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Pop rubbishではないー999の80年代『13TH FLOOR MADNESS』

 本稿で取り上げたいのが、前作『コンクリート』から2年7か月ぶりの1983年11月に発表された999のアルバム『13TH FLOOR MADNESS』―以下、『13TH』と略―である。稿を始めるにあたって触れておきたいのが、2022年にキャプテン・オイ!から出たCD2枚組編集盤『A PUNK ROCK ANTHOLOGY』の収録曲40曲についてである。1枚目の全曲、2枚目の序盤3曲が初期作品で占められ、2枚目の後半10曲が90年代以降の作品なのだが、80年代の作品―厳密には81年から85年までの作品―は全部で7曲。そのうち5曲が、81年の『コンクリート』期の曲であり、残り2曲は85年の『フェイス・トュ・フェイス』期―ただし、「ラスト・パワー・アンド・マネー」は85年当時未発表。CD収録ヴァージョンは同名のライヴ盤からのものかは未聴でわからず―であり、『13TH』期からは1曲も選ばれていない。90年代以降のアルバムからでさえ、各アルバムから2~4曲ずつ選ばれているというのに、である。パンク(・ロック)に限らずロックにおいては初期作品がより重用されるのは、原初的な衝動表現が尊ばれる世界なので仕方ないのかもしれないが、それにしても1曲も選ばれないのはと、私は『13TH』が気の毒になった。アルバム自体フィジカルが廃盤となり、正規の形では配信もされないまま、今や完全に忘却の彼方に追いやられてしまっている。そんな扱いのされ方に我慢がならないのである。判官贔屓?よいではないか。何度も述べているように、これはあくまでも私の独断と偏見に満ちた戯言である。気に入らない読者はどうせサッサと退席するであろう。しかし10年後、30年後、50年後、1人か2人はこの戯言に接して『13TH』をどうにか聴いてやろう、手に入れてやろうというキトクな方が現れるかもしれない。それを密かに念じつつ記すのである。
 『13TH』、確かに傑作ではない。良作でもなかろう。制作の当事者であるニック・キャッシュ自ら失敗作だと認めているくらいなのだ。だが、当事者と周囲の評価は必ずしも完璧に符合するとは限らない。『13TH』はパンクの歴史に残るアルバムではないが、聴くに耐えないほどひどくはない。単純に1枚のポップ・アルバムとして接すれば、ちゃんと聴ける作品である。というわけで、行論は私と『13TH』の出会いの場面へと移る。
 999の初期作品しか聴いたことのない人たち―おそらくパンク・ファンの大半はそうなのであろうーが『13TH』を聴いたら、10人中10人が、以下のようなコメントを残すのではなかろうか。
「これパンクかよ」
「マジ?同じバンド?」
「ダセえ、つまんね」
 いや、2年前の私の意見だと、訂正した方が良いかもしれない。そう、つい2年前に、私は初めて『13TH』を聴いたのである。『999』は21歳のとき、今から35年前に聴いていたのに、である。「変哲もなく、非凡なバンド―999」でも記したのだが、私は『999』以外のアルバムを、999以外のバンドの作品を聴く意欲を、ほぼ30年間失っていた。それが3年前から、徐々にではあるが、かつて夢中になっていたバンドのレコードなりCDなりを引っぱり出して聴き直すようになっていた。『999』もその1枚であった。