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待ち人がいない駅―ヴェルヴェット・アンダーグラウンド

   ヴェルヴェット・アンダーグラウンド―以下、ヴェルヴェッツと略―は、いまさらという気がしなくもない。私なぞがほざく必要などないほどに、このバンドの存在は今や世界中で認知されている。だからヴェルヴェッツのこのアルバムだとか、この曲は、とかをくだくだしく書き散らすことはしたくはない。あくまでも私の個人的なヴェルヴェッツの思い出を記すのみである。但し、私のその個人的な記憶を補足するため、という範囲でなら、許されるであろう。いや許されなくたってやってしまうのだが。
 ヴェルヴェッツの名ををいつ知ったのであろうか。遠藤ミチロウが編纂していた雑誌『インゴ』でだっただろうか。それとも、ブライアン・ジョーンズの評伝で知ったのか。たぶん、その両方だろう。この辺の記憶があいまいなのは毎度のことながら私の記憶力の悪さゆえである。高校に入ってからであるのは間違いない。今、上記の2冊を探したのだが出てこない。捨てられてしまったのかもしれない。何せ実家を空けていた期間、殆んど帰らなかった。いや、実家へ戻ってからも、家にはほとんどいなかった。会社で寝泊まりしていたようなものであり、その間、私の私物はいいように扱われてしまったのである。
 60年代。ミチロウ。この2つの繋がりだけで、ヴェルヴェッツは十分、興味ある対象になり、手に入れたレコードが『ホワイト・ライト・ホワイト・ヒート』であった。真っ黒なジャケット。何やらヘンテコな画像が映っているが、よくわからない。何年も経ってから、それはヘルス・エンジェルスの男の腕の写真で、それをわざと真っ黒に現像したのだと知って、何故そんなことするのかなあと不思議に思ったものである。レコードに刻まれたその歪み切ったギターの音色とささくれだった味わいに圧倒されてそれからは毎日聴きまくった。16歳の秋であったろう。考えてみたら、15~16歳で私はたくさんのバンドに出会っていたのだ。クリーム、ドアーズ、ピストルズ、ザ付きのスターリン、ツェッペリン、パープル、ヴェルヴェッツ・・・・。あの頃は出会う音楽が事ごとく刺激的で、心が毎日活性化されていくような気がしていた。糞ったれた日常を綺麗に浄化してくれる聖水の如きものと言えばいいのであろうか。
 ヴェルヴェッツのアルバムは一通り全部手に入れて聴いた。枚数が少なかった―なんせオリジナルは4枚だけであったから―が、全部集めるのにたぶん5~6年はかかったろう。他にもほしいレコードは山ほどあって、しかしフトコロは寂し、であったのである。
 たぶん、ヴェルヴェッツで最も有名なバナナのアルバムを買ったのは高校3年になってからであったのではないか。ジャケットのバナナがシールになっていて、はがせるようになっていたのだが、もったいなくてはがせなかった。最初からはがしてあったレコ―ドも中古で見つけて、そちらの方が安かったが買わなかった。やはりバナナのアレがなければつまらないではないか。
 ヴェルヴェッツの曲の魅力の1つに、ルー・リードの書く歌詞の巧みな、それでいて人間の赤裸々な感情描出があることは言うまでもないのだけれど、10代の私には、何だかドロドロしていてやばいなあと思いつつ、全体の音を楽しんでいたのが大半であって、よくわかってはいなかった。しかしその中で、やたらとその内容を意識しつつ聴いていた曲があった。学校を出てから、その曲の歌詞は一層強くフィードバックされるようになった。何故なのだろう。出会ってからほぼ40年。未だに上手く説明できない。歌詞の描写と、私の置かれていた状況はまるで違っていたにもかかわらず、曲を聴くといつも、私はその曲の世界の中に埋没し、曲の主人公と一緒に同じ空気を吸い、一緒になってイラつき、もがいている気になってしまっていた。「アイム・ウェイティング・フォー・ザ・マン」である。

待ち人がいるんだよ
26ドルある
今日はレキシントンの125番地
マジ具合ワリィ、くたばりそうだぜ
けど、あいつが来るからな

おい、白んぼ、セレブの街で何やってんだ?
おい、白んぼ、この辺の女に手え出すなよ
ワリいな、そんなつもりはねえんだよ
探してんだよマジで
俺の待ち人をさ

お、やってきたぜ、黒づくめだ
目印は靴とデカい麦わら帽子
早く来た試しがねえ、いつだって遅刻しやがる
憶えとこうな、待ち惚けになるって

ヤクを受け取るには、3階まで行かねえと
おや皆さん、俺には目もくれねえでヤクにぞっこん
奴さん、いい仕事してるぜ、サイコーのブツだ
あら、あんたソッコーぶっこんでる
よっぽど待てねえんだね

なあ、ばれるから、
あんまり騒ぐなよな
俺かい、俺ならうまくやるさ
お、効いてきたぜ、いい気分だ
こりゃ明日まで持つな、
その後は、まあそん時さ
待ち人はちゃんといるんだからさ
そろそろ帰るか。

