古文・漢文が好きな話
僕は中学高校と国語の「古文・漢文」の分野がとても好きでした。
でも「古文・漢文は勉強する必要が無い!要らない!」と言う人が大多数という現実。
そういう人に限って「歴史は繰り返す」とかいう、どこかで聞いたことがあるようなもはや標語になっている言葉を使ったりします。
歴史は繰り返すのであれば、古文・漢文を読めば未来予知をすることが可能になるじゃないかと。その発言は矛盾していませんか?と思うことが多々あります。
令和の時代になっても、疫病が流行り、戦争が起こり、同じ歴史を繰り返すのが人間です。
古文・漢文を少し読み漁れば同じような文献が持て余すぐらい出てきます。
少し古文・漢文に興味を持ってみると、生活が豊かになるかもしれませんし、ならないかもしれません。
数百年後の中高生が「エモいってどういう意味だ?」と調べながら、教科書に載っているTwitterやYouTubeを勉強してるかもしれませんね。
枕草子という1人の人間が書いた随筆ですらあんなに膨大な時間をかけて勉強したのだから、数百年後の中高生はもっと大変かもしれない。
時間がある時なんかにチラッとでも古文・漢文を読んでみると、面白さに気づけるかもしれません。
少し前に出した「矛盾」という単語も『韓非子』という書物が由来になっています。
少し引いてマクロな目で見れば、あらゆる所に古文・漢文の世界が散りばめられています。
古文・漢文なんて必要ないという人と、僕のような古文・漢文にこそ意味があるという人、どちらもいるのもいとをかしですね。
この「いとをかし」のルーツを探ってみることから始めるのもきっかけの1つとして良いのではないでしょうか。
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