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2022 ベトナム・タイの旅⑤ ~ダナンからバンコク~

潮風と豪雨 ~2022年8月5日 ダナンからバンコク~

   ミーケービーチ

 リモコンに反応しないエアコンは諦め、私は部屋の窓を開けた。サッシは埃がこびりついているが、開けてみれば少し涼しい風が入ってきて爽やかな気分である。窓外は空き地で、周囲の建物とは少し距離がある上に窓が向き合っている訳でもないので、私はシャワーを浴びたあとはベッド上の扇風機を動かし、窓からも風を浴びて下着姿で涼むことにした。
 シャワーの水圧はここまでの宿で一番強く、それは日本と変わらないほどだったが水しか出なかった。水回りが割と清潔なのが救いではある。
 ダナンのようなリゾートの街にやってきて安宿を予約した自分の選択を後悔していた私だったが、コンビニで買ってきたビール二本を飲み終わる頃には、この民宿を連想させる宿が気に入り始めていた。私は国内旅でも安い旅館を好んで泊まっている。
 何より、窓の外が静かなのがいい。ハノイのような都会とは違った夜風がこの街には吹いている。私は少し楽しい気分になり、扇風機の風がベッドの横に当たるように調節して、動かしたまま就寝した。
 夜中に何度も目が覚めた。暑いからだ。寝付けないまま、窓の外を眺める。外は真っ暗だ。車内から見たダナンの中心部は結構な都会だったが、ここはそこまでではない。だが、ビーチのそばに泊まってよかったと実感している。静かだからこそ、再び寝られる。
 何度も目が覚めた夜だったが、朝はすみやかに起きることができた。ビーチを散歩して来ようと思う。七時半、日焼け止めクリームを塗りたくって部屋を出てビーチに向かった。
 昨夜お世話になった噴水のあるホテルの前を通った。広い庭、白い外観はまさにリゾートホテルだ。ここは一泊いくらなのだろう。
 ホテルからビーチまでは徒歩10分くらいの距離で、道もまっすぐだ。沿道には飲食店やホテルが並ぶ。途中、塀で仕切られた公園のような広い空間がある。奥に大きな建物が見える。何かのミュージアムなのか、入口だけでは判別できない。
 道の先に空が広がってきた。海岸道路と交差し、その向こうに青々とした海が現れた。ミーケービーチという海岸である。ミーケーは漢字だと「美渓」と書く。時間が早いので混んではいないが、それでももう泳いでいる人がいる。空は快晴だ。私も砂浜に下りて海に近づいていく。
 砂はさらさらとしていて気持ちがいい。サンダルのまま波打ち際まで行き、しばし波と戯れてからサンダルを脱いで波に晒される砂の上を歩いた。
 北の方角は海に突き出した大きな岬が伸び、南はゆるやかな丘陵が見える。長い砂浜に添うように高さのあるリゾートホテルが並び、南国リゾート感のある眺めとなっていた。
 ビーチを端まで歩くには長いので、適当な所で道路の方に出た。ちょうど足洗い場があったので足とサンダルを洗い、海岸道路に沿った歩道を歩き始める。まだ屋台の姿はほとんどない。
 喉が乾いたので歩道にあった小屋のような店でビールを買うことにした。売り物を見てみるとタイガービールがある。昨日ノイバイ空港で飲んだシンガポールのビールだ。高校生くらいに見える男の子が29,000ドンだと値札を指してくれた。空港より1,000ドン安い。私の財布にはちょうどいい細かい札がなく、50,000ドン札を取り出して渡したが、レジの機械が開かずお釣りが出せない。もう一人の少し年上風のお兄さんと悪戦苦闘しているがレジが動く気配はなかった。そんな二人を見かねてか、そばに座っていた自転車のおじさんが崩した50,000ドンを男の子に渡し、私の手元に21,000ドンがやってきた。
