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さよなら、私の執着(今週末、一人芝居をします。)

どうも、元ぽちゃ専デリヘル嬢、現役アラサーメンヘラ女、そして生まれて死ぬまで父と母の子、ひらっちゃんです。

恥の多い生涯を現在進行形で送っております。ゆえに、両親に思いを馳せると申し訳ない気持ちでいっぱいです。いやあすまんすまん。

そんな私は今週末、北池袋新生館シアターで行われている「名前のない演劇祭赤」というイベントで一人芝居をさせていただきます。


3/20(日)第一部15:00~の回でございます。

私はこの回の「ただの劇団」として出演をさせていただきます。

今回、このために自分で一人芝居の台本を書きました。

もしよろしければ、見に来ていただけたらとっても嬉しいです。


今回の一人芝居のお話は、

愛という名の呪いの話です。

愛という名の暴力の話です。

…しかもしっかりと人を呪わば穴二つな話です。

…皆さん、愛ってなんだと思いますか。


愛の反対は無関心だと言う人もいます。

もしそうだとしたら、愛とは関心なのではないでしょうか。

関心とはつまり放っておけないということで、かなり干渉と近いと思います。

干渉というものは、かなり危険な代物で、被干渉者の反応次第では暴力に転じてしまう。

…つまりはこういうことなのではないかと私は考えます。

誰かが誰かに対してした干渉が、

被干渉者から好反応であればそれは「愛」と呼ぶことができ、

被干渉者から拒否反応があればそれは「暴力」と呼ぶべきものとなる。

ということ、なんじゃないか。

…恐ろしすぎますね。お腹痛くなってきました。

一番最初に、「愛という名の…」なんて書きましたけど、この定義でいくと、正直この作品で表しているものが愛なのかどうか、よくわからなくなってきました。

愛なのか、暴力なのかは、見に来てくれた人たちの判断に任せる、といったことになりそうです。


愛って…私は人生を幸福にするために存在していてほしいと思うけど、でもどうやら、そうでもないみたいですよね。

愛されたい人に愛されなくて辛い思いをしたり

愛している人に受け入れてもらえなくて悲しい思いをしたり

愛してくれた人を愛せなくてしんどい思いをしたり…

どうしてこうも御しがたくできているものなのでしょうか。

…でもだからこそ尊いものであるような気もしてしまいます。

今回の作品は、私の行き所のないそういう御しがたい愛情を…執着を、ガッツンとぶつけた作品…なんじゃないかなと思います。

結構我儘な話で、結構エゴイスティックな話で、結構暴力的な話だと思います。

だけど愛の話だ。

さっき見た人の判断に任せるって言っておいてあれなんですけど、

…だからこれは、私の主観での判断で断言しているのですけど、

それでもこれは、愛の話だ。

……そう思わないと演じられない、みたいなところもある。うん。

私のこの感情のお葬式。

もしよろしければ、しかと、見届けに来ていただければ幸いです。

(ちなみに夜更けの陽だまりより短いのですが、夜更けの陽だまりより重たい話になってしまいました。)

…今日のnote、いつもより支離滅裂だったかもしれませんね…

……お粗末!!
精進いたします!

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