『999』に改めて感動した私は、他の999のアルバムも、最初はYouTube上にアップされている音源で聴き、気に入ったら揃えられるものはフィジカルでという行為を進めていった。しかし何分にもポンコツの心身である。漱石の言葉ではないが、牛の如く、超然と、であった。『13TH』は、『999』で999との再会を果たしてから約1年後に、やはりYouTubeで聴いてみたアルバムであった。―今の世の中、廃盤のレコードやCDでもYouTubeを開けば個人のユーザーが音源をアップしているものがたくさんある。正規発売されていたものばかりではない。ブートの音源ですら、今や堂々とYouTubeにアップされているのだ。たとえば、ビートルズのブートで『LIVE AT THE WHISKY FLAT』なるマニアの間では有名なライヴ・マテリアルがあるが、あれも簡単に聴けるのである。しかもかつてよりはるかに高音質で。YouTubeで初めてこの音源を見つけた時、軽い眩暈を起こしたほどである。もう40年前になるが、新宿の輸入盤専門店で『LIVE AT THE WHISKY FLAT』が、確か4800円で売られていたのを思い出す。収録時間30分くらいしかないレコードが4800円、ブートってたけーなーと私は憤慨したものである。しかし地元の中古レコード店ではいろいろなブートのレコードから私的にダビングしたカセットを格安で販売していて、『LIVE AT THE WHISKY FLAT』もその形態で買うことが出来たのである。スクラッチノイズまみれで正規のライヴ録音より明らかに劣る音ではあったが、私は十分満足し、テープがちぎれるまで聴いたのであった・・・・。わき道に逸れてしまった。ともかくも、『13TH』も私的ユーザーがアップした音源で聴いたのであった。
「・・・・」
 あえて、先の文言を繰り返すまでもないであろう。そこには、「ノー・ピティ」のような疾走感も、「レッツ・ファイス・イット」のような煽りたてるようなギターもなかった。鬱陶しいシンセの音に、気取ったホーンや女性コーラスが幅を利かせる。ヴォーカルのとっちゃん坊やな声は変わらなかったが、まるで出がらしのお茶を飲んでいるような味気無さで、のほほんとした雰囲気が、辛うじて『999』のスリーヴと共通しているかどうか、といったところか。ではそのスリーヴのアートワークは・・・・セカンドの『セパレーツ』以来変わらぬ凡庸さ。何だかメンバー全員、どことなく窮屈そうな分、かえってより悪い出来だなあ・・・・とYouTube上に小さく映った画面を見ながら思ったものであった。『DOLL』誌上で「ソフト・ディスコ」[1]と記されていたのもうなずけた。アマゾンのリスナーによる投稿欄に、「コマーシャルなようで、芝居がかっているようであり、人を喰っているようで、スカっぽくもある・・・・60年代サイケデリック色濃厚で、それでいて80年代なキーボードもべったり貼りついていて」当時のサウンドのトレンドを、上手くとらえられなかったと評する文章が載っているが、言い得て妙である。おいおい、これじゃあ、作品へのフォローになってないじゃないかと言われそうだが、仕方ないのである。これが最初聴いた時の、正直な感想であったのだから。
 このアルバム最大の不幸はおそらく、当事者であるバンド・リーダーからも否定されてしまったことである。ニック・キャッシュは“FEELIN’ ALRIGHT WITH THE CREW:UNOFFICIAL 999 SITE”掲載のインタビュー‛Full Story by Nick Cash’の中で素っ気なくアルバムのことをこう切り捨てている。