 店の脇にプラスチック椅子が置かれてあるので、そこに座ってビールを飲みながら海を眺めた。いい天気、いい景色だ。都会の街歩きも楽しいが、こういう風に自然と触れながらのんびりするのは落ち着く。旅の中盤にリゾート地に立ち寄ったのは正解だったと思う。
 海の景色を堪能してから、ストリートを歩きながら朝食の店を探しに出る。ホテルから歩いた歩道には海鮮レストランとローカルすぎる食堂しかなく、どちらも入るのに多少の躊躇があった。帰りは反対側の歩道を歩いてみる。
 たくさんのフルーツジュースをメニューに並べた店がある。カフェに入るのも良いが、まずは食事だ。少し歩いていくときれいな店構えの麺料理レストランを見つけたのでここにする。
 メニューからシンプルにフォーを選ぶ。待つほどなくお茶が届き、フォーがやってきた。一緒に置かれた小皿にライムと辛子らしき緑色の野菜が乗っている。
 フォーはとても美味しい。鶏だしのよく利いたスープが平麺とよくなじんでいる。嬉しくなって食べていたのだが、ふいに辛子を軽く噛んで食べてしまった。たちまち喉に刺激が走り、口の中から感覚が消えていった。朝から失態である。スープの中にはまだ二つほど姿が見える。つまむことのないように気をつけながら、残りの具と麺を食べていった。
 朝から美味しいものを食べられると幸せな気分である。お値段は45,000ドン。安いのに量もそれなりにあり、お茶も付いていたのだから大満足だ。辛子で喉が痛いのは自分の責任なので店の評価とは違う次元にある。
 ホテルに戻ってシャワーを浴びて少し休んだ。今日はだいぶ気温が上がりそうだ。夕方に空港に行けばいいだけで、それまでは特に予定はない。街をぶらぶらと歩くつもりで、まずは橋を見に行くことにした。橋を渡ると街の中心部で、そこで昼食にしようと決めた。

 夜は真っ暗だった窓際に明るい南国の日差しが射している。明るい光の中で眺めれば粗も見えてきそうなものだが、もう部屋に不満はない。準備を済ませて部屋を出る時は名残惜しささえ少しおぼえた。最後まで上手く操作できなかった鍵穴に鍵を掛けて部屋を出る。昼間の光で見ると、エレベーターの周囲に僅かな部屋を配置しただけの小さなこのホテルは、どこかアパートメントめいてもいた。実際にそういう履歴がありそうな気もする。そうだとすれば、夜半は一階がローカル食堂のような雰囲気になっていたのは納得できる。
 11時にチェックアウトした。まず目指すのはドラゴンブリッジである。ここからだと歩いて30分くらいだろうか。暑いのでタクシーで行ってもいいし、そうするべき気温だが、街歩きをしようと決めている。
 昨夜、夕食ができる店を探してさまよった歩道を歩いて、昨夜に折り返した大きな交差点まで来た。ここをまっすぐに歩いても橋があるが、私が目指すドラゴンブリッジは北にもう一本別の通りとなる。なので、横断歩道を渡って右折した。
 道路は車幅がある。昼でもバイクの交通量が多い。車の姿も多い気がする。景気がいい街だからか、観光の街だからか。人が集まっている街だ。
 車線の多さに比して歩道も広く、歩きやすい道である。沿道には生活用品店、携帯電話店、食料品店などが並んでいる。この辺りはホテルはあまりないようで高い建物は少ないが、視線の先にはビルなのかマンションなのかホテルなのか、高い建物がいくつも見えた。今歩いているエリアは生活感の溢れる古びた家並みだ。そういう風景を眺めるのが好きなので、足は自然とゆっくりとしたものとなり、ドラゴンブリッジが近づいてきた頃にはホテルを出て40分が経過していた。
 ドラゴンブリッジに行く道を左折すると、すぐに道は上りとなり、ハン川という大きな川が現れた。川のそばに空き地が広がっている。どうやらナイトマーケットが開かれている空間らしい。昨日ホテルを一緒に探してくれた日本在住経験のある青年が見せた寂しそうな顔が物語るとおり、ダナンは何日間か泊まって観光をする街だったと痛感する。
