この体にまとわりつく熱を扇風機の風で振りはらっていくみたいに
外が暑い、ことよりも、ヒトの体は熱い物なのだなと強く感じる毎日。体が持った熱を冷たい空気に渡しながら生命は続いている。暑さを太陽がもたらしているのではなくて、気温が高いときは体の熱が出ていかずいつも感じている涼しさを感じられないにすぎない。いつもが涼しくて、今が涼しくないだけだ。熱の逃げどころがないくらいパンパンに太陽のエネルギーをつつんだ空気が、わたしたちが彼らに普段委ねていることの大きさを突きつけてくる。
そんなことを思ったのは、月のはじめに熱を出したせいもある。おかげでまだ暑さが騒がれる前から、体をどう冷たくしようかと考えている。どうやら扁桃炎が原因で、のどの痛みを抑えながら免疫がウイルスを倒すのを待つしか治しようがなかったので、炎症を抑える薬を直接のどにかけて冷やしながら、細胞が菌をやっつけるのを寝ながら指をくわえてみているしかなかった。そして熱が下がって暑さがやってきてからも、細胞と菌の間で繰り広げられていたような”アツい”戦いは日々わたしの体で起こっているのだと実感する。
体の熱が出ていかないもどかしさを常に感じているのは、エアコンがない部屋に住んでいるからだ。室内なら空気を思いどおりの温度に調整できるようになるまでに進んだ文明に住んでいるにもかかわらず、わたしはいまだに扇風機で風を当てたり、保冷剤や氷枕を体に当てたりして涼しさを手に入れている。”熱を体からふるい落とす”ことを、肌で感じながら強く意識して行っている。普段天気に任せているこの作業を、自分でなんとかしなければいけないのがこの季節だと、自立してから初めて思い知る。真面目に働いているひとはお金をかけて涼しい部屋を手に入れるのだけど、金をケチってそこにお金をかけず不便な部屋を選んだからこういうことになっている。時折涼みに入る図書館や商業施設は莫大なお金をかけて涼しさを手に入れていることが、誰よりも身に沁みている自信がある。
暑さのことを忘れる暇がない不便な生活だけれども、これでいいかなと思うところもある。家計簿をつけながら、少ない稼ぎをどうやりくりしようか考えながら毎日過ごしていると、自分が手にしたものを大事にできる気がする。そんな実感は、体の熱を「払って」対価として心地よさを得ているこの夏、より強くある。エアコンの効いた部屋にいて知らず知らずのうちに奪われていく体のエネルギーに気づかずにいるより、大事にしていた命の燃えかすを自分の手でほうむってどこかへやるほうがしっかり生きている感じがする。
自らを苦しめるこの熱さは、わたしが食べて動いて考えた証で、それをまとっていることを感じられる夏はありがたい。エアコンの熱交換の仕組みで、管を通して外に追い出してしまうより、扇風機の風でいったんは体からひっぺがしながらも少しのあいだは部屋のどこかにその熱が漂っている状態も悪くはないかもしれない。
そんなことぬかしてられないくらい酷な暑さが明日からやって来るらしい。倒れたり死んだりしたらもともこもないから、昼間はなるべく部屋から逃げて過ごそうと思う。いのちの燃えがらよりも、いのちのほうがそりゃ大事に決まっている。
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