 「ニュー・ロマンティクスがシーンを席巻し、パンクは時代遅れの産物と化した。俺たちにも迷いが出て、アルビオンから出したもう1枚のアルバム『13TH FLOOR MADNESS』(1983年)で方向転換を試みた。でも失敗だったね」[2][3]

 注意すべきことがある。彼らの試行錯誤的往反は、ここに始まったわけではない、ということである。既にニック・キャッシュは999結成前、盟友ガイ・デイズと、当時のパブ・ロック・シーンから外れた感覚の―後のパンク・ムーヴメントに対応しうる―曲を一緒に創作していたという発言を残している。[4]90年代には、時のグランジ~メロコア・ブームに拮抗する曲・音作りを意識的に行い、このときには音楽的に確たる成果を収め、パンク・シーンからリスペクトされることになる。その音楽的アプローチー眼前のシーンに対峙し、それを取り込んでいこうとする姿勢―は基本的には70年代、80年代、90年代以降と一貫しており、ニック・キャッシュと999が結成以来ほぼ50年に渡って活動を継続するための、隅の首石となったのである。[5]しかし、80年代―具体的にはエレポップ~ニュー・ロマンティクスの時代―にはその趨勢に歩を合わせ、それを咀嚼する能力が彼らには欠けていた。人間はそれを望んでもどうしてもできない得手不得手があるものである。70年代のパンク、90年代のグランジ~メロコアの時代にはそれらと自らが元々持っていた指向性の一端がうまく合致したからこそ拮抗し得たが、80年代のエレポップ~ニュー・ロマンティクスの音楽性とはうまく渡り合えなかったのである。
 999、厳密にはニック・キャッシュとガイ・デイズは本来、パブ・ロック的ロックンロール志向を持つ人間だった。それは換言すれば雑食性に富んだ音楽性であり[6]、『13TH』でも様々な音楽的素材をとり入れようとしている。ファンク~レゲエのリズムも積極的に取り入れているところはエレポップ~ニュー・ロマンティクスと共通しているのだが、ニック・キャッシュ/ガイ・デイズ本来の音楽的指向性は、エレポップ特有のエレクトロニクスを多用した人工美的な、システマチックな要素との親和性が低いのである。『13TH』でのニック・キャッシュ/ガイ・デイズは、不得手であったエレポップ~ニュー・ロマンティクスにおもねるあまり、本来なら自分たちの強みであった雑食性を、自分たちのテリトリーの中に引き入れ整理・凝縮し、自分たちの色へ鋳直すことに失敗した。さらには、音色にエレポップ~ニュー・ロマンティクス的意匠を施そうにもそのスキルに欠けていたことが災いした。[7]結果、導入しようとした音楽的素材が未整理・未消化のまま1枚のアルバムの中へ乱雑に放り出されたままとなった。先に引用したアマゾンの一般リスナーによる投稿文での、様々な要素が混在しているという意見は、アルバム最大の陥穽を、そしてニック・キャッシュ/ガイ・デイズの音楽的雑食性をも、見事に指摘している。
 おいおい、いつまでたっても貶してばっかりじゃねえか。そんな意見が聞こえてきそうだが、確かに、貶してばかりでは立つ瀬がない。どこかポジティヴなところはないであろうか。しかしだ、快感原則を最優先しようとする私である。聴いていて楽しくない作品を肯定的に評価できるわけがない。というわけで、それからさらに1年ほど、私は『13TH』を全く聴かなかった。   
 状況が変わったのは去年(2023年)の夏である。すさまじく暑かった夏である。雑用を終え、へたばり切って家に帰って伸びている時、頭の中をふと、ファンクのリズムがよぎった。
(‥‥どっかで聴いたことあったな)
 呆けた頭で記憶をたどっているうちに、ひょっとしたらと、YouTubeを開いて、“あの”配信をクリックしてみた。果たして、『13TH』であった。(・・・・悪く、ないな)
 ファンクはウダッタ心身をクールダウンさせる効用もあるのであろうか。ジェイムズ・ブラウンのごく一部の曲でしか(強いていえばあとはクラッシュの『サンディニスタ!』か。「マグニフィセント・セヴン」とか)知らなかったファンクのリズムを、私は999の、駄作とされる『13TH』で認識したのである。1年前は「ダセえ、つまんね」と切り捨てていたアルバムを、藪から棒に再発見したのである。
 それから数か月して廃盤となっていたフィジカルの『13TH』を手に入れた。CDプレイヤーで聴いていると、新たな気付きがあった。
(ベースが、鳴ってるな)