 ドラゴンブリッジに到着した。全長は666メートル。2013年にダナン解放38年を記念して開通したという橋だ。中央分離帯に設けられたアーチが金色の龍をモチーフにしていて、橋の名前もロン(龍)橋という。龍の頭部はビーチの方角を向き、尾が街の中心部を向いている。
 このドラゴンブリッジの頭部は火を吹く仕様になっていて、週末になるとファイヤーショーが開催される。今日は金曜日。ダナンを今夜に去るのは間違いであると改めて思う。
 空は雲ひとつない青空が広がっている。そこから熱い直射日光が照りつける。歩いている人も誰もいないが、私は666メートルを歩ききってみせようと思う。歩き出してしまえば大きなハン川に吹き付ける風が心地よく、そして空に雲がかかり始めて太陽も隠れてきた。広い川幅の上を小さな舟が通っているのが見えた。いい風景だなと思う。
 やがて道は下りとなり、ドラゴンの尾が現れて橋は終わった。その先は店が連なる市街の風景だった。

 橋を渡りきった所はいわゆる繁華街だった。きれいなコーヒーショップがあったので入ってみる。今の私は炎天下を歩いてきて身体が冷房を求めていた。そういえば昨夜から冷房に触れたのは朝にフォーを食べた店での20分くらいの時間だったと気づく。
 店はカウンターで注文してテーブルで待つオーソドックスな形式で、天井の高い店内の内装は木目を基調とした洗練されたものだった。ローカルなカフェに入ってみたくもあるが、こういう都会的な店に旅先で遭遇すると嬉しくなるのは確かだ。旅の味わいより快適さが勝ってしまう時もある。今の私だろう。
 注文したのはアイスブラックコーヒーだった。コンデンスミルクをたっぷりと入れたベトナムコーヒーを飲んでみたいが、この店は西洋式なようで、その点だけが残念だったが店は結構混んでいた。私が座っているのは入口近くの席である。その席の奥にトイレがあるようなので、そちらにも行ってみた。想像通り、かなりきれいで清潔だった。
 濃厚な味わいのコーヒーを飲みながら30分ほど店で涼んで、再び散策を始める。ここからは街歩きだ。時刻は正午を過ぎ、昼食の時間帯でもある。朝からフォーを食べたのでそこまで空腹でもないが、美味しそうな店があったら入ろうと思う。
 私が歩いている歩道はこのストリートの南側で、視線を巡らせると、どうやら北側の方が店はありそうだった。南側は携帯電話の店やオフィスビルなど昼食とは縁のない建物が目立つ。日差しはますます強くなってきた。とりあえず何でもいいので店に入ってみたくなってきた。ちょっとしたショッピングビルかと思って足を向けると企業のビルだったりと、肩透かしを何度も繰り返している。
 コーヒーショップを出てから20分ほど経過した。帽子は被っているが暑さで疲れてきたので、シャッターが下りている店先に座り、ホテルから持ってきた水を飲んで休憩する。暑い中を2時間近く経過しているので水はお湯になっている。そして、飲み干してしまった。
 スマホの地図アプリを見る。ダナン空港はもうすぐだった。1キロくらいの距離だろうか。今の周辺は店とビルが続く市街地の風景で、とてもこの先に空港があるように思えないが、とにかくそういうことらしい。空港まで辿り着けば涼しさも得られて喉の渇きも解決する。もうひと踏ん張りするため、私は腰を上げた。
 歩き始めて10分。不思議なもので、賑わいのある市街地の商業エリアだった風景が突然変わり、店は減り、大きな交差点が現れた。交差点の周囲は携帯電話の店や屋台などが立っている。その先に病院があり、そこまで来ると家や店は消え、前方にターミナルビルが見えてきた。

   ダナン空港

