私にとっては 婚姻届を出すことよりも 日々好きだなぁとか、一緒にいれてありがたいなぁって思うことの方が大事なんだよなぁ
「結婚なんて」 そう思っていた私が 結婚した。 この先も一緒にいる未来がみたい、というよりは 気づいたら、この人と一緒にいる未来をみてた。 違和感なく、苦なく、自然に。 私は結婚が特に素晴らしいものだとは思っていなかった。 「国が戸籍管理を楽にしたいだけ」 「ただの書面上の契約」 「不安な者たちの縛り付け合い」 「結婚式ビジネスはぼったくり」 そんな風に思っていたから 結婚はしようがしまいが、どうでもいい というスタンスだった。 それに、周りには当たり前に
こんにちは。 「世界の終わり日和にっき」はじめます ほっこりするにっきかな、と思うので お付き合いしてくれる方はぜひに。。 これは、私と、お付き合いしている彼との会話から自然と生まれたことからはじまりました。 毎晩寝る前に、 「今日よかった」「何がよかった?」「今日かなしかった」「何がかなしかった?」と言い合うのです。 そのとき、世間はコロナウィルスのパンデミックで大騒ぎだった。 「世界はなんだか終わりそうだね」 「僕らは今日も平和だったね」 「うん」 「ねえ、
私たちは何でも言語化しようとする。 事実はあるのだけど それにいろんな言葉を貼り付ける。それでよく理解しようとするのだ。 それはものすごく物事を複雑化させる。 なぜなら、言葉は物事の一面しか捉えることができないからである。また、言葉の定義はいつでもハッキリしているようで曖昧だからである。 言葉は人に、「わかったフリ」をさせる。 事実を知るには ただ、受け入れること。しかできない。 言葉にはできないものも含め、感じるでしかないのだ。 オラオラ体育会系でがむしゃらに
its only cold if you think about it
自分の理想と現実を混同する人をよく見かける。 もっぱら、自分である。 私は、人から必要とされたい。 だから現在必要とされている人材は〇〇ですって騒がれると きっとその人材に自分を近づけたくなってる。 例えば今は クリエイティブ、革新的、コミュニケーション能力が高い、自律的な人材 とかね。 私は仙人のようになりたい。 誰もを愛し、幸せを願うような人に。 その結果、理想と現実のギャップに苦しんでいる。 だから同じような人をみると 自分を見ているようで嫌になる。 本当は
わたしは自分の悩みごとを専ら人には話さない。 意図的に話さないようにしている。 その根底にあるのは 誰もわたしの幸せは願っていない っていう考え、なのかも。 ほとんどの友達は、 自分が不幸な時にわたしの幸せは願ってはくれない。 むしろ、妬みやエゴをよく感じてしまう。自分のコンプレックスを他人への妬みに転換してしまう人が多すぎる。 自分で言うのも何だが、わたしはよく周りから、笑顔を褒められたり、努力によって認められる成績ついて褒められたり、いつも幸せそうに見えると言われる
所有とは 自分のものとして持っていること。 え、自分のものってなに?www どっからどこまで? なにかを所有してると捉えることはすごく辛い。 私の食べ物 私の服 私の布団 私の彼氏 私の仕事 私の時間 私のアイディア 全ては相互作用しあって形成されていくものであって 誰かだけのものなんてものは何一つないのだろう。 所有とは、傲慢な思い込み。 自分のものになった瞬間に、それを自分の思い通りにコントロールできないと気が済まなくなる。 それが誰かの所有物になるのが嫌。自分
このあいだ 久しぶりに大切な人と電話をした ああ なんか なんてよぶかわからないこの2人の想いの間には 障害物なんて何もないなあって思う この世の何にも、関係ないってかんじ。 想いの伝え方には色々ある。 looking into eyes, touching, words, service, gifts, spending time together... あらゆる方法で、いつも1つの想いを伝えてくれる。 人の心ほど変わりやすいものはない 信じるものは己のみ っていう
ぽちゃん ぽかぽか たんぽぽ ぽっ なんだか、素敵。 ぽ という音に 私たちは あたたかさ、やわらかさ、やさしさを 感じることができるから。 泣きたいとき 怒ってるとき 気分がdepressedなとき そんなときは、ゆってみよう。 ぽ、ぽ、ぽ ぽぽぽっ ぽ〜 ぽ なんだか、いい気持ち。 #理屈じゃない
今日はわたしと小学校からのお付き合いの友達が わたしが人に与えることのできる前向きな影響について教えてくれた それは、人の気持ちをなんだか上げることができることこと、らしい。 理屈ではどうやら説明しづらいらしいのだけど 一緒にいると、なんだか前向きな気持ちになれるそう。 そして、 築き上げる人間関係が深くて強い って言ってくれた。 誰でも一人間としてみて、受け入れ、一緒に踊ろうとしてるからかな。個と個の共存を望もうとしてるからかな。自分にも相手にも、誠意をもって接し
今日は、小学校からお世話になってる友達と ひとのこころ について日が暮れるまで話してた。 他のひとに対して ン?って違和感や不快感を感じるとき それをなんでだろうって追ってみると 自分の中に辿り着いたりするよねって 本当は自分の中で自分にダメって制御かけてたり 自分の中にある自分の嫌いな部分だったり そんな見たくない部分を相手が持ってるのを見たとき 不快になっちゃうんかもね。 何事も 前にも後ろにも 心が大きく動いたとき それは自分をもっと知れるきっかけになるのかも。
夢ってなんか 大きくなきゃいけないって そう思うのかもしれないけど 私の夢は 大きくもあり 普通のことでもある 私の夢は、 それは言葉に例えるなら 平和です。 それは音に例えるなら 綺麗な和音のハーモニー。 それは香りに例えるなら 大好きなあの人の香り。 それは色に例えるなら 細かくみれば全ての個の色が保たれつつ、全体を見れば融合した眩い光の白 それは手触りに例えるなら 暖かくつかむことのできない何か それは味に例えるなら 初めてたべるのにお袋の味がするような
私は昔からずっと、裸族になりたかった。いや、今でもなりたい。 だけど今この日本の私の住む街で 裸になって歩いていたら、 逮捕されるか、友人が減るか、家族が去るかされると思うんだ。傷つきそうで、こわいんだ。 だから私は このnote上で初めて 裸族になろうと思う。 最初は自信がなくて、 猫背で歩いてみたり、体育座りしてみたり、木に隠れたりして、 自分の見せ方がわからないかもしれない。 知り合いにはもちろん、見せれないよ。でも誰かに見てほしい、ほんとうの私。 だからまずは