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ノー・プロブレム

「くそったれ・・・・!」
 インド到着早々にぼったくられ、私のアタマはバースト状態になっていた。インド人には気を付けろと本にさんざ書かれてあり、十分気を付けているつもりであったけれど、甘かった。甘かったのだけれど、この時はただただ憤るしかできなかった。
「お気の毒だ。しかし初めてのインドだろう?仕方ないさ。経験を積むしかないのだよ」
 紳士は慰めてくれたが、悔しくってどうしようもなかった。
「君。行先はどちらかね?」紳士は話題を変えた。
「・・・・バナーラスです・・・・」私は熱したアタマのまま、辛うじて答えた。
「おお。私はヒンドゥーだが、私たちは皆、憧れる所だ。いい所を選んだよ」
 私は、ヒンディー語の講義があるためにバナーラスを選んだのだとは言えなかった。
 もう夕刻になったころであったろうか、遠くの方から、何やら念仏みたいな声が聞こえてきた。だんだん大きくなる。ついには私たちのいる車内に、その声の主がやってきた。
男が私の前で立ち止まる。紳士が小銭を投げる。男はそれを拾って、又歌いだし、去っていく。
「ああいう風に、歌を到って日銭を稼ぐ奴。汽車には常にいるのだよ」
紳士は遠くに置いてきた恋人を歌ったヒンディー語の歌だと説明してくれたが、私にはちっとも内容が理解できなかった。
すっかり日が暮れて、窓外には星が瞬く。星座の事はまるで無知な私は、「なんだか、コンペイトウみたいだ」と呆けたことを思いながら、星を眺めていた。ここでまたもや注釈を加えておくが、私の乗っていた車の窓には鉄格子がくっついていた。窓ガラスはなかった。つまりエアコン車ではなかった。本当はエアコン車に乗りたかったのだけれども、はなからその車が付いた列車ではなかったのである。ただ、走ると風が入ってくるので、その時は存外涼しい。鉄格子の意味は簡単である。ないと外からにゅっと手が出てきてパクられるからであるということ、外から無賃乗車されるのを防ぐためである。これは紳士が教えてくれたのである。電車の写真撮影はしなかった。ガイド本で禁止行為だとされていたからであるが、紳士からも「やめてオケヨ」と忠告された。当時の―今もか―きな臭い政治状況からして当然というべきか。ここで紳士が
「旅はゆったりとすることだよ。テイク・イット・スローリー」と言う。私がキリキリしていたから戒めのつもりで言ったのだろう。
 さすがに疲れがたまってきたようだ。ウトウトした時、突然列車が急ブレーキで止まった。体が前につんのめって、思わずコケそうになる。寝ぼけた眼をこすりつつ、なんだと前後を見渡すと、外でどやどや騒いでいる。紳士が外に向かって大声で話しかけている。外から紳士に向かって大声で怒鳴り返す奴がいる。暗くてよくわからない。
「事故だよ。牛と列車がぶつかったんだね」
「う、うしいー?」
 ご存じだろうが、牛はインドでは聖なる動物である。殺したりイジメたりするのは宗教上禁忌とされる。インド人は牛に関しては君子危うきに近寄らずの態度を取る。つまり牛が何をしようとおとなしくしている。牛の方もその辺は心得ていて、我が物顔でふるまう。インド中そこら辺にノラ牛がいて糞尿をまき散らし、マーケットでは売っている食い物を食い散らかす。マーケットで働いている人は忌々し気に「シッシ」と手で押しのけたりするが、牛は懲りずにその場をノソノソしている。ご丁寧に涎まで垂らしているうえに、ハエまで体の周りを飛び交っている。その様はどう見たって神聖なる動物ではない。一度バナーラスのマーケットで、屋台を牛がひっくり返して周囲が騒然としていたのを見たが、人間どもは牛を罵りこそすれ、決して手を出そうとはしなかった。情けねえなあと思ったものだが、よく考えてみたら、日本でだって似たような光景はある。例えば会社での飲み会だ。本人は酒が嫌いだし、気に食わん会社の奴等と少しでも一緒にいるのは嫌だから欠席しようとすると、「つき合い悪ぃ奴」と白い目で見られ、強制参加となってしまう。法律上は参加しなくたって問題にならないのに、そこではまるでヒトデナシの如く扱われる。日本の会社の事とインドの数千年にわたる宗教的問題とを一緒にするなって?大塚史学という概念装置を通してみたら、どっちも根は同じだろう。つまり、経済外的強制ってやつだ。さて、今回の牛君は、どうやら線路を渡ろうとしたらしい。そこを列車が通りかかったのである。