 ダナン空港は国際空港である。ターミナルビルは二つ立っている。どちらが国際線であるのかは規模でわかる。向かって右、北側に位置するのが国際線だ。近づくと、一階は関係者以外の人の姿がなく、ひっそりとし過ぎている。外を歩いていると、入口に飲料水が並んだ冷蔵棚のある店があった。炎天下を歩いてきたので喉が渇き過ぎている。炭酸飲料が飲みたかった。ペプシコーラの青い缶が見えた。迷わず入店しようとすると、スーツ風の制服を着た女性店員が中に入るのを制し、私に用件を尋ねた。用件はひとつ、冷蔵棚に見えたペプシコーラを一缶欲しいだけだから、それを伝えると、店員は冷静な表情で30,000ドンだと告げた。値段の高さに迷っている心の余裕はなかった。ただ、冷蔵棚には値札はない。
 支払いを済ませて商品を受け取って店を離れようとして、そこは売店というよりも両替か何かの店だったのだと気づいた。だから入店する前に用件を訊かれたのだろう。まあ、もう何でもよい。近くにあったベンチに座った。到着便は当分ないのか、タクシーの姿はほとんどない。やっとありつけた飲み物に安堵しながら、吹いている風がいつしか少しだけ涼しくなっていることに気づいた。
 国際線ターミナルはあまりに静かなので、店を物色してみるために私は国内線ターミナルに移動した。昨日のノイバイ空港はシャトルバスを使っての移動だったが、ダナン空港は徒歩移動ができる距離にあり、歩き始めてすぐに一回り大きい国内線ターミナルが現れた。こちらは昨夜降りているので一階のタクシー乗り場の風景が記憶に新しい。
 二階に上がると適度にベンチがあるので少し休むことにした。まだ空腹という訳でもない。今は冷房に当たりながら休みたい心境だった。
 20分くらい休んだだろうか。国内線乗り場は人の出入りがそれなりにあるので落ち着かないから、静かな国際線ターミナルに再び移動することにした。このあと用事がある方で待っているのが賢明でもある。そう思って外に出ると、空は暗くなっていて激しいスコールが地面を叩いていた。
 幸いにも二つのターミナルを結ぶ通路には屋根が架かっている。ビルの敷地を出て数メートルだけ屋根がない箇所があるが、そこを抜ければ雨に濡れずに移動できる。私は移動を決意した。
 国際線ターミナルの二階にある出発ロビーも一階同様に閑散としていた。空間はそれなりに広く、飲食店はロビーの両脇の階段を上がった所に一店ずつ設置されている。奥にある方がハイランズコーヒーなので後で行ってみようと決める。このベトナムを代表するコーヒーチェーン店にはまだ足を運んでいなかった。
 周囲に誰も居ないベンチで、私は静かに腰を下ろして一人しんみりとしている。あと三時間少々でベトナムを出るのだ。早かったなと思う。もう少し過ごしてみたかったなと思う。ダナンは空港と街が近く、飛行機の時間もまだ先だ。だが、思い出作りの延長戦はスコールがさせてくれなかった。
 ぼんやりと過ごしていると時計はいつしか午後3時になろうとしていた。3時になったら昼食にしようと考えていたので、ハイランズコーヒーに向かう。雨はまだ降っているようだ。スコールではなく、午後からは雨という天気なのだろう。
 ベンチには人影はほとんどなかったが、ハイランズコーヒーには少しだけ外国人が休んでいた。先ほどブラックコーヒーを飲んだので別の飲み物が飲みたくなり、55,000ドンのアイスミルクティーと、19,000ドンの細長いバインミーを頼んだ。出て来たミルクティーは随分と甘く、ミルクがまろやかだったし、バインミーの食感はハノイで食べたものと違ってやや硬めのパンにひき肉のような具が細かく入っているものだった。その違いを楽しんでいる。

 出発三時間前となった頃、これから乗るエアアジアのカウンターに向かった。まだ空いている。すぐに番は回ってきた。これから向かうタイでは入国の際にワクチン接種証明か、それがない場合はPCR検査の陰性証明が必要である。接種証明は自治体が発行してくれた紙のものとスマホのアプリに登録したものとを二つ用意したが、紙の方が扱いやすいだろうと判断してそちらを提示した。
