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大阪, 15.3℃/晴れ

昔、男性に呼び出されてふらふらと天王寺まで行ったら、今日はきみに告白するつもりだからあべのハルカス展望台に登ろうと言われた。

どうせ良い返事は得られないからそんな気合いの入ったことはやめたほうがいい、言いたいことがあるならここで聞くから、と説得を試みたが、相手はもうアドレナリンの滾った目をしていて、埒が明かなかったので新世界の居酒屋で酔い潰して帰ってしまった。あの日、同じ店にいた半グレみたいな兄ちゃんたちはわたしたちの気まずい空気を面白がってハイリキを延々と奢ってくれ、琉球のシャーマンの子孫なのだという色黒のおっちゃんは、きみは今仕事を頑張るときだから隣で寝ているその男は捨ておいてよし、と神様のお告げを耳打ちしてくれた。


大阪には生まれなかったし、大阪で育ったわけでもないけど、大阪が好きだ。

地元の人にとっては、ミナミとかキタとか、もっとエリアが細分化されているのだろうけど、隣接県の片田舎で生まれ育ったわたしたち鄙の人間にとってはどの駅で降りても都会のマチで、ひとかたまりの『大阪』だった。

面白いもの、楽しいこと、大阪は色々な、概ね幸福と呼ばれるに近い感情を与えてくれた。友達と3歩進んでは1枚写真を撮るユニバも、地元の店舗と同じ商品を置いているのに何となく入ってしまう道頓堀のユニクロも、「あれデートで乗ると別れるらしいよ」と指さして歩くHEPの赤い観覧車も、特別な『おでかけ』の象徴だった。それに、これはよく言われることだが、大阪は人と人との距離が本当に近い。バス停で待っているだけで自然と会話が始まるし、子どもの頃はエレベーターや電車の中で何度か『飴ちゃん』のお世話になったものだ。


大人になって独立して、物理的にも心理的にも、大阪がもっと近くなった。地元の友達がどんどん大阪に引っ越していって、ふらりと遊びに行くことが増えた。おしゃれをしてお出かけする場所だったのが、すっぴんジャージでもへっちゃらになった。大阪にはそういう雑さを受け入れるというか、紛れ込ませる空気があることに、ゆっくりと気づいていったのだと思う。

いろんな駅で降りて、いろんな人と出会って、いろんな関係の起承転結を経験して、大阪に面白いとか楽しい以外の感情があるのを知った。好きじゃない人と登るあべのハルカス展望台は違うんだよな、地べたの飲み屋でわけわからんおっちゃんたちと野球の話をしている方がずっといいな、という名前のない感覚を自分の中に見つけた時、ああ、わたしにとって大阪は自分の場所になりつつあるのだと思った。それは危惧だった。大阪にはずっと特別な、ハレの日の街でいてほしいのだ。そうでなければ、特別な『おでかけ』の思い出がすり減ってしまうような気がした。



きょう阪急電車に乗ったら、隣の席に3歳くらいの女の子と母親が乗っていた。女の子は車窓にかじりつきになって、淀川の鉄橋にさしかかると、わぁ、とうれしそうに声を上げた。母親が人差し指を唇にあてて制するが、興奮は冷めない。いちばんのおめかしなのだろう、ヘアゴムの色も結ぶ高さも違うツインテールがふわふわと揺れる。

「ねえママどこにいくの」
「梅田だよ。大阪」
「おおさかはなにがあるの」
「なんでもあるよ。買い物するところも、ご飯食べるところも」
「プリキュアもある?プリンセスも?」
「そうだね、プリキュアも、プリンセスも」

ぱちぱちと手を叩いて喜ぶ女の子に、かわいいねえ、とよそのおばちゃんが話しかけている。


大好きなものがある大阪に出かけていく女の子。阪急うめだ百貨店前のコンコースで、きっとあのクリスマスイルミネーションが、きらきらと彼女の目に映る。いつか同じ道を、スーツを着て足早に駆け抜けながら、うっとうしいなあみんな立ち止まって写真撮らんといてやと思う日が来るかもしれないけれど、今日はまだ、彼女にとってあたりまえじゃない特別な景色だ。

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