「クラクションを鳴らしたところで、牛はどかないよ。自分に危害が及ぶなんてこれっぽっちも考えていないからね。まさに王様さ。けどひき殺されたら王様も何もない」そう言って紳士はにやにやしている。
「あの牛は、業者が引き取って売りさばくだろう。屠殺の手間が省けたと大喜びしながらね」私はびっくりして紳士を見た。
「驚くことじゃないさ。インド人でも、牛肉を食う奴はいるよ。だから牛をさばく奴がいても不思議じゃなかろう」
 確かに、インドには様々な宗教があって、牛を食う者もいることは知ってはいたが、いざズバリと言われるとは思ってもみなかったから、驚いたのである。
「けど、私は食わんけどな」紳士はまたもにやにやしている。
 列車はずっと止まったままである。走らないもんだから、風が中に入ってこなくて、余計暑くなる。「あちい」と言いつつ、首に手を当てると皮がよじれる。垢だ。風呂に入っていないもんだから垢が出てきたのである。「きたねえよな・・・・」我ながらうんざりする。だだっ広い草原の中、列車はぽけーっとふんずまっている。前の方では人の声がわちゃわちゃしているが、一向に発車する気配がない。
「これは当分出発しないだろうな」荷物を枕に、紳士はごろんと横になってしまった。私はため息をついた。
「気にしないさ」紳士はそう言うと、目をつむってしまった。
(おいおい。このおっさん。何らかの仕事はしているんだろうに。予定の時間に着かなかったらさぞひんしゅくだろう。いや、おっさんのことはどうだっていい。俺の方が問題だ。このままずっと閉じ込められてはたまらん)
 ニューデリーからバナーラスまで800キロはある。東京から広島までの距離に相当する。新幹線でも4~5時間はかかるだろう。ましてやインドの列車はどう見ても40~50年は使ってそうな車両だ。新幹線のように時速250キロってわけにはいかない。鉄格子には赤さびがわいている。その付け根には埃に泥がくっついている。ハエが1匹、ぶ~んと飛んできて、私の鼻をくすぐる。ちょこざいな、失せやがれと手で払いのけた。節約とばかり、車内は真っ暗となっている。草原には人の声と重機の音が入り混じる。どうやら列車の修理をしているのか、交換をしているのだろう。見てこようかと思ったが、荷物が邪魔だ。置いていくわけにはいかない。仕方ないのでそのままじっとしていることにした。このまま呆けているのも時間がもったいない。しかし本を読みたくてもあたりが暗くて活字なんか見えやしない。いらいらが募るうちに、座ったまま、どうやら寝てしまったようだ。
 ガタンゴトン・・・・。
 はっと目を覚ますと、もう朝だ。窓の外の景色は勢いよく流れている。列車は昨日のペナルティを取り戻さんばかりのスピードで突っ走る、といったところで、取り戻せやしないのだが、ともかくも無事に走っているのは確かなようだ。
「グッド、モーニング」紳士は私に声をかけてきた。
「さっき車掌に聞いたら、あと2時間くらいでバナーラスらしい。私は次の駅で降りるよ」
 結局、ほぼ24時間列車に閉じ込めらることになったわけである。
「ノー・プロブレムだ。楽しみたまえよ。これだって楽しみに変えるさ」駅に到着すると、紳士は握手し、
「I‘m interesting!」と言い残して去っていった。
(興味深い?面白い?まあそうだろうな。こんな赤まみれの無精ひげのジャーパニ—・ヒッピーは、ここじゃマイノリティだろうからな)
 一等車は、やはり静かである。私は再び一人になった。途端に、昨日のぼったくられの記憶がよみがえって来て、アタマの底が熱くなった。
(くそったれ!今度こそ、ぼったくられてなるものか!舐められっぱなしでは男がすたる)さて、息巻いては見たものの、リキシャの相場がいまだにわからぬ。何をもって安いかぼったくりか、判断がつかないのが困った。私はインドの地図とアシムル先生の住所を見やりながら、ひとしきりうーんとうなったが、
(まあいい。まずは先生の家に行ってみよう。そうすればどうにかならあ)とまとめてしまった。まさしく能天気である。だが大胆でもある。今や失われてしまった能天気さであり大胆さである。