 エアアジアはマレーシアを本拠とする東南アジアを代表するLCCで、タイにも多くの便が発着している。処理の都合で外国人は時間がかかるのか、案内してくれた女性スタッフは列から外れるよう指示し、他の乗客のチェックイン列とは違う係員が私を担当した。何か問題でもあったのかと心配したが、特に何もなく無事に発券となった。だが、並んでいる人は少ないのに席は中間席となってしまった。LCCに於ける座席指定は別途料金が加算される。せっかく安いのだからと、ここまで搭乗してきたLCC三便も座席指定はしていなかった。ダナンからタイのバンコクまでの運賃は八千四百九十円。1時間45分のフライトである。
 チェックインもしてしまったし、出発ロビーは時間を潰せる場所が少ないので、名残惜しくもベトナムを出国してしまうことにする。外はまだ激しい雨が降っている。
 保安検査場に来た。昨日のノイバイ空港で「靴を脱げ」と激しい口調で注意されたばかりだが、ダナン空港の女性担当者は英語で「Shoes」と教え、続けて「Belt」と言った。物腰は少し柔らかく、外国人ということを考慮して英語で伝えた気遣いは、ベトナム出国前に受けた最後の優しさだった。
 ベトナム人は愛想がいい訳ではないが、根は優しく、困った人がいれば助ける。そういう人たちだった。
 こんなことがあった。ハノイ二日目の昼、カフェを求めてホアンキエム湖の周辺をさまよっていた時の出来事だ。暑さと客引きの勢いに少々疲れて注意力が散漫になっていたのだろう。私は右折してきたバイクと接触しそうになり、私を避けたバイクの荷物が路上に落ちてしまった。荷物は縛られていなかった。それで、少しのバランスの変化で路上に投げ出されてしまった訳だ。運転していたのは六十代くらいの男性で、私はすぐに謝り、路上に散らばった大きな袋を荷台に積むのを手伝うために荷物に手を伸ばした。だが、その荷物は布団のようなものをたくさん詰め込んで縛って袋詰めしたものでとても重く、私の腕力では少しも持ち上がらなかった。おじさんは大丈夫だという仕草を見せ、力強く一袋めを持ち上げた。その時、近くで店の駐車場か何かの整理をやっていたスタッフがいつの間にか駆け寄っていて、残りの荷物をおじさんと一緒に手際よく積んでいったのだ。
 無言で嫌味の一言も怒りの表情もなく元の状態にしていったバイクのおじさんも、それを手伝った駐車場スタッフも、何事もなかったかのようにトラブルを瞬時に片付けてしまった。そして、片付くまでの間も周囲の運転手から苦情のひとつも入ることはなかった。
 これはあくまでも一例だ。ベトナム人だって喧嘩もするし、怒りもする。私が運が良かっただけなのかもしれない。だが、旅先で出会った人たちは、どこか余裕のある空気を醸し出していた。一人ひとりには悩みのひとつもあるだろう。だが、外国人の私から見ると、ストレスを溜め込んでいるような顔には見えなかったのだ。
 出国審査はすぐに終わった。入国審査もそうだったように、審査官は無言でパスポートと端末を睨んで少しの操作をしただけで、「早く行け」とばかりに私を通した。
 制限エリア内に入ると免税店を始めとして出発ロビーよりは店が並び、少しばかり華やいだ雰囲気となり、時間を潰せる店も少しあった。だが、私はベンチで静かに時を過ごしたくなっていた。一階の出発ゲートに下りてみるとマッサージチェアが置かれてあった。時間で料金が変わる仕組みで、一番安い20,000ドンを選んでみる。機械は動き始めてからひたすら私の肩を叩いてくれた。腰のマッサージを期待していた私は肩透かしを食らった気分だが、そんなことはどうでも良かった。誰も居ない空港の出発ゲートでマッサージチェアに肩を叩いてもらう。こんなことは滅多に味わえない非日常な空間ではないか?
