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映像のクオリティが下がる。それは少し演劇的な事に近づくのではないかと考えた。

緊急事態宣言だ、不要不急の外出の自粛だと言われているいま(2020年5月の東京)ですが、僕はそもそも仕事も用事もないため、家で友達とZOOM飲みをしたり、ZOOMで集まって麻雀アプリで卓を囲んだりしてい過ごしています。

自粛(と、みんなと同様にこの期間の事をそう呼び表してみます)初期のころ、ネットにつながった端末が手元にあるので、大体の時間は目についた知り合いのツイキャスやyoutubeLIVEなんかを見たり、応援でコインを投げたりしてみていました。
それでつい自分もツイキャスで仕事の役立ち情報みたいなのを語ったりしてみたのですが、自分でもやってみると結構手軽なんですね。

俳優さんなどのネットの配信を色々と見ていて思うのですが、スタジオを借りたりも出来ないので当然自宅から配信していて、きちんとした照明や背景を用意されていない方がほとんどの様に見受けられます。
かといってそれが見づらいという事はありませんでした。本人も自分の光の当たり方などを確認しながら配信されているというのもあるのでしょう。

更に、見る側からしたら、
スタジオじゃないし、
俳優さん普段からyoutuberというわけでもないし、
演者であって技術者ではないし、
スマートフォンのインカメラの撮影だし、
なにより緊急事態だし、
と、
僕は決してきちんと作り込まれているとはいえない映像での配信を何のストレスもなく受け入れていました。
(もちろんすごくきちんと用意されている方もいました)

それから少しして、この、受け入れるという状況って、演劇の中の何かに似ているなと思いました。
見立てが成立する時と似ているなと

豪華な宮殿の舞台セットで、きらびやかな衣装、ヘアメイクをした俳優さんが、ワインで乾杯をするというシーンで、この小道具のワインだけがなくてパントマイムで行われていたら、見ている側はワインをすぐには認識できないかもしれません。
しかし、質素な舞台、簡素な衣装の舞台で、俳優さんがパントマイムでワイングラスを持つ手の形をして乾杯をしていたら、これは見る側が想像力を働かせて見る舞台なんだなと目に見えないワイングラスを受け入れて見る事が出来ます。
若手の芸人さんが何組も出る舞台でのお笑いライブなんかでは、全組分の小道具を揃えることが出来ない事はままあります。テーブルや椅子はどのシチュエーションのネタでも同じものを使うし、ジョッキはなしで、ビールを飲んでいるジェスチャーをすることでお客さんは「ビールを飲んだ」と認識してネタを追っていくという事になります。
それは「そういう舞台だから」とお客さんが受け入れてくれて初めて成立するものです。

そしてそれは表現する側にお金がないから仕方なく、というだけの事ではありません。
それは見る側が舞台のクオリティが低い事をあきらめるという事でもありません。
それはお客さんが想像力でもって積極的に舞台の成立に参加をするということですし、そういう参加がないとたどり着けない表現というものは確かに存在します。僕はそう信じています。
もちろん作る側はお客さんにそう見てもらえるよう、様々な演出や演技をするわけですが。

こういう状況だしきちんとした映像ではないのは当たり前だ、
と、見る側が自ら目の前の映像を想像力で補完し始めたとき、何かが始まっているのではないかと思うのです。
僕は映像作品と言えば、リアルな場所、背景、セット、光、人、小道具があって当たり前のものとして小さな頃から接してきました。
が、この今の配信環境とみる側の環境であれば、映像の表現を"見立て"でも出来ないだろうか、そしてそれは少し演劇的な事なのではないか、と思ったのです。
具体的な事も思いつかず、さらに上手く言えないのですが、僕のイメージしている事はもしかしたら特撮に近い事なのかもしれません。

以前こんな記事を書きました。

内容は現在いろいろ試されている配信演劇の中から映像作品ではなくきちんと演劇が生まれるのか、生まれてほしい、という内容です。

これがあったので今回の見立ての事に思い至りました。
落語や演劇の見立て、映像の暗喩表現、特撮、そういった事を考えてゆくと、配信演劇の演劇性についてまた何か浮かぶのかもしれないなと思いました。
答えは出ませんし、結果的に配信は演劇たりえないのかもしれませんが、それでも、考え続ける事は続けています。

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