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台風被害の渦中で気づかされたこと

☆台風19号がもたらした被害について
 10月12日に台風19号が日本に上陸し、東日本を中心に甚大な被害をもたらしてから5日が経ちました。
 本日までに死者は70名を超え、100箇所近い堤防が決壊し、1万件以上が浸水被害、その他まだまだ被害の全貌が明らかになっていないところも多く存在し、今後も犠牲者・被害が増大することは間違いありません。
改めて犠牲・被害に遭われた方に対して心よりお見舞い申し上げます。

☆下水処理場の浸水被害による市民の下水道の利用制限について
 私が住む長野県須坂市でも、千曲川の氾濫による浸水被害が広範囲にわたって起こっており、とても他人事ではない状況となっています。

 わたし自身は、浸水の直接の被害はありませんでしたが、須坂市が委託している下水処理場が浸水被害のために施設自体が機能停止してしまいました。そのため市民には現在、下水道に関わる利用の制限が呼びかけられ、具体的には炊事・洗濯・お風呂などによる水の利用を控えなければならない状況です。

 というわけで、家事全般について節水を心掛けなければならなくなってしまっているわけですが、実際に家事全般において節水を心掛けてみると、これまで私自身が行ってきた家事行為がいかに無駄が多く非効率であったかということに否が応でも気付かされることになりました。

☆家事行為の能力に関する母と私との間に存在する”差”
 一昨年に亡くなった私の母親は、もともと家事全般における節約意識のとても高い人でした。だからこそもし母親が現在の私の家事行為を見ていたとしたら、きっと顔をしかめることでしょう。

 今現在、一応は家事全般を担うことになったわたしですが、それでもこのような”節約意識”だけに留まらず、生前の母との家事能力の技量の差というものは非常に大きなものがあるように感じます。
 この技量差というものは、具体的にいかなる理由によって存在するのでしょうか。”経験の差”と言ってしまえばそれまでですが、実際にはそれ以上の差が母と私のあいだに存在するように私は感じるのです。


☆内面化していた『家事は女性がするもの』という価値観
 少し話は変わりますが、私が育った家庭はどちらかと言うと性別役割分業の意識が強く、”家事は女性がするもの”ということが当然視されている風潮がありました。

 そもそも祖父自体が典型的な家父長的価値観を持っており、よく母親に対して「女は家事だけやってりゃいいんだ!」と怒鳴ったりするような人でした。そして父親の方は、家事・育児に関しては完全にノータッチの人で、今でも「家事と子育ては女性のいきがい」「家事・育児をしている女性が仕事までするのは無理」というようなことを平気で口にするような人です。

 こうした家庭に育ったことを言い訳にするわけではありませんが、男である私自身、母が亡くなるまで家事はさっぱりだったわけで、私が大学に進学し一人暮らしをするようになってから、私が実家に戻った時に行う家事は、たまに戻った時に食後の皿あらいをするのがせいぜいでした。
 
 その皿洗いでさえも自然に行っているわけではなく、むしろ『手伝ってやっている』という感覚でやっていたと思います。結局のところ、私自身『家事は女性がするもの』という価値観を内面化したままだったわけです。むしろ『男なのに皿洗いしてやっているのだから誉めてしかるべき』とさえ無意識的に思っていたかもしれません。

☆家族のために意識的に家事能力を高めていた母
 そんな私に対して、母の家事能力は量的にも質的にもとても高いものでした。私がたまに実家に帰った時でも、使っていない私の部屋にはごみもほこりすらなかったし、掃除・洗濯・調理、社交的な交際から家計簿つけに至るまで、自分の時間がいったいどこにあるのだろうと、今振り返っても思うくらい家事に時間を費やしていたように思います。

 あのレベルで家事行為をこなす母をみれば、誰がどうみても家族のために身を削って努力していたことは明白でした。

☆『家事は女性がするもの』という価値観の内面化こそが、獲得する家事能力の差を生み出した。

 このように、家族の生活のために意識的に努力して家事能力を高めた母と、母の亡き後、他にやる人がいないから仕方なく家事をやっているのであって『男なのに家事全般をやっているんだから、多少下手でも見逃してくれ。むしろ褒めてくれ』といった驕った意識で惰性で家事をしている自分。

 これだけ意識が異なれば、両者の獲得する家事能力に大きな差がつくのも当然のことでしょう。

 こうした『家事は女性がするもの』という性別役割分業の負の遺産である考え方に、私自身がいまだにすがっていたという事実。こうした不平等なジェンダー意識をわたしが内面化していることこそが、母と私の間に非常に大きな家事能力の差を生み出した原因なのだと思うのです。

☆”現象”と”本質”を見極めることの大切さ-自分自身の行為であるからこそ-
 母も私も、言葉にすると”家事を担う”という現象面での立場に変わりはないけれど、実際にその行為に関しては、目的からはじまってその量から質に至るまで本質的な部分ではまったく異なるものであったということです。

 上記のHBO!の記事でも書かれていますが、男性が家事や育児を表面的には力を入れているように見えても、その行為の本質を注意深く探ってみると、結局のところ”モラ夫”であったということも決して珍しくはないのです。

 わたし自身、今回の台風被害の渦中に置かれたことで初めて自分のそういう意識に気づくきっかけを得たわけですが、普段からものごとの本質を見抜く目を意識的に養っているというような人であっても、自分自身のこととなるとその目は曇りがちであることがあるのではないでしょうか。

 自身のそうした面に無頓着なままでいるのであれば、知らぬ間に周囲の他者を傷つけていたり、自分自身に対してもいずれ何かしらの形で揚げ足を取られることもあるかもしれません。

 そうならないためにも、日頃から自らの意識やふるまいについてもその本質を見極める目を養っていくよう努めたいな・・と思います。

 

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