夏祭りに来たタイムマシーン3号が私にだけ見えていたみたいに

近所の(といっても電車に乗る必要のあるだけ離れている同じ区内の)夏祭りでテレビに出ているお笑い芸人のステージがあることをGoogleの広告に教えてもらった。今年はまだ夏祭りに行っていなかったしちょうど休みでやることが決まっていなかったので出向くことにした。

到着すると、想像していたより狭い公園の真ん中に想像していたよりしっかりしたステージが設営されていた。広い公園の隅っこにビールケースが積まれていて、祭りで歩き疲れた人たちが休憩ついでに見ていくようなステージかと思っていたから、そのステージありきでおまけに出店がついてくるような祭りだったのが意外だった。タイムマシーン3号の人気をあなどっていたわけではなく、商店街が主催する地元の夏祭りがゲストで客寄せする催しであることがどこか納得いかなかったのかもしれない。

出店のテントの下の人とお客さんが知った仲なのが伝わってきて、それでもこれはあくまで”地元の夏祭り”なのだとわかる。電車に乗ってまで駆けつけた自分のような人間のための場所ではない気がして、”近所がなにか騒がしいからちょっと見物ついでに酒でも一杯ひっかけにきた地元民”のような顔をして居場所を探す。ステージ前には子どもたちが体育座りで陣取っていてそんなに近くには行けなかったけど、ホールライブなら間違いなく良席と呼べるくらいの距離に陣取ることができた。子どもたちが座っているおかげもあって、前がひらけていて見やすく、コントを中心にやっている青色1号のぎこちない営業ネタも、昼間からずっと司会をしているぐりんぴ~すの鼻パスタ占いも見届けることができた。そしていよいよタイムマシーン3号となるとやはりゴールデンタイムで活躍する芸人は違うなと思わせるどよめき方で、後ろのほうまで見物客が一気に集まってきた。ステージが高く横に移動できるだけの余裕があったから背の高い私が邪魔になることはなさそうだったのでよかった。

そういうことをこれまでも全く気にしてこなかったわけではないのだが、背の低い友人が、「夏とか人混みは息苦しくて好きではない」と言っているのを聞いてから、こういう立ち見のイベントや都会の人混みに無神経に参加してきた自分の特権性が気になるようになった。私が不正を働いているわけでもなく、自分で調整しようがないことだからどうしようもないけれど、こっち側にいるからこその居心地の悪さもある。equalityとequityを比べるあの木箱のイラストではないけれど、おかげで見たいものにたやすくアクセスできてきたことをちゃんとわきまえないといけないなと思う。少なくとも、一緒に歩いていた人が「人混みが嫌い」なことを理由に回り道をさせられたときに、これまでのように「繊細ぶりやがって」と思うことは二度とないようにしなければいけない。

ステージを見る時間に限らず、祭りの会場を行き交う人々にぶつからることなくスイスイと進めることだって当たり前のことではない。上から俯瞰できない目線に立つ人からしたら、目の前に次々と大きな生き物が飛び出してくるのだと想像すると確かに居心地が悪い。幼いときに見ていたはずのそういう景色はもう忘れてしまった。もしかすると両親がそういう危なさから守ってくれたのかもしれないけど。

社会という人混みのなかを、危険を予知しながら進むことができるこの特権は決して”身長の高さ”だけのおかげではないことも今ならわかる。健康でハンディキャップもなく、大学まで卒業させてもらえた私が履いている下駄の高さがこの居心地の良さにつながっている。その下駄を履いて東京の真ん中で生きている私がしなければいけないことがたくさんある気がしてきた。私が地面を掘って低いところから目線を合わせることが正解なわけ当然なく、この高いところの景色を他の誰かも見られるようになるといいなと切実に思う。それは私の孤独の問題でもあり、まずはこれに気づかせてくれたその人と仲良くしていくために、肩を並べられたらと思う。

第一部より人が集まってきて明らかに小さい子どもはステージが見えなくなっていた第二部では、そんなことを考えていたらなんだかいたたまれなくなってきた。好きなK-POPアイドルが出演するMステまでに帰りたかったので会場を後にした。かえってテレビを点けて、誰でも見られるこの景色もやっぱり良いなと思った。

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