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「傷ついている人がいる」は万能の切り札ではない
久しぶりにnoteを開きます。
二年以内に舞台化したいといったあの話は、本当にマイペースに私の脳みその片隅にはあるものの、コロナ騒動もあって諸々ストップしています。
会いたい人にも会えないし、なんとなくしんどい気持ちが続いています。
筆を進めることはできるのだけれども。(しかしなかなか筆も進みません)
四月も末だというのに、朝は少し肌寒いです。五月に入れば間もなく母の日ですね。
…私は、母の日と父の日が苦手です。
私は、(最近は少しマシにはなってきたけれど)生まれてきたことを後悔していて、生きていることに罪悪感を抱きながら生きています。
なので、両親には、あまりうまく感謝ができないのです。
母には、よく頑張ったねとは言ってあげたいのですが、「ありがとう」と思うのはなかなか難しい…
言うのは簡単だから、全然言えはするのですけど、
母を喜ばせるための「ありがとう」と心から感謝しての「ありがとう」は違うものでしょう。
己の不誠実さに反吐がでます。
街の広告はきらきらと母へ感謝をしようと謳い、Twitterには微笑ましいコミックエッセイが流れます。
私は親に感謝もできぬ自分を呪い殺したくなります。
端的に言えば
傷つきます。
しかし私はもちろん、母の日を楽しむ人々にわざわざ水を差しにはいきません。当然母の日の撤廃も求めたりなんかしません。母の日はよいものです。楽しめる人々には是非存分に堪能していただきたい。
ただ、私はひっそりと傷つくだけ。どうしても耐えられなければ、旦那や近しい友人たちにとりとめもなく愚痴をこぼすのみです。
…ではなぜこんなことをこんなところで話すかといいますと、
なにがしかに「傷ついた人」をすぐ救おうとする最近のTwitter上で見かける正義感に疑問があるからです。
彼らはすぐ「傷ついている人がいる」と言います。
「傷ついている人がいることをご存じですか」
「傷ついている人がいるのがどうしてわからないのですか」
「傷ついている人のことを考えられないなんて思慮が浅い」
……「傷ついている人がいる」は正義感を振りかざす理屈として弱くないですか?
傷ついたことを、「傷ついた」というのは勿論自由なのですが、
まず「傷ついた」から、何を望むのか?が重要であるかと思います。
「ただわかってほしい」だけならば、それはそれでよいでしょう。
それ以上を望むなら?
だから傷つけた人間を追放せよ、
傷つけた広告を撤廃せよ、
傷つけたなにがしを禁止せよ、とはこれ如何に。
もちろん、それが間違っているというにもまだ早計です。もう少しロジックを組み立てる必要があります。
ロジックを組み立てるためには、まずは冷静になることです。
議論を前に進めるために「傷ついている人がいる」を逐一蒸し返すのをまずはやめてみませんか。
「傷ついている人がいる」は万能の切り札ではありません。傷ついている人がいれば、なんでも正当な意見になるというものではないでしょう。
反対意見にもきちんと耳を傾けて、そのうえで落としどころを探っていくべきではないでしょうか。
それから、「傷ついた人」の味方をする人ほど、人を傷つける言葉を使うことを厭わないのをよく見かけます。
正義は我にありと鼻息あらく、「愚かだ」「馬鹿だ」「なぜこんなこともわからない」「軽蔑する」「信じられない」「人格を疑う」といった、冷静な議論には一切必要のない人格否定をすぐ持ち出します。
そんな人とは議論はできません。
「傷ついた人」のため、それをわがことのように怒り奮い立つことは、ご立派なことではありますが、
それでその怒りを表明して、どうしたいのでしょうか。
その怒りをぶつけて、「なんとなく加害者らしき人」を傷つければそれで満足ですか?
そうでは、ありませんよね。
正義は我にありと思った時ほど、言葉選びには慎重になる必要があります。
(…これは自戒にもするべきですね。かく言う私も、感情的になってしまうことは、ままありますので。)
戦うのではなく、話し合うためには、自分の正義を妄信するのはあまりに危険です。話し合いの目指すべき終着点は、勝敗を決することではないはずです。
何を目指して怒りますか?何のために奮起しますか?
もう一度そこから、考えてみてほしい。
皆、善でありたがる。進んで悪になろうとする人はいない。
それなら、たとえわかりあえなくても、共存していくための落としどころを私たちは見つけられる…はずなのではないかなあって、私は思います。
(…そもそも傷ついた本人以外の人が必要以上に怒ることを私個人の意見としてはあまりよろしくは思っていないのですが、それはまた別の話かなと思いますので、いつかまた言語化できればと思います。)
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