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碑は忘れ去られ、歴史は繰り返す

子どものころから痛みには強かった。膝を擦りむいては「あ、痛い」、指を切っては「あ、切った」と、割と冷静だったように思う。痛くないわけではなかったが、それがシグナルとして私の脳に十分な危機感を伝えなかったのだと思う。

大人になって頭痛持ちになっても、どうやら痛みの耐性レベルが高いらしい。頭が痛いからといって寝込むわけでもなく(二日酔い除く)市販の錠剤を飲んでおくと、大抵は30分かそこらでケロッとしている。我ながらお得な体質だと思う。

ところで皆さんは「エステ」と言ったら何を想像するだろうか。のんびりとベッドに横たわる(どう考えてもエステ不要の)玉肌の美女、アロマオイルで背中を優しくマッサージするこれまた美人のエステティシャン…。そんなイメージとは裏腹に、半年ぶりにエステに訪れた満身創痍の働きマンにとっては、悶絶と忍耐の試練の場なのである。

「では足先から流していきますね」と告げられ、程なくして身体の末端から近づいてくる不穏な圧力。それまで安穏と平和に暮らしていた細胞という細胞が目覚め、逃げ場もなく泣き悲鳴を上げる。
「みんな逃げろー!」
「助けてくれー!」
「お母さーん!」
叫びも虚しく揉み潰される細胞たち。特撮怪獣のごとく蹂躙する容赦のないエステティシャンの手は止まることを知らない。…日頃の不摂生とメンテナンス不足を文字通り痛感した今日この日に石碑を建てたい、とさえ思う。

某元首相が優勝力士に痛みに耐えたことを褒め称える名シーンがお茶の間を賑わせたのはいつのことだったか。帰り道の自分はまさにそんな気持ちで、トロフィーを授ける代わりに、つい先ほどまでの反省もどこへやら、スーパーでビールを買って帰ったわけだが、歴史とはこうして繰り返されるのだろう。

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