悲しいニュースが載った一面が内側に折りたたまれていたみたいに

隣に住む祖父母の家がとっているスポーツ新聞を、いつもは仕事帰りの父親が寄ってもらって帰ってくる。だけど今日はワクチンの副反応休暇で家にいたため、夕食後自分がとりに行くことに。よりによって今日の一面は悲しい悲しいニュース。反射的に、その面が内側になるように折りたたんで持ち帰る。

西の方遠くで毎日起きている悲しい死のことは、どこかで私たちにつながっているので、しっかり向き合わなきゃいけない。だけど、画面を通してしか見たことないけど身近に感じるほど愛すべき人とはいえ自分とかかわりないひとの自死は、純粋に悲しむことが許されるでしょう。というかもうそれしかできないから。

目に入ってくる”居なくなった”事実を見えないように折りたたんでもそれが転じて”居る”ことにはできないのだけど、たぶん悲しさの源は”居ないこと”ではなくて喪失そのものだから、居るとか居ないとかいう話をいったん忘れさせてください。

ネットに比べて雑誌とか新聞は自分の興味に応じてカスタマイズされないから、おかげで知るはずのなかったことをたくさん知れるから好き。でも今日はそのせいでちょっと食らってしまった。自分で検索でもしなければ最新情報が目に入ってくることが全然なくて、知りたくないことはとことん知らないままでいさせられる世界が完成してしまっていることは怖いけど、今回はそのおかげで助かってる人もたくさんいるんじゃないだろうか。何も言わずとも持って帰った新聞の一面をみた家族もすぐ元に戻していたし、周りのひともわざわざ話題にしてこないし、本当にみんなが目を瞑りたいと思っているのが伝わってくる。それはどこかでもったいないことをしてしまったことに対する抗議の気持ちもあるかもしれないけど、やっぱり一番は無かったことにしたいからでしょう。

ニュースのことを忘れても、居たことはどこかで思い出させられるであろうほど偉大な人。なので今は、忘れることに必死にならせてください。


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