 つまらないと言うなかれ。こちとらは素人である。素人はつまらないことを言うものである。しかし、時として玄人さんには想像もつかない視点でモノを言うことだってある。
 ベースはジョン・ワトスン。999のオリジナル・メンバーである。ちなみに、現在のベーシストはラーカーズのアウトロ・ベーシックである。
(上手いよな)
 間の抜けたセリフだ。999は70年代パンクの中にあって演奏技術の高いことが売りの一つになっていたのだ。何をいまさら、なのだが、ファンク、さらにはレゲエのリズムに見事に対応していることに感じ入ったのである。我がパソコンの貧弱なスピーカーで聴き続けていたら、おそらく発見できなかったであろう。
 www.punk77.co.uk.のアドレスをご存じのパンク・ファンは多いであろう。70年代のパンク・バンドを、英米を中心としてピストルズやクラッシュといった大御所からレコード1枚出したことのない泡沫バンドまでその足跡を調べ上げたサイトである。今のところ私は999とイーターのページしか読んでいないのだが、圧巻のラインアップである。本稿はこのサイトの検証がテーマではないからこれ以上は触れないが、999のページを開くと二部に渡ってバンドのヒストリーが書かれている。そこにジョン・ワトスンが、999へ加入する前にドイツに暮らしソウル~ファンク系のバンドに所属していたと書かれているのである。簡単だが重要な記述である。999の演奏能力の高さを裏書きすると同時に、後の『13TH』が生まれる種が、すでにバンド結成時点で蒔かれていたことを示す。
 『13TH』のクレジットを見ると、ジョン・ワトスンはベースの他に“リズム・アレンジャー”と記されている。アルバム制作にあたって、彼がとりわけ重要な役割を担っていることを公的に証明するクレジットなのだが、アルバムでのベースのふくよかさは特筆に値する。聴いていて、心地よいのだ。ワトスンのベースがこれほど生き生きと鳴っているアルバムは他にないであろうと思えるほどに。これは想像だが、ワトスンはこのアルバムのレコーディングでパンク~ロックンロール・バンドとしての999に見切りをつけ、ファンク・バンドに鋳直したかったのではないか。だが、リーダーであったニック・キャッシュ、そしてガイ・デイズは当時全盛であったエレポップ~ニュー・ロマンティクスの方向に行こうとした。オーセンティックなファンク・サウンドに固執はしなかった。ファンクを導入しようとしたのはエレポップ~ニュー・ロマンティクスでもてはやされていたリズムだったからである。ワトスンとキャッシュ/デイズの間で対立が生じた。そうは見えないであろうか。加えて、ドラマーのパブロ・ラブリテンの叩きだすビートが、ワトスンがくり出すファンクを主体とした横ノリのリズム~フレーズとは異なる、簡潔な8ビート主体なのである。ラブリテンのドラムもパブ・サーキットで鍛え上げられた太く安定したものだが、ワトスンのベースとは齟齬がある。ワトスンは999のメンバーとして演奏する意欲を失っていき、バンド側はわざわざアルバムのクレジットに‟リズム・アレンジャー“と記し、彼を持ち上げようとしたのではないかとも思えてくる。もちろん、こうした私の意見には、何の史料的裏付けはないのだけれども。[8]
 おいおい、アルバムを評価しようとして、結局はネガティヴな方向に行ってしまったではないか。そんな声がまた聞こえてきそうである。仕方ないのである。『13TH』を聴くほどに、そちらの方向に行ってしまうのである。だが、ここでの試行錯誤的往反は、999のミュージシャンシップの高さの表出であり、特にジョン・ワトスンのベーシストとしての卓越した演奏能力を味わうことの出来るアルバムである。加えて今まで触れてこなかったが、ソング・ライティング・コンビとしてのニック・キャッシュ/ガイ・デイズの能力の高さも、耳を澄ませば健在であることがわかってくる。耳に残るメロディを紡ぐのが上手いのだ。確かにパンク・アルバムとして、エレポップ・アルバムとしてとらえれば、さらに他の同種の―パンクとエレポップの―アルバム群と比較すれば、首をかしげてしまいたくなるが、そんな諸々の足かせを取り払って単純に1枚の作品として接すれば、アルバムの与える風景はずいぶん変わってくる。ここで歌詞についても触れたいのだが、掲載しているサイトが見つからず、私のヒアリング能力もほぼゼロという悲しさ。こちらは今回断念し、今後の課題としておきたい。


