花をプレゼントしたりりんごをおやつにすれば安く済むみたいに

職場の人が誕生日を迎えたから、その人と会う昨日はプレゼントを探し回った。かたちが残るものをあげるほどの関係性でもないから、食べ物かお酒か。お菓子はバレンタインとかぶってしまうから(相手はもらう側ではないから余計な心配なのだが)避けよう。でも結局ちょうどいい値段のものがなくてケーキにした。”逆チョコ”とは違う渡し方をするために、一輪でもお花を添えて渡すことにした。お花が好きな人と知っていて、お花をあげたいと自分が思う人だから。

赤いアネモネ1輪:220円。花屋で花を買うのは初めてだったので、その安さに驚いた。”お花をプレゼントする”または”お花をもらう”というそれでしかないときめきをあげる側ももらう側も得られるにしては安すぎると感じた。時間があれば一緒に開けてひとくちもらえるかとおもって何本かつけてもらったスプーンが完全に無駄になったにしては、良く一日が終われた。

明けて今日、出かけ途中生のリンゴをおやつとして買っていった。サンつがる1個:98円。少し前はもう少ししていたのではないだろうか。最近どこ行っても安いなと思っていたところだった。

予定と予定の間に、タモリANNを聴きながら河川敷でそいつにかじりついた。これもまた98円の満足度ではないなと思った。味付けをしていないことがよくよく考えると不思議なほど口に合う甘さの果汁が爽やかにのどを潤してくれる。そしてなによりお腹がいっぱいになる。おかげで、不倫報道以来初めて通ったミスタードーナツで無駄遣いをするのを防いでくれてお菓子袋を家に忘れたピンチを救ってくれた。河川敷もリンゴも失くした恋を刺激してきたことを除けば、今日もいい一日だった。

一人暮らしを始めて、金のことばかりを考えている。どれだけ財布を軽くせず幸せになれるか。そういった点でこの二日間はうまくいっていた。写真美術館の展示が無料で見られたことも東葛スポーツの舞台が小劇場のそれを超える満足をもたらす完成度だったこともあるが、”アネモネ”と”リンゴ”の優秀さをまず思い知った。

花も果実も、ナマだからあれだけ安い。ものは誰かに売られるたびに値段が上乗せされていく。人の手が加わるたびに「価値」は上がっていく……ことになっているけど、だからといってナマの価値が低いわけではないことを私たちは忘れている。プリザーブしてもらったり、皮をむいて煮詰めてパイに包んでもらったりしたほうが、美しさもおいしさも永くいろんな人に届けられたはずだ。でも美しさ・おいしさ自体はナマと変わらない。花をあげた瞬間、かじりついた瞬間を楽しめればいい私にとっては、ナマでよかった。

一方、美術館も演劇もナマを楽しむことにお金を払っている。今回見た展示は無料だったが、本来はお金を払ってみるものである。そしてこちらは食べ物と逆に、それをプリザーブしない状態が一番価値がある(と私は思う)。一つで複製できない故、「一回」で多くのお金を集めなければいけないから、値段が高くなる。植物は生が一番安くて、芸術は生が一番高い。それがどうしてかは明日考える。今日はナマがいいなと思う一日。その気持ちを今日は新鮮なまま楽しみたい。

ナマが良いというよりナマの”ままで良い”って話。生きているから「生(ナマ)」をもぎる。そうしていく。

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