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ザ・ダムド、という名の屋号

   ダムド。このバンドも、今ではずいぶんメジャーになった。2015年だったか、ドキュメンタリー映画も公開されて、いやはや時代はつくづく変わったものだと当時感慨にふけったものだ。いやピストルズやクラッシュに比べたらマイナーだよって言われれば、私はこう答えるだろう。
「80年代に比べりゃ、月とスッポンだよ」
 本当にそうだったのだ。80年代のダムドなんて、へ?何それってな扱いであった。大体パンク自体が頭空っぽな、暴力大好き、ツンツン・ヘアーにスタッズの付いた革ジャン着た野郎どものやる音楽だっていう考えに皆が凝り固まっていて―今もそうだという向きもあるだろうが、当時はもっとそうだった―、その中でふわふわの着ぐるみにベレー帽のキャプテン・センシブルにドラキュラ俳優なデイヴ・ヴァニアンのいでたちなんてパンクの規範(?)から完全に外れていた。いや、その存在自体、私の周囲には知られていなかったのだ。私自身、その音を最初に聴いたのは、19歳になる直前。それ以来、聴いていなかった時期も長かったが、かれこれ30数年つき合っている。これほど飽きずに聴いていられ、しかも複数の作品が好きなバンドは数えるくらいしかない。私の中では貴重な存在である。
 今、好きな作品と書いたが、ダムドの全ての作品が好きなわけではない。どうみてもつまらんというしかないアルバムもある・・・・いやむしろ、数からいえばそういうアルバムの方が多いかもしれぬ。ここ最近はそうでもなくなったが、彼らの場合作品ごとに音楽性がころころ変わって大いに戸惑わせるところがあった。これはメンバー・チェンジがやたらと多かったのも関係しているのであろう。このつかみどころのなさがイイと言う人もいるが、私がダムドを好きな理由は別のところにある。
 ダムドを聴き始めの頃は、なんでこんないい加減(?)な連中の音楽が好きなのか、自分でも判らなかった。『ストロベリーズ』~『ファンタスマゴリア』への、エレクトリック・シアトリカル・ポップな音へ移行した時期なんて、正直聴く気になれなかったし―今では結構この時期も好きである―、90年代半ばのキャプテン抜きの作品も、中途半端な60年代サイケ・ポップの焼き直しな感じがしてⅭⅮを買ったはいいけれど、2,3回聴いただけで棚にしまいっ放しにしてしまったりした。それでも新作が出ると買ってしまっていたのは、「連中が、自分たちが楽しめることをやって」いて、それを眺めるのが好きだからなのだな、と気付いたからである。
 自分たちの快感原則に、これほど忠実に活動しているバンドも、そうはいないだろう。余りに忠実すぎるからこそ、メンバー・チェンジも絶えなかったのではなかろうか。換言するなら、ダムドは、好きなことを自由に集まって行う屋号なのだ。又は遊び場なのだ。なんか楽しそうだ、いっちょ参加してやれってな感じでダムドに入って好き勝手にやって、気に入らなくなったらさっさと辞めて、時にはメンバー誰もいなくなって、ご無沙汰だから久しぶりにやっか、そんな調子で50年近くもやってきたのだろう。彼らにはパンクの理念とか信条とか、そんな堅苦しい精神はみじんもないのだ。てめえが楽しければよい。そうでないならおさらばさ。そんな精神性に、私はずっと共感を抱いてきたのだ。羨望と言ってもよい。だからこそ、30数年もつき合ってこれたのだ。
 昨年、現行ダムドと並行して、オリジナル・メンバーが集結してライヴを行ない、大いに楽しませてくれたが、こんなこと、他のバンドではまずやらないだろう(バズコックスが10年ほど前、やはりオリジナル・メンバーが集まったが、あれは一夜だけのイベントで、ダムドとは性格が異なる。バズコックスの場合、完全なファンへのサーヴィスであったわけで、メンバーの純粋な動機ではない、というのが私の意見である)。やはりダムドは屋号―遊び場―なのだ。ダムドという名の元、いろんな奴が好き勝手に集まっては出ていき、好き勝手にやっている。それを、周りのギャラリーも気軽に楽しんでいる。これでよいのだ。これこそが、ダムドがダムドたりうる所以なのである。もちろん、これで肝心の音楽がサッカリン漬けの甘ちゃんポップならそれこそさよならだが―まあ、先ほども述べたように、駄作も散見されるけれど―、例のケーキぶっつけの奴とか、『アビー・ロード』のフザケ・オマージュとかの、あの問答無用ナンバーの数々があるから、許せてしまうのだ。それにこの春出た新作も、期待していなかったわりによい出来で(失礼)、やはり連中とは縁が切れそうにない。
 ダムドは好きな時に集まって、好き放題する屋号。これに気付いたことで、私自身、音楽の聴き方を、いや、モノの見方を再考することになった。やりたくないことを、無理にやらなくたって良い。やらなくたって世界が破滅するわけではないし、だいいち自分が楽しくないなんて本末転倒だ。相手が無理に押しつけるなら逃げればよい。それで生活の資を稼いでいるなら仕方ないかもしれぬが、そうでないなら放り出せばよい。いや、そうであっても逃げてよい。逃げるのはちっとも恥かしいことではない。でも相手にも押し付けるな。ダムドはそれを身をもって教えてくれているのである。