをDoFとして引き抜いた。勿論、またもや監督もFDも前任者からの志向の継続性は皆無と言っていい。だがモシリは失敗から少し学んだ。若い監督、若手を好む有能なFD。新スタジアム建設もある。少し長期的に事を構えようという意識が、シウヴァ&ブランズというチョイスからは垣間見える。

 しかし、歴史は割と早めに繰り返される。わずか1年半後、17/18とまったく同じ状況が訪れた。

 18/19は、好不調の波はあったものの、前年からの回復期としては及第点だった。選手獲得も当たった。だがそんなシーズンにあって、今季の低迷を孕む一つの出来事があった。ブランズの経営幹部入りだ。それまで選手獲得にしても育成方針にしても「二人が同等の権利を持つ。どちらかがノーと言えば、ノーだ」というシウヴァとブランズの関係性がここで変容した。19/20の夏にそれは決定的になる。

 「シウヴァの意向で獲得された選手はアンドレ・ゴメスだけだった」という証言がある。

 「シウヴァが提出したFW獲得希望リストにモイス・ケーンの名前はなかった」という報道もある。

 経営幹部から課された「ELCL出場」という短期目標に、望み通りではない選手獲得。
こうして若く有能な監督は苦悩に追い込まれる。シーズンが始まり、そこに負傷欠場とVARによる不運な判定が重なる。そうして残留争いに巻き込まれたシウヴァを、モシリはやはり次の当てのないまま解任した。

 さて、ここまで見てきて、モシリの決断とクラブ運営はどうだろう。少なくとも、私個人は戦慄する。その継続性と一貫性と戦略の無さに。

 まさに「見る前に跳べ」だ。

 モシリのやってきたことにホップ、ステップはない。いきなりの「ジャンプ」の連続だ。
しかもその「ジャンプ」は常に失敗続きである。だからもう一人のビリオネアの「保証」が必要になったわけだ。

今回のアンチェロッティ招聘はその「ジャンプ」の極みと言えよう。

 だがその「ジャンプ」はまた失敗するだろうか。一部には、アンチェロッティは一流選手のいる超強豪チームを巧くコントロールして名声を挙げてきた監督だから、エヴァートンのようなそこまでの格のない選手とチームには合わない、という意見がある。確かに一理あるかもしれない。

 だが、それでもアンチェロッティはエヴァートンで「失敗」しないと、私は見ている。それは「失敗」と見做された直近のナポリでの数字を見ても、何一つ不安要素がないからだ。

 昨季のナポリの主要スタッツは以下の通り。

・平均ポゼッション率 リーグ2位

・総得点数 リーグ2位

・総シュート数 リーグ1位

・平均xG リーグ2位

・平均xGA リーグ19位

・ポゼッション時平均パス数 リーグ1位

 ナポリで採用していたフォーメーションは442を基本とし、ポゼッション時は一方のSBが上がり、もう一方は最終ラインに入る可変型の352、守備では練度の高いハイプレスを仕掛ける一方で、突破されれば素早く帰陣して堅固な442ラインブロックを形成する。この可変式442でCLではリバプールに2勝している。

 過去にアンチェロッティは率いるチームの選手と組み合わせによって、柔軟に布陣を変更してきた。ミランでは「クリスマスツリー」として有名な4321、チェルシーでは4231、レアル・マドリーでは433と使い分け、いずれのフォーメーションでも成果を残している。

 またアンチェロッティはここ20年の欧州サッカー界で、最も優れたplayer’s coachという評判がある。彼の選手時代の名声はWikipediaに譲るが、一流選手であったからこそ、選手の感情を理解し、そのコントロールの術も心得ている。現在エヴァートンにいる選手で、選手時代のアンチェロッティのレベルにある選手は一人もいない。だから、チームの人心掌握は容易に思われる。無冠中位の経験しかないベテランや強豪でスタメン取れずにやってきた選手らのリスペクトこそ大いに得るだろうが、サボタージュされることなど先ず無いだろう。

 年俸900万ポンド、全権を委ねられたチーム指揮、希望通りを約束された選手獲得。これら全面的なバックアップに加え、多彩な戦術適用と選手の人心掌握術で得てきた、数多の文句つけようのない実績。

 これ程の監督が、エヴァートンでかつての前任者たち同様の「失敗」を繰り返すだろうか。

 そもそもエヴァートンにおける「失敗」とはボトムハーフに沈むことであり、残留争いに巻き込まれることだ。上記スタッツを、その経験を、実績を見ても、アンチェロッティの手にかかれば、少なくともそんな「失敗」はしないと私は思う。与えられたリソースを全て活かし上手くいけば、3年内にPLでCL出場権争いに加わるかもしれない。最低でも常にトップハーフには位置するだろう。だから今回の「ジャンプ」は失敗の可能性は低いと思う。

 そう、我々が「7位」を失敗と見做さない限りは。

 「跳ぶ前に見たかい?」

 この至極まっとうな問いに、モシリはいつもこう応える。

 「大丈夫。金ならある」

 「大きく賭ければ、大きなリターンを得る」。それが、この度のアンチェロッティ招聘のモシリの真意だ。その「大ジャンプ」を可能にするのは、金だ。何度失敗しようともモシリは金を信じている。だって失敗したのは金ではない。金の使い途だから。

 だからモシリは見る前に跳ぶ。その着地点には、ぎっしりと札束が敷き詰められている。

 ここから、エヴァートンの変容が始まる。

【追記】

 今回のアンチェロッティ招聘にブランズがどんな役割を果たしたのか、情報が乏しい。私見では、モシリに言われるがままアンチェロッティにコンタクトを取って感触を得た時点で、ブランズは一昨季12月から準備していたという自らの後任候補リストなどシュレッダーにかけ、粛々とアンチェロッティとの契約取りまとめを目指したと思われる。ブランズとしても、これ程の大物と仕事するチャンスはそうないだろう。自身のキャリアを考えても、「アンチェロッティ&ブランズ」体制は魅力的なはずだ。

 そしてまたブランズ自らアンチェロッティ招聘を望んだかもしれない理由の一つに、前監督の欲しないままブランズ独断で獲得してきて、現状チームにフィットしてない「未来のイタリアのエース」を、同じ国の最高の監督がよく助けてくれるかもしれないという目論みもあるだろう。

 ケーンがアンチェロッティの下でフィットし成長して活躍すれば、それはブランズの名声を高めることにもなるのだから。

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