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「継承」のムーヴメント、パンク

  もうずいぶん昔の話になる。『ミュージック・マガジン』1986年6月号はパンク10周年特集号だったが、そこに掲載されている論考は、ロンドン・パンクが、過去の音楽・思想からの断絶が最大のアイデンティティであったとする論調でまとめられていた。当時の他の音楽雑誌を見ても、等しく同じ論調の意見であったように思う。それを読んだ私はたいして感慨も持たず、ただそのまま受け入れていただけであったけれども、数年経つうちに違和感を覚えだした。違和感の根拠は、ごく卑近な例からである。
「断絶とうたっていて、何故パンクの連中は過去のロックのカバーをやるんだろう」
 当時私の周りにいたインテリ・パンク論者(?)は、私を単細胞な奴だとせせら笑った。パンクスの断絶とは、精神・思想のレベルであって、具体的・楽曲の意味での断絶ではない、と彼らは言った。しかし、そういう回答に対し、私はこう反論した。断絶ならば、そう言ったクラシック・ロックもことごとく否定し拒否しなければ断絶とは言えない。むしろ彼らパンクスの行為は、断絶ではなく、過去からの継承―厳密には批判的継承なのではないか、あんたらの解答は、それ自体がすでに破綻している、と。当時の私の内輪での論争はささやか、ちっぽけなものであり、うやむやに終わってしまったけれども、私自身はこの意見を未だに把持している。
 先の、パンク・ロッカーによる先達からのカバー。重く見るべきではないか。これが何よりも、パンクの、過去の遺産からの「継承」を強く意識した行為なのである。いやカバーする行為でいえば、パンクの前の世代、つまりビートルズらの世代による50年代のロックンロールのカバーよりも、はるかにカバーすることへの意識は強く重大であったろう。70年代半ばの時点で、すでにロックは生誕から20年を経ており、その歴史的・重層的な重み・権威を付加されてきていた。先輩の残した曲だ、いっちょやったるか、的な気楽なノリでカバーするのとは異なった、というか、それが許されない様相を、カバー曲は有していたとみるべきであろう。これまでのロックのカバー曲への素朴な、無邪気な接し方は、もはや許されない。やるなら単純な再現ではなく、批評・批判的な視座・方法論でもってしなければならない。70年代パンクの連中はカバー曲に対して多かれ少なかれこうした態度で臨んだように思う。それでこそ、自分たちのアイデンティティが発揮できる。それは断絶ではない。れっきとした継承である。厳密には批判的継承である。過去の遺産をただ無批判に、右から左に流すのではなく、自分なりに咀嚼し鋳直す。これこそが、パンクのアイデンティティだったのである。もちろん60年代の連中にもその意識はあったろうが、70年代のパンク・ロッカーはその意識をさらに強く、先鋭化させた。
 それは一気になし得られたわけではもちろんない。いくつかの、あるいは、いくつもの段階を経る。個々のアーティストの中でも、シーン全体でも、である。その格好の例が、ダムドのデビュー・シングル「ニュー・ローズ/ヘルプ」である。B面に収められた「ヘルプ」はもちろん、ビートルズの名曲である。ダムドのヴァージョンは、原曲を跡形もなく粉砕し、まるで別の曲かのように改変している。ここまでやってのけたら、お見事というしかなかろう。かのマーク・ボランも絶賛したのもうなずける。

   


    さらに注目すべきはA面の「ニュー・ローズ」である。この曲の、現在知られているイントロはラット・スケイビーズの怒涛のドラムで始まる。ところがごく初期のアレンジは、これがまんまマウンテンの69年の曲「ミシシッピー・クイーン」なのである。ダムドの公式最初のライヴを収めた音源で確認できる。


私は最初にこれを聴いた時、パンクに於ける「継承」の精神の、その精鋭化の過程を見せつけられた気がした。ダムドが最初のライヴで「ニュー・ローズ」を演奏したのが76年7月6日、ロンドン・パンク最初のシングルとしてレコーディングされたのが9月4日。この間2ヶ月である。

最初期のアレンジのままであったなら、ここまでパンクのアイコニックな曲として認知されなかったろう。いやひょっとしたらマウンテン側から盗作だと訴えられたかも・・・・いやないか。


    継承を示す例として、もう一つ、これは案外知られていないことを挙げてみよう。バズコックスのサード・アルバム『ア・ディファレント・カインド・オブ・テンション』である。現在はCD~配信が主流になっているからわかりにくいが、アナログのB面は一人の人間のアイデンティティの危機~崩壊を描いたトータル・コンセプト―セミ・トータル、と言った方が良いが―仕立てのアルバムになっていることである。この着想を、ピート・シェリーはビートルズの『アビー・ロード』B面の、あのメドレーから得たのだと語っている。[1]


このスリーブに映るメンバーのシルエットも、『アビー・ロード』からの着想では、と語った人がいるが、真相は如何に。

 「継承」は作品そのものばかりではない。方法論においても「継承」はなされてきた。999のニック・キャッシュはエネルギッシュな音を得るために、ビートルズが『サージェント』で使用した機材そのもを使用したと語っているのは、当時の最新テクノロジー礼賛主義への批判をも含意しているともいえよう。[2]
   パンクにおける「継承」は、先達のみを対象とはしない。パンクの埓内でも行なわれるようになる。80年代、ハードコア・パンクのディスチャージの専売特許的なビート、いわゆるⅮ-ビート、これはバズコックスの「ユー・ティアーズ・ミー・アップ」のビートを継承したものだと『ever fallen in love-the lost Buzzcocks tapes』では語られている。[3]

私自身は、ずいぶん長い間、認識できていないままであった。

私は、どちらも好きである。
    継承と断絶。パンクにおけるこの議論は、全くメディアをチェックしていなくなってしまっているからわからぬが、今も取り上げられているのであろうか。あるいは、もはや意味を成さぬのであろうか。



[1] Pete Shelley with Louie Shelley『ever fallen in love-the lost Buzzcocks tapes』 first published in great Britain in 2021 by Cassell ,an imprint of Octopus Publishing Group Ltd.cit,p.206.

[2] 森脇美喜夫編『DOLL』№85、1994年、28ページ、参照。

[3] Shelley /Shelley,op,cit,pp.114,266-67.