感想をつぶやくときに思うこと

ホールにピアノを聴きに行くようになって1年9ヶ月。

私はTwitterのヘビーユーザーなので、これまで演奏会の感想をその都度ツイートをしてきたわけなのだけど、最近になってその是非について考えるようになり…

そもそもこれまでも考えることはあったのですが、今回考えるようになったきっかけは、Twitterのフォロワーさんがとても近しい事を考えていると知って自分の考えを掘り下げてみたくなった事です。

SNSの中でもTwitterはかなりオープンで、ワールドワイド掲示板なわけで、そこに感想を書くと言うことは、意図して探していなくてもご本人の目に入ってしまう可能性はそれなりに高いわけで…

感想と言うのは『一個人がどう思ったか』であるので、書き手のコンディションや「こう聴きたい」という無意識の希望というか無意識の欲に左右されてしまう部分は大きいものであるのに関わらず、ご本人に伝わってしまうのはどうなんだろう?

もちろん、感想をツイートされる方の中には、本人に読まれたくて呟いてる人もいると思います。
感動をご本人に伝えたい気持ちは誰にでもあると思うし。
それを否定する気持ちはさらさらありません。

でも自分の言葉が相手に好意的に受け取られるかどうかは受け取り手にしか分からないというリスクがそこにはあるわけで。

どう言うことかと言うと、発言者にとっては褒め言葉でも、受け取り手によっては心外だったりする可能性はゼロではないと言うこと。

言葉は発した瞬間から発言者の手を離れて一人歩きするものだから。

「キラキラした音が素敵でした」
に対して、
「キラキラさせてないし、させたくなかったし」
と思っているかも知れず。

前述したけれど、感想はあくまでも一個人のその時の気持ちなので、
「あーそう感じたのね」
の範疇に収まればいいのですが、演奏者の心ををむずむずさせてしまったら怖いな、と思うのです。

と、ここで、自分がSNSに感想を書く最たる理由は…と考えた時に真っ先に浮かぶのは、感動や想いを書き留めることへのモチベーションなので…
そう考えると、自分の感想が不快とまではいかなくても、解せない気持ちを誰かに抱かせてしまっているとしたら、私の自己満足の対価としてそれはどうなのかな、などとも思ったり。

それがましてや演奏者ご本人や演奏に関わった方達に届いてしまう可能性があるとなると…
あくまでも感想は個人的な物と言えばそうなのですが、SNSに書くと言うのはその時点で自分の手を離れているという事に思い至ると…ごちゃごちゃた考えてしまうのです。

何も言わない、というのも選択肢としては有力ではありますが、感想を述べるということそのものは否定されるものではないし、意図しない意味で受け取られることの方が少ないとも思うし。

では、書き手にとってもマイナスと自覚される感想については?

「あの曲はもっと情熱的に演奏して欲しかった」
とか、
「前はあんな表現しなかったのに…」
とか。
そう言う類のものは控えるべきなのか?

目に留まってしまって気分を害されたくないと言う気持ちを優先するのならそれがいいのかな、とは思うのですが…

でも、個人的な感想を取捨するとそれはもう既に感想としての形が崩れてしまっているような気がしてしまうのです。

考えすぎ、と言ってしまえばそれまでなのですが、Twitterで感想をつぶやくときに、上記のような気持ちがさらーっと心を撫でる瞬間があるのです。
文章だと長いですが。

自分は聴き手でしかないので、聴き手という同じ位置から書かれた人様の感想を読むのは面白いです。
そして、なんだかんだぐだぐだ考えても、これから先も感想をツイートしたりブログに書いたりするんだろうな、私は…とも思っています。


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