 空いている空港は落ち着く。マッサージはあっさりと終了した。
 人の居ない出発ゲートのベンチに座っているのは不審者同然なので、マッサージを終えた私はそそくさと階段を上がって売店を見て回り、とりあえず水だけ買った。値札には20,000ドンとある。財布にある紙幣の枚数を減らしてベトナムを発とうと思った私は、四桁の金額の紙幣を中心に20,000ドン分を用意してレジに向かった。だが、女性店員が提示した金額は24,000ドンだった。財布の中にはまだ少しだけ細かい紙幣がある。どう組み合わせようか、なるべくくたびれた紙幣を差し出そうなどと考えていると、店員が私の手にしていた20,000ドン分の束を引き寄せてくたびれた1,000ドン札を始めとした紙幣を6,000ドン分抜いて私に渡すと、財布から10,000ドン札を引っ張り精算を完了させてしまった。
 あまりの手際の速さに、余計に抜かれていないだろうなと心配になり確認したが、さすがにそういう悪事は行われていなかった。だが、手元にくたびれた紙幣が数枚残ってしまった。
 ベトナムの人たちの我が道を往く空気と、その裏に潜む優しさに好感を持ってきたが、空港関係者の醸し出す事務的な対応にはハノイ到着後から困惑している。検査や審査に携わる人だけでなく店員もそうだ。営利団体に属する人という手応えが薄い。社会主義の国だから。それが理由なのかは私には判断はつかないまま、こうして今ベトナムから出発しようとしている。
 私が乗るエアアジアFD639便は18時10分出発だ。乗客の集合がスムーズだったからか、出発は10分早くなった。飛行機に向かう通路を歩いていると窓の向こうに夕陽が見えた。雨は上がったようだった。

   ドンムアン空港

 機内はタイ人ばかりだった。私の右は一人旅の女性で左は青年だ。青年が座っているのが通路側で、周囲に同行グループがいるらしく、シートベルト着用サインが消えると席を立って同行者たちの面倒をあれこれと見るのに忙しそうだった。
 その彼は機内食を注文した。LCCだから事前予約か機内注文をしないと国際線でも機内食は出ない。運ばれてきたのはカオマンガイのようだった。タイのチキンライスだ。食欲をそそられるいい匂いが漂ってくる。まだタイに着いていないのに、既に気分はタイである。
 10分早く出発した飛行機は10分早く到着した。19時45分、タイの首都バンコクの北郊外にあるドンムアン空港である。
 バンコクには二つの国際空港があり、このドンムアン空港はいわゆるサブ扱いの空港である。市内への鉄道アクセスについても、主役であるスワンナプーム空港はエアポートレイルリンクという都市鉄道が通じているのに対して、ドンムアン空港は旧態依然としたタイ国鉄の駅があるだけの状態が続いていた。
 だが、2021年11月に新しい鉄道が開業した。SRTダークレッドラインという鉄道である。SRTとはタイ国鉄のことで、国鉄が路線を保有し、タイ国鉄エレクトリファイドトレインという組織が運営している。路線名が単に「レッド」ではないのは、他に「ライトレッドライン」という路線があるからで、こちらも同じ運営形態である。
 そのダークレッドラインに乗って市内中心部に向かうつもりだし、その前に夕食にしたいのだが、まずはタイの通貨を手に入れる必要がある。入国審査は優しい審査官によってすぐに終わり、出口に向かうと両替店があり、そこに日本人らしき人たちが十人ほど並んでいた。隣にATMが一台あり、私はカードキャッシングでタイバーツを手に入れるつもりだから誰も並んでいないATMに向かった。
 タイのATMは日本語表記が選択できると聞いていたが、そういうボタンはない。英語でも構わないので進めていこうとカードを挿入したのだが画面が変化しない。どうしたらいいかわからず悩んでいるうちに後ろに人が来たのでキャンセルして、両替の列に並び直した。
