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自営への憧れと尊敬

こんにちは、ロトです!

皆さんは雇われの身ですか?それとも自営されていますか?
私は前者です。
そして、自営されている方に憧れと尊敬の念を抱いています。

雇われの身も、それはそれでたいへんなことも多いです。
そこから逃げたいという消極的な理由ではありませんが、時々自営することへの憧れの感情が湧いてきます。
そんなワイの自営することへの憧れポイントは・・・


1. やりたいこととオーバラップするのでは?

雇われの身で、自分のやりたいことと与えられた仕事や役回りがピタッと重なることは稀ではないでしょうか。
あるいは勤務地であったり。
自営の場合、自分がやりたいことがスタート地点にあるという意味では、自分の興味関心とオーバーラップする確率がまだ高いのではと想像してしまいます。
(「そんなことあるか!」という声が聞こえてきそうですが・・・)

2. 雇われの身だと自活の術が分からない

雇われの身は、与えられた役回りを果たしていれば最低限収入は確保できます。
他方、それ以外の生き方が全く分からなくなります。
この弊害を最も感じるのは、子供と将来のことを話す時。
子供が描く将来の夢や、そこに至る道。
実際は様々なルートと目的地があると思うのですが、進学し雇われたことしかないため、それ以外の生き方が分からず、子供に進路の多様性を提示できません。
あるいは、子供が自営的生活を望む場合、それに対して理解を示すことができず、つい反対してしまいます。
(ワイの親もそうだったなぁ・・・)
「自営すなわち自活であれば、様々な未来を示すことができるのでは?」などと思ったりします。

3. 自分の名前を掲げて生きる

組織に所属して雇われていると、自分の名前を掲げて仕事をするのではなく、役職・立場を掲げて仕事をします。
(中にはご自身の名前で仕事をバリバリされる方もおられますが)
正直なところ、そのポストに就いている人がある日突然いなくなったとしても替えが効くし、逆にそうでなくては組織が存続できません。
自営の場合は、雇われの身より自分の名前で仕事をする側面が大きいと思います。
これがいいことばかりではないことも承知していますが、個として仕事をするということで、何かこの世に生きた証を残しているのではと思ったりします。

いずれも、しがない雇われの身にすぎないワイの戯れ言です。
(自営の方にも、一生懸命お仕事されている他の雇われの身の方にも怒られそうですが・・・)
隣の芝生は青く見えると言いますが、所詮ないものねだりなのかもしれません。
起業、作家、芸術家・・・単純すぎますが憧れるなぁ・・・。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!
X(@altrstcs)もよろしくです!

ロト⊿


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