散文詩『ありふれてあふれている光』

 群れなす電子音に紛れ改札を通り過ぎた時、魂が微かに欠けた。睨むべき先も見当たらず、憂さ晴らしに"人濁流"(じんだくりゅう)などという造語で人民を罵倒してみるが尚足りず、仕方なく台詞を吐き出す、点光源のように。
「地上へ」
 言わずもがなだ。私は地下鉄の駅から這い出て会社に向かっている。私だけじゃない。多分この濁粒子の一つ一つ、行き着く先こそ違えど、ひとまずは地上を目指さしているはずだ。誰も敢えて台詞にこそしないが「地上へ」そこに光がある。
 ありふれてあふれている光。今朝こそは希望のメタファーとなれ。どれほど失望を繰り返した?脹ら脛に問う。階段を踏む。そのたびに音もなく膨らむ、それこそが答えであるかのように。
 人工的な闇に満ちている人工的な光、階段の先に連なる無調な空、その一角から漏れくる陽光、それらが和して境界にまっ透明なオーロラを浮かべる。私は暖簾を払うようにオーロラを押しのけ地上へ出た。
「光だ」
 生まれて初めて見た光にどことなく似ている。それこそ生まれて初めてそう思えた。ならばいっそのこと、今日という日を生まれて初めての日にしてしまおう(いや、事実そうなのだが)。
 伝票整理も資料作成も行き着けの蕎麦屋で食ういつものキツネ蕎麦も裂けた唇の痛みも「お疲れさまです」も何もかも。
 私自身がありふれてあふれるような感覚で。

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