やっと彼女が僕の言うことを聞いて、僕の部屋に来てくれた。

 朝、駅で会って、お茶を呑んで、映画を見て、ご飯を食べて、ボーリングをして、散歩をしていたら、あっという間に夜になった。夜ご飯も一緒に食べていたら、彼女が「今日は卵の日になりそう」といったので、僕はなんとかして彼女の卵を孵したいと思って、じつは君のことがすごく好きなので、今日はずっといっしょにいたいということを、なるべく理路整然と、歴史的経緯を含めて、言葉を選んで、しかしながらものすごくへたくそに彼女に伝えた。身ぶり手ぶりで一生懸命に話しているうちに汗をかいていたようで、彼女は手を伸ばして僕の鼻の頭をハンカチでぬぐって、わかったからそんなに大声ださないで、といった。自分ではわからなかったが、ほかのテーブルの人が怪訝な顔をするほど、大きい声をあげていたらしかった。恥ずかしくなったが彼女の返事の方が気になった。僕がじっと彼女を見ていると、なによ、というので、いや返事を待っているのさ、というと、さっき『わかった』っていったじゃない、といった。わかったって?というと、『わかった』は『わかった』よ、わかんないの?、というので僕はすっかり混乱した。いっしょにいてくれるの?、と確認すると、だから、わかったって、と彼女はうんざりしたような顔をした。僕の頭に先日友達が教えてくれた「女の子は都合が悪くなるとウソをつく、ウソをつかないときもホントのことはいわない」という法則が思い浮かんだ。早速この法則をあてはめたけれど、結局ウソかホントか分からなかったので友達に少し腹が立った。


 レジでお金を払っている間も彼女のことが気になったのでちらちら見ていたけれど、彼女は窓ガラスを鏡にして髪の毛をなでつけたり、まつ毛をちょいちょいと丸めたり、ほっぺたのにきびをつっついたりしているだけで、いつもと変わりはなかった。お店を出ると、急に僕の腕に腕を巻きつけてきたので、思い切って、キスしていい、と聞いたら、おうちに帰ってからね、とことわられた。残念だったけれど、まあおうちに帰ってからできるからいいか、と思った。おうちってどこのことを言っているんだろうとも思ったが、あまり質問して彼女の気が変わるといけないので、おとなしくしていた。だから、彼女が僕の部屋に来てくれるんだ、と確信したのは、僕の駅で降りて月を見ながらアパートに向かってぶらぶら歩いてアパートの前の階段を上って部屋の前について扉を開けて彼女が靴を脱いで、下駄箱にしまった時だった。なぜなら、ちゃんと常識がある人ならば部屋に入るときには靴を脱ぐし、すぐ出ていくなら靴を下駄箱にしまわないし、ましてや靴をはかずに出ていくことはないからだ。


 彼女は部屋に入ると鼻をくんくんとさせて、よそのうちってよく変な匂いがするじゃない、といったが、あまり同意できないので黙っていると、だいじょうぶ、臭くないわ、男臭いだけ、といった。彼女のいう男臭さというのが何なのか分からなかったが、彼女はよく知っているようだったので、どういう匂いなの、とわざと軽く聞いてみると、何いってるの、あなたの匂いよ、と当たり前でしょという顔を返されたので、ちょっとでも変なことを考えた自分がうらめしかった。彼女は部屋のあちこちをチェックしながら、ベッドにぺたんと腰かけて、またきょろきょろしていた。僕のベッドに女の人のスカートがふわっと広がっている様子はけっこう感動的だった。天女の降臨といってもオオゲサじゃないと思った。血液型が AB 型の天女がいれば、の話だけれど。


 彼女がのどがかわいたといったので、誰かにもらった中国の産卵茶を淹れた。取っ手の折れたカップを両手で抱えながら、香ばしくておいしい、と彼女はいった。さっきまで彼女の顔がいつもよりもこわばって見えたけれど、お茶をすすっている今はとても穏やかで優しくて、なんだかほんとうの天女のようで、後光が見えた気がした。


