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7年前の自分と同じ感情で映像を見た

映像クリエイターになりたい人です。

ポルノグラフィティの『Visual Album “暁”』を鑑賞してきました。今日も上映があるため、ネタバレはしません。感想はちょっと書きますが、本編など根幹的なところには触れていないためご安心ください。
本編というより、個人的な話を中心に書いていきます。

この記事で私のことを見つけたという方のために記載しておきますと、私は映像スタッフ、たまにクリエイターとしてMVや映画、配信などCG実写問わず魅せるための裏の人間として活動しています。音楽は東方といきものがかりとポルノが好きです。

作品そのものに関しては、色々学べる90分だった。私の意欲を掻き立たせてくれた。国籍問わずさまざまなクリエイターが参加している作品のため、いろんな解釈があって面白かった、というのが率直な意見。日本のより海外のクリエイターの方が多かったため、海外のMVの一例を見れたと思っている。
スタジオで撮ったもの、外で撮ったもの、このご時世を踏んで作られたもの、「今の技術でできること」がたくさんの要素が詰め込まれている。
むっちゃ私が好きな感じのカットやエフェクトが絡んでいてため息出てしまった。
そして、いい意味で視覚に囚われすぎてもダメだなと思った。基本的になんでも受け入れちゃう人間、私はアルバムを事前に聴いたためいろんな予想を立てて言ったが、さまざまな解釈は私が考えるよりも広く、それがまた面白い。

これに関しては職業病かもしれないが、私は映像を見て「映像から見出せる解釈」よりも「映像そのものの見せ方、作り方」を主軸に見てしまう。私はなぜか曲とMVはあくまで関連作品に近いだけで別物で、曲主体で作られるもの(MVとかです)は曲より目立ってはいけない(だからMVに音楽以外の音が基本的に入っていないのだと思ってる。絶対違うと思います。)と思っている。あくまでMVは曲の装飾品で曲と一緒に楽しんでくれれば、て思う。MVって正直なくても音楽は成り立っているので…MVは音楽の二次創作なのだよ…。
だから、今回の映画はそんな自由な解釈がたくさんあった。それが面白かった

そんな考え方を持ったのも、間違いなく映像を始めたから。今回はFCでチケットとったこともあってファンとして席に座ったけど、見ながら考えているにはカット割とか、演出の仕方とか、そういうクリエイターよりの見方をしてしまう。これはもう仕方ない。映像見て純粋にかっこいい、とかよくある感情(ファン目線と言え)を生み出す行為は映像を始めた時に捨てたに近いかもしれない。推しの作品の映像を、それとして見てない。もう既に1本のMVでさえ映画のように見ている。今日気づいた。

裏を知ると、、、というやつ。ギャップを感じて、というやつ。それで精神やられてやめようとは私はなぜか思いませんでした。メンタルそんなに強くない方ですが、やはり面白いのと楽しいという気持ちの方が勝った。その結果映像を作る人ということでほんの少しだけ活動することができている。

そして、自分のモチベーションや制作意欲を出させるのも当然映像作品なのだと、思わされる。No Movie, No Life.
これも今気づいた。今思えば映像を作りたいと思ったのも、業界に入りたいと思うようになったのも映像だった。前者に関しては何当たり前のこと言ってるんだ、という話ですが!

話は本編に移りまして(ネタバレしないからブラウザバックしないで!!)、「証言」のMVの時に、高揚感(?)、何かに気持ちが囚われてしまった気になった。薬はきめてない。
この感情、7年ぶりだった。初めて映像の世界に魅了された時と全く同じ。

ここではポルノの作品について触れているため、話の詳細は割愛させていただくが、7年前に足を運んだライブで演者の後ろに立っているスクリーンにMVを流すというものがあった。私はそのMVに惹き込まれた。「映像の力ってすごい」。これが私の原点である。完全に映像の虜にされてしまった。そして同時に「自分も作ってみたい」と思うようになった。

その時は業界入りも考えてなければ、どうやって映像作られているのかも知らない。純粋な少女(7年前私は中学生ですのでこの表現しても許して、、、)だった。その時「何かを始めるということは、何かを捨てなければならない」ということもあまり理解できてなかった。
それから色々あって、脚本から始め、映像を本格的に始めたのは高校3年生。もう大学1年生に近い時期です。その時に私は「見えた映像だけを見る」を「私をここまで奮い立たせて(?)くれたクリエイターさんの隣に並びたい」を得る代償として捨てた。「見えた映像だけ見る」というのは、裏方とかまで見るんじゃなくて、「見たものをそのまま感情に起こす」

例えばりんごが青く加工されている画像だったら、今の私なら「これ色相変えたな」と考えるが、映像始める前なら「青いりんご!」で終わっている。作る過程まで考えないような。(伝わる…?)

私はあの時間違いなく作品の虜にされた。魅了という気持ちが私を掴んで離さない。間違いなく映画作品そのものに私は惹き込まれたと思う。この気持ちは映像始めた時に捨ててしまった、置いてきてしまったと思っていた。あの気持ちはもう一生得ることができないと本気で思っていた。しかし人間身体は覚えている。覚えたものはよっぽどなことがない限り一生忘れることなんてできない「私この感情で映像に魅了されたんだ」、「この気持ちが私の原点なんだ」て映画を見ながら頭の片隅で考えた。まだその感情を持ち合わせてい安堵している自分がいる。

「まだやめるわけにはいかない」の言葉も脳裏をよぎった。私は周りに恵まれたことが大きい影響なのか、映像をやめよう、というのは一回も思ったことないし、映像のお仕事に関してはいつも楽しんでいる。なのでこの表現が正しいかわからないけど、改めて長くできるだけ長く映像を続けようと思う。

そんな気持ちになっても「あ、これ多分この手法だな」とかは考えていた。これは宿命、やはり見え方を変えるのは厳しいし、逃げれないのだろうね。

色々まとまってないけど、掘り起こされた感情について書き殴りました。やはり、私を奮い立たせてくれるのはいつだって映像だ。

昨日の上映が終わった後に今日のチケットも取ったので今日も楽しむ。

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