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「一人の人間が舞台を歩いて横切る」


映像配信で演劇をやろうという試みについて。

僕は舞台の演出照明を考えたり作ったりする仕事をしているのですが、現状、どこも劇場が閉鎖されていたりイベントを自粛しているため仕事をすることが出来ません。
これを照明だけではなく他の舞台スタッフや俳優や演出家も同様です。

そんな中、インターネットを使って配信で演劇を作れないかという流れが出て来ているのを感じます。先日もどこかの劇団が試しにやっていたという情報を目にしました。

演劇と一口にいっても本当に多種多様なのですが、そのうちどれかのジャンルから一つでも配信演劇として成立するものが出来てくるのかどうか、僕はとても注目しています。

ここで僕が配信演劇として想像しているのは、いわゆる劇場で行われている公演を撮影、編集して上映するものとは違う形のものです。例えば日本のゲキ×シネとか、イギリスのナショナルシアターライブの様に舞台公演を撮影したものではなく、配信専用の演劇として作られたもの。zoomでもツイキャスでも良いのですが、そういったのを使ったものを想像しています。リプレイではなく、配信ライブ演劇です。(ナショナルシアターライブは本国では生配信なのですが)
生でやるからこそ意味がある演劇の機能の中のどこか一つだけでも、生配信を使って効果的に置き換え、上書きが出来るようなものが出てきたら面白いなと期待しているのです。

演劇が演劇であるための要素とは何なのか、それを突き詰めて考えて、配信環境で再現するために再構築する、というのはとてもクリエイティブでエキサイティングな作業だなと思っています。

そもそも演劇とは

演劇が演劇である理由って一体何なのでしょうか。

稽古場でよく聞くのは、俳優と俳優の(セリフの)会話の間合いやニュアンスが、きちんとコミュニケーションになっているか。相手に言葉を投げかけ、相手から受け取り、あるいはいなして、役の感情が動いているのが観客に見えるのかどうか。
この、その場で生まれる絶妙なやりとり、機微は生で舞台を見ているからこそ感じられるものなのかなと思っています。楽しげな人の近くにいたら自分まで楽しい気持ちになるように。

また逆に、配信という形にする事で演劇ではなくなってしまう理由は何なのでしょうか。

例えば「これはもう映像作品だ」となってしまうという事とかはその一例かもしれません。カメラを通しているのですから必然的に映像作品感が出てくるはずです。
演劇のつもりで生配信していたが、視聴者にはそれが生の演劇である理由がなく感じたり、演劇的に定点で撮影して上演しているがカット割りを使った方がより良く出来る表現であったり、単純に声をちゃんと拾えてなかったり……というような、ただの出来の悪い映像作品みたいに思われてしまっては損だなと思うのです。
では逆にライブで"映像作品"を作ることは果たして演劇なのかという所は考える余地があるなと(もしかしたら、三谷幸喜の映画の長回しのシーンなんかは"演劇"足りうる可能性もあるし)。

なにもない空間

演出家ピーターブルックは自著「何もない空間」の中にこう書いています。

「どこでもいい、なにもない空間――それを指して、わたしは裸の舞台と呼ぼう。ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る、もうひとりの人間がそれを見つめる――演劇行為が成り立つためには、これだけで足りるはずだ」

僕はピーターブルックの作る舞台が好きで、また演劇に係るように合った初期に大いに影響されたので、個人的にこの言葉を支持しています。
これはこの中の「裸の舞台」をいわゆる劇場の板の上としなくても、たとえば、

部屋の中に引かれた一本の線の向こう
公園の砂場の枠の中
床に敷かれたカーペットの上
木と木との間

としたとしても成立すると思っています。
俳優がいて、観客がいて、そこに何かが起こる。
それは、俳優の目の前には観客ではなくカメラがあり、観客の目の前には俳優ではなくモニターがある状態でも成立するのでしょうか。

なにもない空間を歩いて横切る

を、カメラとモニターを通しても演劇として成立させるためには、何が必要なのだろうか。

なにもない空間を歩いて横切る

その時、舞台では、あるいは俳優と観客の心の中では、どのような事が起こっているのか。
それを分析して、分解して、配信に乗せるアイデアや方法があれば、きっと演劇として成立するはずだと考えるのですが、具体的にはちょっと僕にはすっとは思いつきません。考えてはいるのですが。

そして照明屋が考えるくらいだから、他にも考えている俳優や演出家は沢山いるはずだと思うのです。はじめはどんな大雑把な、突飛なものでもいいから配信でちゃんと「演劇」が成立しているものを作れたら楽しいだろうなあ。そういうものに触れてみたいなと思っています。意外とzoom飲み会で俳優同士がふざあってる場から生まれたりするのかもしれません。
zoom飲み会やってる一人の家に突然泥棒が入ってきたら、それはもしかしたら演劇性を帯びた事件なのかもしれない(寺山修司の市街劇のネット版と捉えられるだろうか)。


たとえ配信として成立・実現できなくても「演劇が演劇であるために必要な要素って何よ」と考えた事は大きな武器になると思っています。

それにこういうのは考えているだけで楽しいです。
配信演劇に舞台照明が必要ないとしても。

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