 とりあえずここで五千円分両替しておくかと考えたが、自分の番が迫ってきた頃に考えが変わり、再び誰もいないATMの前に向かう。
 カードを挿入し、ふと気づく。動かない画面はPINコードを入力する画面では。その予想の通りだった。四桁の暗証番号を機械に備えられたテンキーで入力して確定させると画面が変わって金額を選ぶ画面となり、5,000バーツを選択した。タイには約四日間滞在する。これくらいあれば足りるだろう。ハノイのノイバイ空港でキャッシングした時はレシートを受け取るのを忘れたが、今回はしっかり手に取った。1円は0・26379バーツ。1バーツは約3・8円だった。
 タイバーツを手に入れたので食事に向かう。上の出発階にフードコートがあるような話を覚えていたので、そちらに向かう。時間が遅いので開いていない店もあったが、ガパオライスを注文できた。ガパオライスとはひき肉と目玉焼きが乗った炒めご飯で、やってきたガパオライスは結構辛く、忘れかけていた朝の辛子の感触を思い出させてくれた。実はまだうっすらと喉が痛かったのだ。
 そういう訳で辛いガパオライスだったのだが、一緒に付いてきた緑色のスープは優しい味だった。どちらも美味しくいただく。お値段は149バーツ。桁の多かったベトナムドンから今度は桁が少ないタイバーツになって、少しだけ戸惑いはある。
 さて、夕食も済んで次はホテルへの移動だ。実は今夜予約したホテルはどういう訳かチェックインが20時までとなっていて、それを見落として予約してしまった私は予約サイトのメッセージ欄を使って、飛行機の到着時間が20時くらいなので宿へは22時になることを英文で報告し、ホテル側から了解をもらっていた。飛行機は10分早着してくれて、入国審査もスムーズだったのに、両替で少し時間を費やして多少の焦りはあった。そして、ダークレッドラインの駅に関する案内表記は空港内に見当たらなかった。
 ダークレッドラインは開業してまだ一年と経っていなかった。そして、ドンムアン空港の到着階は結構広かった。立っていた係員に駅の所在を訊ねると、番号で出口を教えてくれた。だが、教えられた方向に出てもその番号の出口が確認できなかった。案内図にも載っていない。
 ドンムアン空港から市内中心部へはタクシー移動が一般的だという。タクシー用のカウンターコーナーもあり、そこで係員が順番に乗客を捌いているくらいだ。タクシーにしようかと一瞬思い立ったが、開通間もない新線鉄道に乗ってみたい気持ちは強い。外に向かう出口のそばに案内所があったので、そこに座っていたベテラン然とした女性スタッフに訊いてみることにした。今度は有益な情報を入手するために具体的に確認した方がいい。私はスマホのテキストアプリを立ち上げ、「Dark red line」と入力し、この単語に重ねて「ドンムアンステーション?」と尋ねた。
 少し考え込んだスタッフだったが、思い出したような顔を浮かべて、奥の方を指し、駅の入口となる場所の番号を口にした。更に、彼女はこう付け加えた。
「Seven eleven shop.OK?」
 セブンイレブンが目印らしい。礼を言って奥に向かう。歩く人がまばらとなった空港構内の隅にセブンイレブンがあり、そこを右に曲がると教えられた番号と、ダークレッドラインの駅があることを示す立て看板があった。
 歩く人がほとんどいない真新しい通路は二手に分かれている。立て看板のおかげで駅の方向はわかったが、こんな人の気配の薄い所に立っていると目立つ。警備員が近づいてきたので鉄道に乗るのだと説明する。彼も立て看板と同じ方向を指した。
 長い通路を渡り、着いた駅構内はとても広い空間だった。一度に何百人とやってきても捌けそうな広さである。だが、私が券売機で切符を買い、改札を抜けてホームに出るまでに出会った乗客は片手で数えられるほどの人数だった。