 僕が思い切って彼女の隣に腰かけると、だめなのよ、ほんとは、こんなことしちゃ、というので、しかたなく床に座り直すと、彼女はとたんにバツの悪そうな顔をして、間違えちゃった、キスされてからのセリフを先に言っちゃった、テヘペロ、といったので、僕だけじゃなくて彼女もけっこうアガっているんだなあと思ったら気持ちが軽くなった。彼女が、やり直し、といったのでもう一度彼女の隣に腰かけると、彼女は僕の唇にぷんとキスをしてきた。思わず彼女を抱きしめると、だめなのよ、ほんとは、こんなことしちゃ、というので、さっき聞いたよ、といったら、うふふ、うまくいえた、といいながらもう一度キスしてくれた。今度はちょっとすごい感じのキスだった。女の子は鼻息もかわいいんだなあと思った。


 そのまま彼女とベッドでいちゃいちゃしていると、彼女がそろそろ来そうといったので、台所にいってボールを戸棚から出した。お湯は少しでいいのよ、と彼女が声をかけたので、コーヒーカップの水をチンして、半分くらいをボールにあけた。僕がボールをもって戻ってくると、彼女は、ちょっと待っててね、といってボールをもって、そろりそろりとバスルームの方に入っていった。残された僕はどきどきしながら待っていたが、彼女の「うんっ」という声とぽちゃぽちゃという音が聞こえたので、あ、生まれたっと思った。そのまましばらく何の音もしなかったが、やがて、彼女がボールをもって無事帰ってきた。彼女は、ボールを見せて「きれいに出たよ」といった。お湯の中には、乳白色の小さな珠が浮いていた。珠は、よく見ると、中央が白くなっていて、その周りを厚く透明な幕がおおっているのだった。


 お願いね、といわれて、僕が後ろを向いてごそごそ G パンを脱いでいると、彼女は僕の背中から手を伸ばしてきて僕をさすり始めた。とても上手にさすりながら、でそう?ときくので、うん、と返事をした。彼女がさすったり、あちこちをさわったりを繰り返しているとたまらない気持ちになってきて、僕が思わず、あ、でそう、というと彼女はさらに先っぽの方をぐりぐりとさすり始めたので、僕はネジが外れて変になりそうだった。彼女がぎゅっとにぎるのと同時に、種がちゅっと出てボールのお湯に奇妙な白い模様を描いた。僕は目の前がぐるぐる回るような心地になって彼女に寄りかかった。彼女は僕の頭をなでながら、えらいえらい、といって、またキスをしてくれた。それから彼女は台所からスプーンをもってきて、ボールの中身をスプーンでしばらくかき混ぜるとスプーンをペロリとなめてボールの脇に置き、ボールをかかげてこくんこくんと飲み干した。僕が、味はするの、とたずねると、彼女は口の端を手のひらでこすりながら、するときもあるけど今日はしない、といった。そしてそのまましばらく彼女は満足げにおなかをなでていた。遠くで電車が高架をわたる音がした。


 中国茶を沸かし直して二人でまた呑んだ。産卵茶ってほんとうに卵にいいのかしら、と彼女がいった。名前だけじゃないの、と僕がいうと、彼女はふうんといって納得したのかしないのかよくわからない顔をした。そしてもう一口お茶をすすって、でも、ほんと、香ばしくておいしいわ、と今度はしみじみと寛いだ顔をした。黙ってお茶を呑んでいると彼女が、ねえねえ、金魚の真似見たい?というので、見たい、というと、彼女は、見開いた眼を上目遣いにして口をパクパクと動かした。僕が思わず笑うと、やっと笑ったわ、ずっと顔がひきつってるんだもん、かわいそうになっちゃって、と彼女はいった。彼女は僕の頭を抱えると髪をなでながら、あなたは自分が思っているよりもいい人よ、弱虫だけど、好きよ、といってくれた。僕はさらに彼女のことが好きになってしまった。


 いつもの間にかすごい時間になっていたので慌てて寝ることにした。彼女は僕のパジャマを着てベッドに転がるとすぐに眠ってしまった。卵の日は女の人は見た目以上にくたくたになっているのだった。僕もくたくただったが、いろいろあったせいか眼がさえていた。朝からの出来事を思い出して、ああすればこうすればと考えたが、今のこの状況、つまり頭が良くて気まぐれでかわいい女の子が僕のベッドでくーくー寝息をたてている状況以上に望ましい状況はあり得ないという結論に達した。おなかがふくらんだ彼女はきっとすてきだろうなと僕は彼女の寝顔を見ながら、その姿を思い浮かべてうっとりとした。


 fin

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