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青山文平 泳ぐ者

本作は以前出版された「半席」と言う小説の続編と言うか、同じ登場人物が主人公のものだ。 青山文平の作品は、何と言うか、人間の中の複雑なところを描いていて、毎回読み終わると「読んで良かった」と思うが、今回もそう思った。

主人公は幕府の徒目付を勤める片岡直人と言う武士だが、小説で描かれているのは、彼が事件などの真相を見つけ出す、と言う仕事をしていることだ。

事件は諸々の動機や理由などを明らかにして、取り敢えず捜査は終了する、となると思うが、この動機や理由が正確かどうかは分からないケースがあると思う。これらに関して、本当のところどうだったのかを、捜査が既に終了しているのに深く関係者の心の中に分け入って明らかにするのが、片岡直人の仕事である。特に、奇異としか思えないような異常な事件に関して、事件を起こした者が「狂った」で一旦片付けられるケースについて、丹念に「何故そうなったか」を突き詰めることで、何とも真っ当だったり、それは神は赦すかも知れない、と言う事情に行き当たるまでの捜査を続けること、その上さらに、自分で解釈を行って納得するまでやる、と言うのも描かれている。

これは、青山作品にはどれも描かれているものである。人には、棺桶まで誰にも言わずに持っていく何かは、必ずいくつかはあると思う。これらは「誰にも言わない」ではなく、「誰にも言いたくない」「知られたくない」と言う種類の事象である。でも、その中には、出来れば言いたくないが、誰かには分かってもらいたい、と言うものがあるかも知れない。そこを照射するのが徒目付の働きであり、青山作品が取り扱うものでもある。

青山作品を読んでいると、人のことをどう理解すれば良いのか?を考えさせられるものが多い。だから、毎回買ってしまう。

ところで、徒目付である幕府の役人が、なんでこんなことまでケアしてやる必要があるのかは、片岡直人の上司である、内藤雅之が以下のように述べている:

「国が民に目を配らなきゃなるめえ。放り置いていないのを示さなきゃなるめえ。飢饉の時だけのお救いだけじゃあねえよ。いざというときに助けるのは当たりめえだ。ふだんから国が見ているのが伝わることが肝なのさ。国から構ってもらっていると思うことが出来りゃあ、言われなくても民の方から国自慢をするようになる。…放っておきゃあ埋もれちまう『なぜ』を両手ですくい上げる。一人一人にとっちゃあ命よりも大事だが、世間からすりゃあどうってこともない『なぜ』にこびり付いた泥を払う。いっとうわかりにくいものをわかることができれば、『見られている感』も極まるだろう。」

これは、青山文平の作品に共通する軸だと思う。

てなわけで、これが書いてあるページに、付箋を付けて、傍線を引いておく。

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