あの人のLINEの名前が苗字だけになっていたみたいに

誕生日の朝目覚めて確認できたお祝いLINEは母親と、ついこの間就職により一緒の職場を去っていった友達からの2件のみだった。ここに公式のものをいれるギャグをしたかったのだけど1つもなくて残念だ。個人情報の流出が最小限という意味ではよいことだが。

どちらも期待というか想定をしてたので大きく感情は動かなかったのだが、友達のアカウント名が少し変わっていたのが、自分にとっては大きい変化に感じられた。すべてひらがなだった彼女の名前のうち、苗字が漢字に変わっていた。新社会人として働くうえで名前を間違えられないように工夫をする必要があるのだなと、環境の変化がそこに滲んで見えた。なにせ読み方を聞いて別の綴りを想像しやすい名前だから「□のほうの○○○です」と訂正するこの先幾多煩わされる手間のことを考えたんだろう。下の名前はむしろ読み間違えられやすいからひらがなのままなことも一瞬で理解できた。すべて「なんとなく」かもしれないのだが。

どちらにせよ、社会に出ることは、漢字になった彼女の苗字のように”本名で書かれる”ことだと気づけた。子どもどうしの関係性のなかで、名前とは”呼ばれる”だけのものだ。現代では文字のやりとりで書かれることもあるが、その名前はたいていはあだ名など、本名とは結び付きながらも別物の記号が使われる。手続きなどにおいてそういった記号を共有していない他人と文字でコミュニケーションをとることはあれど、それはシステムによって自動入力されているような書かれ方である。呼び方とは違うかもしれないけど社会のルールとして本名が、呼び手の意志によって書かれるようになることが、社会人になった証といえるのではないか。システムによって書かれることと区別して”書き呼ばれる”とでもしておこうか。”名刺をもらう”ことが社会に出た証とされることはよくあるが、本当はそこに書かれている名前こそ、新しく手にするものなのではないだろうか。

苗字が漢字になって生まれ変わったが、私のなかの彼女の名前はまだひらがな5文字のままだ。LINEの名前というのは、友達の側が変えられるようになっているから、私はひらがなにもどした。苗字が漢字になっても、新しい環境になれるのに大変でも私の誕生日を忘れないでいてくれる「ひらがなの彼女」のままでいてほしい。

そして、わたしにとっての彼女がひらがな5文字であるのだとしたら、自分の名前はどうなのだろうと思い及んだ。上の名前、下の名前をそれぞれ漢字、ひらがな、カタカナで検索してみた。苗字を漢字で書かれることが一番多いようだ。ひらがなで苗字を書く人もそこそこいて、そのほうが親しみを持ってくれている気がする。気にせずどっちも使う人ももちろんいる。大学の新歓で会った先輩が、ひとりだけ下の名前をひらがなで書いていて、ミュージカルサークルだったことを一瞬で思い出した。

まだ名刺をもらっていない私が「書き呼ばれる」名前は”漢字の苗字”だとわかった。ひとまず、漢字四文字だった自分のアカウント名から下の名前を消した。せっかく両親につけてもらったけど、たしかになかなか呼ばれない名前だし、男っぽくて今の自分とかけ離れている気がしていたのでちょうどよかった。

まだ何者にもなっていない私も、新しい名前を手にして、明日から生きていく。

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