 日本盤の添付されている歌詞はそれぞれに微妙に異なる。私が参照したのは『1969ライヴ』のものである。これが一番この曲の世界を正確に写し取っているのではないか(つまり一番正確な聴き取りなのではないか)。
 「ウェイティング・フォー・ザ・マン」はドラッグの密売人とのやりとりを活写した曲として有名だが、日本盤の訳詞を見ると、何だかよくわからない。いや、もともと原詩をそのまま読むと、よくわからないのである。これは私の語学力のなさにあるのが一番の要因だが、やはりネイティヴ―地元ニューヨーク在住の人、と言う意味で―でないと理解できない表現がちりばめられているのだろう。
 例えば、「ヤクを受け取るには~」の箇所。原詩は‟going up to a brownstone”となっている。これを単純に読むと、茶色の石まで出向くには、となるが、これではなんだかてんでわからない。ここは自分なりにイマジネーションを働かせる必要がある。で、「ブラウンストーン」の語。そういえばストーンズに「ブラウン・シュガー」って曲があることを想起したわけである。ブラウンシュガーはヘロインのスラングである。「ブラウンストーン」もヤクだなと。訳によっては金持ちとしているものがあるが、それだとよくわからなくなる。それと「奴さん、いい仕事~」の箇所。原詩は‟he’s got a good word”と記してあるが、ここは‟he got the work”と歌っているのだろうなと判断した。その方がすんなり来る。と、英語がろくにできないくせに、私は高校から大学時代、こんなことをして遊んでいたのである。遊びでやっていたわけで、これでは真の語学力など付くわけがない。
 曲の内容は本稿の直接のテーマではない。問題はこの曲を聴いていた時の、私の心的状況である。
 学校を出て就職してから、私はしょっちゅう深夜まで残業させられた。ときに早朝出勤をさせられた。全くやりがいの感じられないことばかりで、心身の疲労がたまる一方であった。
職場だけではなかった。家の中も問題が転がっていた。休息できる場はどこにもなかった。
疲労が頂点に達しようという時、夜中、もしくは早朝、退勤、もしくは出勤の途上、駅が見えてくるところで、よく脳内にこの曲が何度もリピートしたのであった。あのバナナのヴァージョン。ピアノが連打される、あのヴァージョンである。

 脳内でこの曲がリピートされる。目の前に駅の玄関が見えてくる。辺りは真っ暗だ。時にはうす暗がりだ。誰かが投げ捨てたタバコの吸い殻や空き缶が転がっている。人はほとんどいない。くたびれ切った足取りで駅に入りつつ、私はこのまま朽ち果てるのかとうんざりし、ぼやくのだ。
「早く、ずらかりたい。こんな、どうしようもない場所から。この糞ったれた場所から。待ち人来てくれないかな。いないことはわかっているんだ。けど、一時でいい。俺をここから救い出してくれる奴・・・・」
 ここでくたばるわけにはいかない。冗談じゃねえや。この憤りが、私を生かしてくれたのではなかったか。生きる原動力はひとそれぞれだと思うが、私の場合、反骨心なり怒りがそれにあたっていたとどうしても思ってしまう。
 幸か不幸か、私は曲の主人公のようにドラッグに浸ることなく済んだ。酒にも親しめずに終わった。下戸で助かった!助かったが、待ち人はとうとう現れず(当たり前だ)、私は最終的には仕事を追われることになった。皮肉なことに、職を追われるのと引き換えに、私は人生でおそらく初めて、真っ当な生活―と言えないのだろうから、それに準ずる生活―を手に入れたのだった。体はポンコツなままになってしまったが、ともかくも我が生活は破綻せずに済んだ。
 だが、今なお、「アイム・ウェイティング・フォー・ザ・マン」を聴くと、私の心はざわつく。そして、待ち人現れないかな、と思ってしまう。もちろんそんなことは無理に決まっている。出ていこうにも私に行く当てはどこにもない。今ある僅かな財産を、大事に使って残余の生を過ごすしか、最早選択肢は残されていない。それでも、いまでも私は聴く。
   あのピアノの連打。主人公の、ドラッグが切れて禁断症状で早く何とかしたいという焦燥感。それと(質・量は?)全く異なるが焦燥感という同じ感情を、あの時の私も持ちながら聴いていた。あの感覚は、いまだに私の内部にはある。たぶん、この感情が消え失せた時、私の実質的な生は終わるのだろう。この焦燥感は、私がまだ生きている―活きている―あかしだ。それを確かめるために、今日も私は「アイム・ウェイティング・フォー・ザ・マン」を聴くのである。
   下に掲げた写真は95年に出た5枚組のボックスである。今は専らこれでヴェルヴェッツを聴いている。一通り全キャリアを俯瞰できて、ヴォリュームたんまりな、文字通り美味しいボックスである。