走れ俺たちの月 人生を懸けて日

高校生のときにでんぱ組.incからBiSを知り、『BiS誕生の詩』を観るために初めてミニシアターに行った。以来ミニシアターとの出会いは今の自分をつくっている重要な要素だ。

同時にカンパニー松尾を知り、『テレクラキャノンボール』シリーズの存在を知り、その後続編となる『劇場版アイドルキャノンボール2017』と『BiSキャノンボール2014』を見たことがあるのだが、本体のテレクラキャノンボールの方は手つかずだった。それがシリーズ新作の公開に合わせて劇場にかかってると知り駆けつけた。

「なんで今まで見てこなかったのだろう」とは思わない。今になって初めて観たからこそこんな気持ちになれているだろうから。でもなるべく多くの人にこれを見てほしいということは言い切れる。

ネタバレしたって面白い作品だろうとは思いつつ作者の意向なのであまり詳しい内容には触れられないが、間違いなく"面白い"作品である。あんなふざけた"遊び"をしなければ出会わない人と人が出会う姿、決して美しくはないセックス、1番であることにこだわる男たち。みんな笑える。笑うという動作で表れるもののそのとき心にどんな動きが起こっているかはよくわからない。醜いものを哂う気持ちかもしれないし、バカバカしさから距離をとりたい気持ちかもしれない。少なくともそのどちらでもないことは出ている全員がかっこいいと感じるのも本当でそれは終映後に登壇したカンパニー松尾監督が「全員に敬意を払っている」と弁解せずともわかっていた。

カッコいいのは自分のために生きているからのだろうか? 作品中幾度と出てくる”ハメ撮り”をすることは、自分の快楽のまま動くとともにとそれを人に見て楽しいと思ってもらうための行為だ。だから彼ら、彼女らは実は人のために生きているようにも見える。人のために生きることもカッコいいことだから、”人のために生きる自分”をつくるために生きるようにも見える。

お互いが愛し合っていれば、自分の幸せ=相手の幸せという前提のもと、セックスは尊いものたりうる。だがこの作品のプレイヤーのように、ポイントのためにセックスをしていながら、相手を楽しませるというミッションもつねに背負うことになる。セックスから愛を引き算したとき、それを他人のためにしているのか自分のためにしているのか、よくわからなくなる。そういうことも考えさせられる作品だった。

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