PARCOで買ったマフラーだから満足できるみたいに

去年の冬が終わるころマフラーを無くしたままだったので、さすがにそろそろと思って空き時間に渋谷PARCOへ。無くしたころも思ったが、マフラーがどさっと置いてあることはあまりないので、各店舗をつまみぐいしていくことになる。80年代PARCOへのリスペクトとそれにともなってPARCOカードをつくったことを理由に頻繁に立ち寄るがどこもなかなかの値段なので相当のことがないとお金は落とさない。しかし今回はファッションではなくヘルスのために必要なもので、10%ペイバックキャンペーン開催中だったので思い切ろうというつもりで。

しっかりしてるやつは15,000円付近で、その横に貧乏人向けの6,000円あたりの品、というフォーメーションをどの店もとっていた。その店で一番安い品を買って店員にナメられながらエスカレーターを降りていくのだろうなと思っていた。

5,000円だけどわざわざ買う価値があるかもしれないものを見つけた。つけ方がわからなかったので店員さんにきくと、「"基本"レディースですね」と教えてくれた。購買意欲を完全にはそがないくらいに有能だとわかるその店員は、奥にある別のコーナーに案内してくれた。そこで教えてくれた10,000円のアルパカ毛製のマフラーを最終的に買うことになる。エルメスにも同じような生地のものがあり、関税などもろもろで70,000はするが、自社の牧場を持っているのでこの値段で抑えてるとのこと。ウールくらい暖かいがちくちくしないこと。長持ちすること。この世の全員がこれを買えばいいと思えるほどいい買い物ができた。

「この”思える”というのが大事」

今読んでいる本(『ぼけと利他』著:伊藤亜紗・村瀨孝生)には少し違う文脈で出てきたが、良いマフラーだったと思えることがお店で買い物をする理由だなと思った。マフラー業界にも生地業界にも微塵も詳しくないが、これはきっとマストバイのマフラーなのだといま思っている。アクリル繊維でできていた当の無くしたマフラーが温かさにおいてことたりなかったことはないし、買ってつけてから思ってたよりチクチクするなと感じるけども、店員さんのセールストークを鵜呑みにするわたしは、こいつが最強のマフラーだと信じている。前頭葉が発達した人間という生き物において価値とはいかに”思える”かではないか。

この選択が完全に自分でしたものではないことも大事だ。先述の本に書かれていた”思える”は、何も反応できないほどぼけてしまった被介護者より、介護者に抗う被介護者のほうが、うまくいったときに「相手のことを尊重できた」と”思える”のだという。少し違うかもしれないが、自分本位にならないず相手がいることで逆に自分の考えに自信がもてるといったところか。「普段荒ぶるお年寄りが抗ってこないんだから」「詳しい人が太鼓判を押してるんだから」。

究極的に、YouTuberのおすすめをECサイトで買うのと違うのは、「これを買うことで喜んでくれる相手がいる」ことだ。結局はこれに尽きるのだが、これによって上乗せされるものがひとつの「商品価値」であると私は思う。

みんな、お店で買おう!!

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