あと2日で食べなければいけない肉を、安く食らうみたいに

スーパーで肉を買うとき、割引シールに飛びついてしまうが帰って消費期限を確認しその短さに後悔することが多々ある。他のパックに比べてそいつが安く買える理由なんてそんなことしかないはずだが、毎度それを忘れてオレンジのシールに目を奪われてしまう。本当はしたくないけれども3食連続で同じ種類の肉を使った献立にしたり、1日過ぎたものを覚悟して胃腸に託したりしてなんとか消費している。多少の無理はあるが安く肉を食べられているので、反省せずこれからも同じことを繰り返すだろう。

"期限が過ぎると売れなくなるから利益を削ってでも客の手元に渡さねば"という店側の論理は理解できる。だけども客側の視点に立ってみると、安く買える理由は曖昧である。消費期限がまだ先の肉と迫っている肉、食べるのは同じ肉なのだから価値に違いはないはずだ。もともと同じグラム単価で売っている肉はきっと、同じ条件で育ち同じ精肉場で同じような時間と手間をかけてスーパーまで来ているはずだ。生鮮品とはいえ、どうせ火を入れないと食べられないものが、時間が経ったからといって10%から20%も価値が動くはずない(これは私の感覚にすぎないけれども)。

腑に落とすことが出来るのは、肉にも「日割り」で値段がついている理論だ。例えば100g200円であと5日間食べられる肉と、あと2日先に消費期限が迫って160円になった同じ肉があったとする。その40円が差の「3日分の値段」と考えられる。1日ごと値段が変動するわけでもなくて、残り期限と値段が比例するわけではないから単純な日割りではないけれども、肉の値段のうちに含まれる「鮮度代」みたいなものが段階的に変動しているとみなせる。

より消費者の感覚に近づけると、冷蔵庫に置いておける"時間"がその「鮮度代」にあたる。割引されてない肉を結局消費期限ギリギリに食べたとする。その人は、同じ肉を消費期限ギリギリに買った人より割高な肉を買ったことになるけれども、そのあいだ冷蔵庫でそれをどうしようか悩む時間、その肉を献立の選択肢に入れておける権利を手にしていたことになる。「食べなければならない」と思って食べるより、食べたいときに食べるほうがもしかすると美味しく感じるかもしれない。食べ物の値段にはもともとそういった"余裕"の価値が含まれているのである。

そしてやはりその余裕は、実態がなくて無くても困らないものである。家電など耐久性が高くて長く使えるものは値段が高くなる。それも「鮮度代」に近い価値だけれども、実際それはその買った時間のうちに商品を何度も使って商品そのものをすり減らしていくのだから、食べることでしか消費できない生鮮食品の鮮度に払う代金とはやはり性質が違う。その価値は十分認めうるものだから、定価で買うのが損とまでは思わない。けれど、払わなくても生活に支障が出ないお金であるのは間違いない。

裕福であることは字の通り余裕があることでもあり、買った肉がもつ自由さに払うお金があることはまさに余裕ある振る舞いだ。お金がなければ、切り詰められいてかつ差し迫った生活をする必要がある。ほしいものをほしいときに使えるように置いておける裕福さもうらやましいけれど、日々未来のない食材を捌いていく自転車操業の生活も忙しくはあれそんなに苦しくはないので続けていこうと思う。そんな「余裕」を入れておける冷蔵庫のスペースにも余裕がないから、あこがれようもないのだけれど。

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