 今から乗る電車の終点バーンスーまでは42バーツ。切符は黒いトークンで、入場時に改札機にこれをタッチし、出場時は投入口に入れる流れである。上から電車の走行音がする。階段は二つある。どちらに上がるべきか案内板を見ている暇はない。私は前を小走りで歩く女性に続き、一緒にホームに上がることで無事にバーンスー行きに乗ることができた。時刻は21時25分。駅を探して随分と時間を費やした。探し始めてから30分以上が経過していたのだ。
 ダークレッドラインは、バンコクのバーンスー駅とパトゥムターニー県のランシット駅とを結ぶ22・6キロの路線で、船名の通りに赤いラインの入った電車は日本の日立製作所の製造によるものである。
 車内は通勤型のロングシートで、座席は赤いプラスチック製だ。車内は空いている。新線だから高架の上を走るので眺めはいいと思うが、今は夜の暗闇の車窓となっている。
 20分でバーンスー駅に着いた。ここはドンムアン駅を更に大きくした構内で、ドンムアン駅と同様にコンクリートの巨大な柱が構内に幾本も立つ、少し無機質な造りの駅だった。ダークレッドラインの高架は複々線分の用地を取ってあり、将来は並行して地上を走っている国鉄線が高架上に移行する予定だという。そして、このバーンスー駅が新たなバンコクの鉄道ターミナルとなる。それを見越して駅構内が広大なのだ。まるで空港のような広さである。
 そんな広い構内から地下に入る。これから乗るのはMRTという地下鉄で、ブルーラインという路線である。ホテルの最寄りが地下鉄駅なので、あとはここから地下鉄に乗るだけだ。安堵とともに疲労を少しだけ感じる。
 地下鉄というものは車窓を楽しむ要素がないから、どこを走っているかという実感は湧きにくいが、空港に着いてから慌ただしく動いていたので私自身がまだバンコクにやってきたという実感が薄い。聞こえてくる電車の案内放送のタイ語に新たな異国に足を踏み入れたのを感じるくらいである。頭がまだ現実に追いついていないのだろう。
 ブルーラインは数字の9のような線形をした環状線的な路線で、私は9の上のあたりから時計回りに移動しながら、バーンスーから六駅先のフアイクァン駅を目指した。運賃は31バーツ。地下鉄もトークンで乗車する流れとなっている。
 フアイクァン駅の出口から地上に出ると、そこには大きな道路が通っていた。駅の出口には歩道に接して駐車場があり、そこを通りながら北の方角に歩き、一本目の道を曲がると、周辺は下町風景に一変した。
 古びた集合住宅の一階が町工場のようになっている。屋台があり、若者がプラスチック椅子に腰かけて食事をしている。道にはセブンイレブンがあった。先ほど地下鉄の出口の前にもあった気がする。ここに入ってビールでも買うかと思ったが、それよりも先にチェックインだった。既に夜の10時を回っている。
 周辺はマンションが数棟立っていた。私の予約したホテルはそのひとつで、一階にある管理人室のような受付で予約したホテルであることを確認し、無事にチェックインを済ませた。部屋は最上階である八階で、全てが宿泊用の部屋である雰囲気ではなく、エレベーター前に広がる吹き抜けから下を見下ろせば、その光景はマンションにしか見えなかった。
 部屋に入るととても広く、ソファにガラステーブルもある。更に棚には食器まで用意され、大きな一枚窓のサッシ戸を開ければ、そこは小さなベランダとなっていた。そのマンションそのものな内装に満足した私は、ようやく初めてのタイに来た。ここはバンコクなのだという意識が頭の中で動き始めているのを感じた。

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