 さて、列車が駅に着く。予想した通り、リキシャの運転手どもがどっとやってくる。この野郎、今度こそ騙されねえぞ、と手ぐすね引いていると、耳元でがなる奴がいてびっくりして振り返った。そこにはやせこけたジイさんがいて乗れ乗れと喚いている。すると隣では若い奴が、てめえあっち行け、こいつは俺の客だとおそらく吠えているんだろう、しきりにジイさんを押しのけようとする。爺さんは若いのに向かって早口でまくし立てる。今度は別の方向から、お兄さんこっちどうぞと言ってくるのもいる。まあうるさいったらない。アタマがくらくらしてくる。まずは一息つきたい。親父たちのバトルから抜け出そうとすると、金魚の糞にように皆付いてきて、乗れ乗れとしつこい。勘弁してくれよと思いつつ、ふと目の止まった売店でチャーイに菓子のようなものを売っている。こいつはいい。腹も減っている。視線を売店に無理やり移すと、ん?なんだこれ。形のいびつなドーナツみたいなヤツが山盛りにしておいてある。
「パコーラ」と店のあんちゃんが言うので買ってみた。中身は玉ねぎとかいろいろな野菜を揚げたものでなかなか旨い。チャーイとこれで1ルピーもしない。お得だ。私が立ちんぼしたままのろのろパクついていると、リキシャの親父たちはこりゃだめだと散り散りに去っていく。いい気味だ。ところが一人だけ、ずっと立ち止まっている奴がいる。最初に声をかけてきたジジイだ。卑しい目つきで私を睨んでいる。なんだか蛇みたいな目だ。私の食っているパコーラが欲しいのかもしれんが、知ったことではないと、全部食ってしまった。チャーイも飲み干し、素焼きのコップを地面に叩き落す。この素焼きはなかなかにエコでいいアイデアだと思う。いずれは素焼きの破片は地面に帰るからである。インドの道は大部分は当時舗装されていなかったからである。食い終わって改めてそのジジイに
「さて、この住所知ってるか」と、アシムル先生の住所の書いたメモを渡した。ジジイはじろっとそれを見て
「アッチャー、乗れ」と言う
「そんで、いくらだよ」
 いくら払っていいかわからないので、まず聞いてみることにした。
「○○だ」こっちは基準が判らないので、ともかく1/3下げてやろうと思った。理由は簡単である。昨日は3倍とられたからだ。
「高い。〇〇」
「ナー」
 ジジイめ、拒否しやがった。あくまでも自分の金額で押すつもりと見える。こっちも負けてはいられない。
「ならいい。別をあたるよ」
「ナー」
「なーなんて知るかよ」
 実に不生産的な問答だ。近代資本主義的効率化を優先するなら、こんなリキシャの「料金システム」は即刻社会から追放せしめるべきところだ。どれくらいの応酬があったろう。ようやっとジイさんは「アッチャ」と飲んだ。
(あほみてえだ。一体何分時間をロスした?これがなければ下手すりゃ、もう着いてたかもしれんぞ)私の心のボヤキなど爺さんはわかってはいなかったろう。私を乗っけてリキシャは走り出した。それものろのろと。
 バナーラスでは、オートもあるにはあるが、手動のリキシャが圧倒的に多い。他に乗り合いバスも走っているが、バスにはみっちり人が詰まっている。出入り口にまであふれんばかりである。そんなに詰め込んで事故らないかと、他人事ながら心配になる。心配と言えば、今、私を乗せているリキシャのジジイだ。大丈夫か?ってなくらい、ジイさんはふうふう言いながらリキシャをこいでいく。その背中は汗と埃でどす黒く光っている。まるで靴墨を塗りつけたみたいだ。さすがに気の毒に思えてくる。さっきジイさんが言った金額にしとけばよかったか・・・・。
(いやいやいやいや!)甘い同情は禁物だ。日本にいた時だってそうだったじゃないか。ガキの頃から何度それで痛い目に合ったか。
 リキシャは、走り出してから、あっちこっち裏道を入ったり出たり、行ったり来たりする。何だか怪しいぞ。どうも堂々巡りしているんじゃないか。そう思っているところ、ジジイはいきなり止まり、こっちを向いて「×××」とわめきだした。どうやら行き先が判らぬとぬかしているらしい。
「おいこら。なにをほざく。わかったとさっきは言ったじゃねえか」
「×××・・・・」ジジイは早口なヒンディー語―多分ヒンディー語だったろう―でまくしたてるから、殆んどわかりやしない。これではらちが明かない。日本でのヘタレなモード全開になったらすごすごカネを渡してお引き取り願うところだが、幸か不幸か昨日のバーストモードを色濃く引きづっていた私は、このまま引き下がれるかと目を吊り上げてにらんでやった。
「×××・・・・」相も変わらず、ジジイは早口でまくし立てるだけで、一向に仕事をしようとしない。くそが!さてどうするか。
「まてよ・・・・」アシムル先生は元バナーラス・ヒンドゥー大学に奉職していたはずだ。バナーラス・ヒンドゥー大学は地図で見ると恐ろしくデカい大学だ。あそこだったらこの腑抜けジジイでも行けるだろう。あそこには門番がいるだろう。そいつに先生の家を訪ねたらうまく計らってくれるんじゃねえか?
