ここまで衰えた理由
前回の続き。
それにしても何故ここまで衰えてしまったのか。
この一年半、ほぼ家事と育児しかやることがなく、また出来ない生活をしてきた。
大人と会う機会は激減し、元々非社交的でこもりがちな私だったがさらにそれに拍車がかかった。
外に出て人と関わらないからどんどん内向的になり、想像の世界に没頭し、自分が考えたいことを考えたいようにしか考えなかった。
人に向けて話をして、何らかのレスポンスを受け取り、それを良くも悪くも取り入れるという、社会参加していれば当たり前にやることを全くと言っていいほどしなかった。
それはまあまあキツイ孤独感を伴うものだったけど、今振り返ると楽でもあった。何しろ誰にも干渉されないのだ、息子以外からは。
家事は私が苦手とするタスクであり、育児もやってみて分かったが得意なタスクとは言い難い。
苦手なことをし続けなければならない→上手くいかない→自己肯定感が下がっていく
ずっとこれだった気がする。実際に、育休中は情緒不安定になることがしばしばあったけれど、そこに自己肯定感の低下が加わると「私って何も取り柄がなく生きてる価値がない」とまで思うこともあった。
そういう意味で育休はやっぱりしんどい期間だった。
そして何より、育児をしていることで、勝手に自分で自分に免罪符のようなものを与えていたように思う。
「子どもが生きてさえいればいいのだ」
子どもの世話以外のことは、少しでも面倒で気乗りしないことは徹底してやらなかった。
疲れているけどちょっと無理してこれだけはやってしまおう、みたいなことを全くしなかった。
子どもが昼寝をしている時にはひたすらソファでネットサーフィンするかネットフリックスを見るか小説を読むかゲームをするかだった。
「子育てって大変だから」
というフレーズの元に自分を甘やかし、かつてないほどの長い期間かつてないほどの自堕落な生活を送っていたと言えるかもしれない。
その結果がこれである。
とは言っても、実は不安は今のところあまり感じてはいない。ショックは大きいけど。
これだけの間社会から離れていれば程度の問題はあれど当然のことだし、そのうち元の自分に戻るだろうという気もしている。
まあ、元々大したことはない自分なのだが。
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