破局

  一番親密だった嬢がまったく連絡をしてこなくなった。そのままひと月余りが過ぎ、もうお返事できませんというメッセージが来た。予期はしていたが少し胸が痛んだ。嫌われるような真似をしていたかというと否定も肯定もできない。陳腐な言い方だが合意があったように思うし、時に向こうからの予期せぬ寄りかかりもあった。共依存、最近は便利な言葉がある。
  体調が戻り切っていないがもやもやした気持ちを晴らすために店に行ってみた。真意を知りたいといえば格好がいいが僕は悪くないよねというのを裏書きしてもらいたいという下衆っぽい気持ちもあった。意志を貫くよりも悪者になりたくないと思ってしまうのが悪い癖だ。

  この嬢は商売未経験で初めての接客のときから過剰だった。こちらもさほど熟練というわけではないので状況に流されて嬢の接客流儀を受け入れていた。遊び慣れしている男ならばきちんと叱って作法を説いたと思う。それが結局は互いのためになるからだ。ところが我々の間には色恋のような様式にもはまらない妙に自然な親密さができてしまった。甘い蜜の恐怖はいつか甘さがうすれることである。そんなことは分かっているのにうすれるぎりぎりまで気づいていないふりをする。それは二人ともだ。うすれるほどに嬢の振る舞いには慎みの欠片もなくなりわたしの要求も大胆になった。濃くなればなるほど関係は重くなる。わたしだけではなく他の客も同じようにさばいているという思いは頭の片隅には常にあったが快楽に溺れている間はそれをしっかり見つめる気にならなかった。連絡が来なくなったのはちょうどわたしの方に逢瀬への義務感が芽を吹き始めたころだった。その時はこの関係が崩れることへの不安よりも安堵感が強かった。状況を担いきれなくなっていたのだ。しかし返事のない期間が長引くに連れ、今度は失ってしまう不安が襲ってきた。わたしは薬が切れるのを恐れる中毒患者と似ていた。

  わたしの表情を見てすぐに事情を察した嬢は、客への連絡を止めたのは、店から注意が出たからだと語った。 ある客が一線を越えて無体な振る舞いに出たため店に助けを求めたのがきっかけで、嬢は接客法を店に詳らかにしなければいけない状況になったのだった。彼女の客でトラブルを起こしたのはこれで二人目だった。嬢は店から接客態度の改善を強く求められ、彼女のアカウントは店の監視に入った。彼女も自分の接客法で客の心を甚振り煽ってしまったことを強く反省していた。しかたがない、初心者だったのさ、とわたしはいった。同時に、オマエもなと独り言ちた。そう、二人とも初心者だった。だからちゃんと教わってやり直すわ、また来てねと嬢は言った。このタフさ、切り換えの早さは、わたしが買っている彼女の長所の一つだ。この瞬間ほんの少しだけ切なさが募った。甘い時間の記憶が甦ったからだ。しかし危惧していたほど胸は痛まなかった。ほかの客への嫉妬心もさほど湧かなかった。商売女を見下すわけではないが、金銭のやりとりで始まった関係にはこういう結末が自然なのだろうと受け入れたように思う。ひとときは間違いなく恋だった。しかしそれはどこにもいけない恋だった。いや、恋はそもそも自分からはどこにもいかないものなのかもしれない。

  はたから見れば、甘い汁だけ吸っていた二人はこっぴどいしっぺ返しを食らったことになる。わたしに彼女を諭すだけの度量がなく流されたのもかなり情けない。ただし、こんなわたしでも一つ気づいたことがある。ここは世間流の規範は超越した世界だがそれだけに様式が重要なのだ。斯界の様式に則っていれば、様式から逸脱しなければ、誰も不幸にならなかったはずだ。つまり無体な行為に及んでしまった男の欲は巧みに制御されて爆発には至らなかっただろう。わたしにも勉強になった。言い訳めくが、甘さによって状況を貪った自分も哀れで人間臭い。

  甘く少し重かった日々はこうして去った。これは局面を変えるために一つ前を壊したのだから破局といっていい。しかし、こうなってからが本当の遊びではないか、ここから彼女を口説き直すのもまた一興ではという思いもある。しかし他の客とも同じような睦言で夢を見ていたことへの抵抗がまったくないわけではない。この抵抗は世間知らずの自分へと自嘲と彼女への恨み言がもつれて形成されている。ここで切る、果断さとは縁のないわたしの性格にこの事件をきっかけにして新しい勢いが生まれた気もする。切れば新しい自分と会えるだろうか。

  人通りの絶えた道を自転車で家に戻る途中で店がある通りに入った。店の前を通らないように一つ前の路地に入って大通りに抜けた。なぜか突然涙が出てきた。わたしは自転車をこぎながら泣いていた。悲しいのではなく言葉や考えではない何かで胸の内を満たしたかっただけだ。

fin

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