大通り沿いの住宅街をひとり走っていくみたいに

地図アプリで行先を指定してここからの経路を検索すると、基本的には広くて車線の多い道を通るルートを案内される。たいていそういう道は真っすぐ通っていて、交差点では看板が曲がった先にある町を示してくれるから迷わずに進んでいくことができる。特に自転車に乗っていて両手が自由じゃないときは、地図を見る回数が減るようなるべく曲がる回数が少なくて済むように大通りを走る。難点は交差点をたくさん通ること。別の大きい道と交差するときにある信号機が赤く灯っていたら一度止まらなければいけない。うまくいかないときは100メートルごとに引っかかって、結局歩くのと変わらない速さになっていることがある。

そのわずらわしさをどうにかしたくて、この前の自転車のときは大通りから一本逸れた道を進むことにした。住宅街のため住民以外が通ることがなくて信号機も横断歩道もまったく置かれていない。ある程度の道幅はあるからスピードも出せる。こっちのほうが早いかもしれない。道理はわかる。目的地の方向を把握して、見えていない大通りを想像しそれに沿って進めばいいのである。だがそれがなかなかうまくいかない。いつの間にか緩やかにカーブしていたり、十字ではない交差にあたって曲がるのを繰り返したりするうちに方向感覚がつかめなくなっている。結局停まって地図を見てしまうといつの間にか大通りを離れている。

前の日は大通りをずっと走って移動していたから、遠くに行くために整備された広い道の良さがよくわかる。交差点で赤信号さえ待てば、影の方向なんて気にせずに考え事をしながらでも、まるでレールの上を走るようにいつの間にか目的の街に居る。

私(大学を出ても定職に就かず生計を立てている。収入は少ないけれども今のところ安定はしていて、ありあまる時間を使って工夫して一人暮らししている。贅沢はできないけれども楽しい人生を今は送っている。)は、周りの人が大通りを走っているなか、わざわざ人気のない道を進んで目的地に向かっている。いや、目的地もよくわからない。ただ自転車を漕いでいる実感はあるから進んではいるのだろう。就活とか恋人探しの交差点で立ち止まることなく来た分、新しい稼ぎ口を模索したりあの場所に行くのに誘うなら誰がいいか考えたりしている。そうやって一つ先の交差点を曲がるべきかどうかをいちいち考えながら自分が通りたい道を選んでいる。地図を多少見なくても影が伸びる向きから進んでる方向はわかる。でもそうやって進んでいった先は行き止まりだったりする。大通りを進んでいれば案内表示や道の細さとか周りの車の様子でそういうことが未然に察せるのに。さっきのところを左に進むべきだったと、二度と通らない道の進み方ばかり代わりにわかっていく。

自分の生き方に自信を持ちたいから裏道を進む気持ちよさを実感したかったけれども、先が見通せていて他に仲間がたくさんいる道の走りやすさへの羨ましさが消えることはない。どこかで大通りにぶつかって信号を渡らなければいけないときがくる。そうやって停まらされることが、信号のない場所で自ら停まるよりもどかしくてもそうしなければいけない。進むのを止めたらいいのか。いやいや、お腹は減る。明日の晩御飯どうしよっかな。みんな、そんなこと考えないもんなんだろうか。そっか、さみしいね。


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