「おい。おまえ、バナーラス・ヒンドゥー大学知ってるか?」
ジジイは一瞬きょとんとしたが、「アー」と頷いた。
「よし、そこへ行ってくれ」
 ジジイは黙ってこぎ出した。すると、あっという間に正門が見えてきた。
(あんだよ。えれえ近いじゃねえの)
 そこは、たしかにどでかい大学である。東京大学もでかいところで有名だが、バナーラス・ヒンドゥー大学もとてつもなくでかい。
「いやいやいや立派だねえ。おい、そこで待ってろよ」リュックを担いで降りると、門番の所に近づいて、恥はかき捨てブロークン・イングリッシュでアシムル先生の住所を訪ねた。門番は面食らった顔をしていたが、
「おまえ、アシムルさんとどういう関係だ?」と聞く。おいらは悲しい日本人、悲しいボキャブラリーだからごく簡単に
「スカラー」と答えておいた。門番の男はリキシャの運転手に近づいて、ごにょごにょ喋っている。リキシャの方もごにょごにょ喋っている。やがて門番は
「アッチャー。×××」と言い、指さした。リキシャに乗れと言うことらしい。言う通りに乗ると、リキシャは元来たところを走り出した。今度はすらすらと小道を入っていく。そして一軒の家の前に止まった。
「・・・・ここ?」
 古色蒼然とした、それでいてこれまたでかい家だ。門から玄関と思しきところまで何メートルあるのよってくらい道が続いているのが見える。敷地内には大小何本も木が植わっている。家は平屋のようだが、どう見ても我がウサギ小屋の家のン倍の広さがある。
「イット・イズ・ザ・ハイ・ソサエティ」思わず漏れてしまった科白だ。
「ハー」そこへ、ぬっと手を付きだすジジイがいる。運賃の請求だ。
「○○」
「なぬ!」ジジイはさっき交渉した10倍の金額を言ってきやがった。
「どういうわけだ。約束と違うぞ」
「×××」どうやら、さんざん走って多大な時間と労力を費やしたから、これだけ払ってくれないと困ると言っているらしい。ここに到って私の導火線に火が付いた。大体だ、私は生涯の大半を東京武蔵野で過ごしてきたのだ。つまり江戸っ子である。江戸っ子は気が短い。短いという事は導火線が短いに決まっている。短いことを想定しないで私の相手をした、このジジイに落ち度があったのだ。もう一つ、このジジイは大罪を犯した。最初の約束を破ったことだ。なに?インド人は信用できないだって?インドだろうが日本だろうが知ったことか。約束を守れない人間関係は即刻憎しみと戦争の中に叩き落されるであろうと、ホッブスだって言っているのだ。疑うなら『リヴァイアサン』を読むがいい。
 私とジジイが喚き合っているところに、何事かと家の奥から誰かが出てきた。サリーを着ているから、女性だろう。門を開け、一歩外へ出るとぴしゃりと
「×××」とまあ、これまた早口でまくし立てる。ジジイは今度は、このご婦人にまくし立てる。ご婦人は私を見やって、
「×××」と何か言っている。こっちがきょとんとしていると、今度は英語で
「スカラー?」と聞いてくる。反射的に頷くと、ご婦人は改めてすさまじい勢いでジジイにまくし立てた。
おや、家の中から、もう一人、誰か出てきた。今度は男だ。白のクルタ―を着た、白髪の、背の高い人物である。白髪とご婦人はちょこちょこっと言葉を交わすと、この二人はペアでジジイに攻撃を開始した。
(すげえ・・・・)ハードコア・パンクのディスチャージのヴォーカルだけを抜き出し、それをダブルトラッキングかつ、ヒンディー語化したというべきか。あっけに取られているうちに白髪は私に向かい、
「○○、払いたまえ」とのたまった。
「へ・・・・」それは、私とジジイとの間に交わした額の、1/4くらいの額である。いいのだろうかと思いつつ、下手にクレームをつけると面倒なので言われた通りに支払うと、ジジイはむっとしたまま去っていった。
「君か。ナマステ」
 白髪の人物こそ、アシムル先生その人なのであった。そしてその隣にいるご婦人はアシムル先生の長男の奥方である。
「・・・・ぷっ・・・!」奥方は私のナリを見やると噴出した。
「こら、はしたない。およしなさい」アシムル先生がたしなめると
「ソーリー、バット・・・・ぷっ!」やはり吹き出してしまう。
当然である。デカい登山用のリュックに垢じみた風体、無精ひげまで生やし、どう見たってヒッピーである。スカラー~研究者、もしくは研修生~とは程遠い。
(俺、だせえのね・・・・)
 インドでの日々は、こうしてヘタレなスタートを切ったのである。