ロッタ通信①🧚♂️ 〜私の中にいる小さい女の子〜
note内でのACC(アーチストチャイルドクラブ)に
うかうかと入部した私。
本日あやのんさんから会長令が投下された。
最近の私は、人形の髪をくくったりしながら、
「アーチストチャイルド」について考えることが
増えてきた。
でもこの領域はちょっと注意が必要だ。
直感的に苦手な空気をまとったスピリチュアル系のものが近づいてくるからだ。
私には自分勝手な直感があり、スピリチュアル系のものに対し、好きな空気と苦手な空気を分けて感じてしまう。苦手な方は目に入るだけでどっと疲れてしまうのだ。
また、インナーチャイルドやインナーアダルトなど心理学系のお話になると、新たな気づきに結びいて考えが広がる場合と、自分のフワフワした感覚が固いものに縛られてこれまた疲れてしまう場合がある。
そんなときこそ思い出すべきこの言葉。
「うかうか」
ここは、持ち前のポップさでうかうかと自由に私らしくアーチストチャイルドについて探ってみたいと思う。
🧚・・・・・🧚
ACCに入部後 、自主練として行う「それっぽい読書その1」はこの本に決まり!
読みやすそうだし、何といってもイラストが大好きなタムくん(ウィスット・ポンニミット)だ。
まず冒頭の吉本ばななさんの短編小説から、「ああ、はじまる。はじまる。」と胸にきゃぉゎぁんとくるものを感じる。
登場人物は大人の女子2人。
主人公と由美子。
バッグの中にキラキラしたもの(淡い縁取りの鏡や、金髪の小さな女の子の人形や、木でできた太いブレスレットなど)をいれている由美子がその理由を主人公に語る。
そのことばたちが、すごくACCとつながって
おもしろい。
私の中にいる女の子。
ああ、昔からいつもある感覚だ。
例えば何かを見るとき、自分の顔にある本当の目で見るのではなく、目の奥から小さい自分がのぞいている感じ。
私の身体という着ぐるみを着て、中に私がいるような、そんな感覚だ。
子どもの頃、自分の目の焦点をぼかして目の前の世界を白黒にする遊びをよくやっていた。
特に小学生の頃、運動場で並んで校長先生の話を聞くなど退屈なときによくしていた。
不思議なのは、前方を見ているはずなのに、視界が自分よりも上の方からになることだった。立っている自分がいるのに、離れて上から見ている自分もいるのだ。
その場にいるようないないような...
おそらくあまりに退屈なので、自分の空想とつなげて楽しんでいただけだと思う。
退屈な授業中もよくやった。黒板を背に説明をしている先生を白黒にした。前の方の席の子たちも
白黒だ。
目を静かに動かしてぼーっと白黒の世界を見て楽しんでいる小学生の私。
そしていつのまにか、焦点をぼかすことはできても、白黒に変えることはできなくなってしまった。
でも小さい頃に沢山楽しんだあの感覚は、大人になってから、目の前で起きていることを俯瞰するように見る「俯瞰ごっこ」をするときに役立っている。
この「二重」のような感覚。
そこにいるような、いないような...
自分が動いているような、自分の中の小さい自分が動かしているような...
アーチストチャイルドという言葉を知ったとき、
それを楽しむために、このよく分からない二重の感覚をずっと持っていてよかったと根拠なく思った。
例えばめちゃくちゃ可愛いものを見つけたとき、自分という身体を通して、その中にいる自分と二重できゃあ❤︎となって盛り上がる感覚のナゾが解けたような気がしたからだ。
人生の可能性がほぼ無限に広がるのよ。
ほんとなんだってば。
おまじないというより、思い込みじゃないのよ
って言ってもらいたいな。
そういえば、夫は最近ミニカーを買っていた。
家のリビングで、モフモフの愛犬とロッタちゃんと同じ空間にいるのが楽しい今日このごろ。
いけない、いけない。
冒頭の10ページの短編小説だけで、通信が終わってしまいそうだ。
この本は、吉本ばななさんとハワイに伝わる問題解決法「ホ・オポノポノ」アジア事務局の平良アイリーンさんの対談集である。
お二人それぞれの仕事や人間関係、家族との関わりの中で自然に実践されている「ホ・オポノポノ」「ウニヒピリとの対話」についての会話が繰り広げられる。
私は読書メモは、ビブリアというアプリを使っている。
この本は沢山メモで残す箇所があったので、その内容についてはまた別の機会に。
たしか、自己啓発系で流行った「引き寄せの法則」も、吉本ばななさんと奥平亜美衣さんの対話集を読んでから、引き寄せ系の本を数冊読んだのだったなぁと思い出した。
私のACC活動は始まったばかり。