入手したCD。上を向いているのが、ベースのジョン・ワトスン。マッチョだ・・・・。そういえば、ライヴでガラの悪い客に対して、力づくで鎮めてしまったらしい。恐ろしや。


こまごまとクレジットが記してあるところが、当時のバンドのこだわり、あるいは自信のなさか。



西ドイツ・プレスのようである。

アルバム・タイトル・ナンバー。シングル用の別ミックスで、こちらの方が、もっと凝った音作り。個人的にはアルバム・ヴァージョンの方が好きだが、その1曲だけの音源が見つからなかった。全曲を貼り付けるのはさすがにくどいであろうから、やめておいた。

 アルバムが世に出たのは83年11月。イギリスでは他の主だった70年代パンク勢は殆んど解散しているか、音楽性を変えてしまっていた状態である。クラッシュは新体制で活動を開始しようとし、ダムドはキャプテン・センシブルがソロで売れていて翌年にダムドを脱退、元バズコックスのピート・シェリーはソロ曲「テレホン・オペレーター」がヒット、カルチャー・クラブが人気絶頂、・・・・そんな時期である。私はといえば、高校1年生の15歳。999もパンクもまだ知らず、『ジョンの魂』を貪るように聴いていて、もうすぐドアーズにのめり込む、・・・・そんな時期である。
 999の『13TH』はプレスからもファンからも酷評されてチャートにも入らず、バンドは所属していたレコード・レーベル兼マネージメント会社からも離脱。90年代に『ユー・アス・イット!』で復活するまでまだまだ長い不調の時代である。ところがパブ・ロック出身者はしぶといというか、この後も999は地道に活動を続けていくのだが、それは『フェイス・トュ・フェイス』に持ち込まれることになる。



[1] 森脇美喜夫編『DOLL』、№85、(株)DOLL、1994年、69ページ、参照。
[2] ‛Full Story by Nick Cash’ on“FEELIN’ ALRIGHT WITH THE CREW:UNOFFICIAL 999 SITE”
[3] ここで興味深いのが、この当時勃興していた80年代ハードコア・パンクへの視点を欠いていることである。ハードコアが持つ過度な暴力性、時に偏狭な政治的イデオロギー、メロディを排除する傾向を嫌ったのであろうか。同じ時期、積極的にハードコアをとり入れコンスタントにアルバムを発表していったラモーンズとは対照的であったとはいえないであろうか。
[4] Ibld.
[5] ただし、80年代ハードコア・パンクへの視点を欠いていることは、注3で記した。
[6] ニック・キャッシュは自らエディ・コクランやジーン・ヴィンセントが好きだったと度々語っているが、他に好きなミュージシャンとして、キンクス、イギー・ポップ、リチャード・ヘル、バディ・ホリー、ブッカーT&ザ・MGズ、ジョニー・キャッシュ、ジョニー・サンダース、グレゴリー・アイザックス、ムタバルーカ、リー・ドーシー、サム・アンド・ザ・シャム・アンド・ザ・ファラオズなどを挙げている(‛999’s Nick Cash-My Compilation’ on “With Guitars,September”10,2010.)。50年代ロックンロールに60年代ソウル、レゲエにカントリー、ニューヨーク・パンクと、見事なまでに雑食である。
[7] 裏スリーヴに、わざわざ“Music Director”というクレジットをデヴィッド・ローズ―テレビ・ドラマ『大草原の小さな家』の音楽を担当した人らしい―に与えているのも、アルバムの音作りがバンド自身で成し得られなかったことを証明しているといえるであろう。
[8] 一方で、ワトスンは自らバンドのマネージャー役を行なうつもりであったらしい。ところが、そのマネージメントが上手くいかず、バンド脱退につながったとニック・キャッシュが語ったインタビューがある(‘Interview with Nick Cash of 999’ on “Boston Groupie News” ,April 12,2003.)。