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父と娘とええピッチャー


父とふたりでお酒を飲んだ。

実家に着くと入れ違いに母は出かけていって、きょうだいは帰りが遅くなるのだといった。

夜通し働いたあとに別件の打ち合わせを済ませて帰省をして、へとへとになってソファで眠りこけていたら、父が仕事から帰ってきた。
「わ、おかえり」
あわてて飛び起きる。70を越えもうとっくに退職する年齢を迎えてなお、毎朝欠かさず出勤していく働き者の父だ。幼少期からわたしたちきょうだいは、だらだらと時間を浪費する姿を父に見せまいとする習慣が身についていた。バラエティ番組をみるだとか、ポテトチップスを食べるだとか、背中のかゆいのを搔くだとか、そういうこともみな、父の前ではしないのが我が家の暗黙のルールだ。父を不快にさせないよう振る舞うのはわたしたちにとって自然なことで、けっして窮屈ではない。

母が作りおいていった夕食がテーブルに並んでいる。ゴーヤ・チャンプルーと、鶏じゃがの小鉢。「ん、これだけか」と父は呟く。

母は料理が上手なひとで、働く父とこどもたちのために40年間ほとんど毎日、食事を作り続けてきた。栄養と彩りを考えて、おかずを何品も準備する。一汁三菜があたりまえの食卓で、たしかにいつもよりは質素に見えたのかもしれない。

「冷蔵庫にキハダのお刺身もあるって言ってたよ。足りなかったらなにか作るけど」
「いや、ええ。お父さんはぜいたくになりすぎやな。じゅうぶん、じゅうぶん」

父はすぐに訂正する。言われなくてもわかっているのだ、母の手料理が当たり前でないことも、これがりっぱな晩餐であることも。表現に不器用なところのある父だが、歳を重ねて、以前よりことばを丁寧に扱うようになったと思う。

父はテレビのリモコンを手に取り、野球中継をつける。帰宅すると決まって右奥の椅子に座ってテレビをみる父のために、夕方になると母がリモコンを近くにセッティングしていることを、父はたぶんこれからもずっと知らないままだろう。
3回裏、二死一塁。我が家の贔屓の球団は1-0ビハインド。父は、冷蔵庫から取り出した缶ビールのプルタブに指をかける。
「今日は負けてもしゃあないな。ええピッチャーや」

なんでも好きなもん飲んだらええで。父は冷蔵庫の方向に視線を投げる。ほなお相伴に与っちゃおかな、とわたしも父と同じ缶を持ってくる。酌み交わしても乾杯はしないのがうちのやりかただ。

「あんた仕事は慣れたんか」
わたしが就職して家を出てから、顔を合わせるたびに父は必ずこの質問をする。
「んー、ぼちぼちかな」
そうして仕事のことやお金のこと、つまらない話をする。普段は寡黙な父だが、気を遣っているのか機嫌がいいのか、いつもよりよく舌が回る。
「しかし、ええピッチャーや」
ときおりテレビ画面に視線を投げては、相手チームの選手を褒める。機嫌がいい、のほうだ、とわたしは推察する。


「俳句は続いてる?」
父は4年ほど前から毎朝欠かさず一句、俳句を詠んでいる。歳時記とカメラを片手に、自分の足で句題を探しに出て、生活から十七音を切り取る。70歳を過ぎて自ら写真を編集し、詠んだ俳句をのせてSNSに投稿しているのだ。身内の色眼鏡もあるだろうけれど、わたしは父の俳句がけっこう好きだ。
「まあ、継続の力だけやな」
そらされた目はまた「ええピッチャー」の方を向いている。照れているのだ。
毎日続いていることだけでもじゅうぶん、すごいと思う。この勤勉さを、わたしはなぜ受け継がなかったのだろうか。

「句集、作ろうか」ふと思い立つ。
「高いやろ」
「どれくらい凝りたいかにもよるけど、かんたんなのやったら、そうコストかからへんのちゃう?別に儲け出したいんでもないし」
そうなんか、と父は刺身をぱくりと食べる。醤油が1滴、テーブルに落ちるが、気づかない。
「まあ、そのうちな」
「いいやん、今年の目標にしよ。もう半分終わってもてるけど」
わたしの提案に、ふん、と鼻だけで答える父。
「うーん、これはええピッチャーやな。肩が強い」
これはオーケー、のサインだ。
わたしはうれしくなる。ぐい、と缶をかたむけて、ビールを飲む。自分の家でたまに飲む、ビールっぽいやつ、じゃなくて、ほんとうのビールの味がした。

父は言う。
「お父さんはあんまり才能がないからな。あんたのほうがよっぽど、文才がある」
わたしの文章などろくに読んだこともないだろうに。父には昔から、こどもたちの能力を過大評価するところがある。
「高校のときも、頼まれてなんか書いとったやろ」
そんな昔のことを覚えているのか、と驚く。わたし自身がすっかり忘れていた。高校の卒業アルバムに、教員の推薦でささやかな寄稿をしたのだ。といっても、進学校でみんなが大学受験を控えるなか早々に進路を決めてしまったわたしに、怠けるなよと役割が投げられただけだったのだけど。

「あれは、わたしが暇だったから」
「ふん、そうか。まあこっちもなかなか、ええピッチャーやな」
あ、いまの「ええピッチャー」は、まあどうでもいいけど、の意味だな。


液晶のなかで試合は進んでいく。父はビールの350ml缶を2本開け、「もらいもんの上等な焼酎」を出してくる。すこし味見させてもらって、水割りにしようとしたら「あんたは二階堂の余ったのがあるからそれにせんか」とにべもなく取り上げられてしまった。やっぱり手厳しい。


6回裏が終わったところで、父は空いたグラスに水を注ぎ、高脂血症の薬と乳酸菌製剤を飲んで、立ち上がる。
「ほなゆっくりしや」
寝る支度をして、あとは自分の部屋で試合の続きをみるのだろう。父の寝室の電気は、たいてい21時には消えている。


父が去ったリビングでひとり過ごしていたら、しばらくして母が帰ってきた。
お父さんなんか言うてた?という問いに、「ええピッチャーやな」ばっかりやったよ、と返したら、母は笑った。

「そうかお父さん、二人でお酒飲めて嬉しかったんやねえ」

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