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水没すると散々煽られた江戸川区民の避難はいかに平穏に空振りに終わったか

日本各地に大きな被害を残した台風19号。SNSで散々沈没するぞとネタのように騒がれたハザード地帯江戸川区は幸いにもほぼ無傷でこの台風を凌ぐことができた。
だが、避難勧告が出た江戸川区の我が家は、その日近所の小学校に避難する決断をした。取り越し苦労で終わったと言えばそれまでだけど、何を考え避難所はどのような場所だったのか、今後何らかの参考になればと思い記録を残すことにした。

なぜ避難したの?

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主な理由として母が精神的な障害を抱えていて、いざという時にパニックを起こして動けなくなるのが怖かったから。いざ、避難警報が出ました、水が溢れてきました、母がパニックを起こして逃げようとしない。それが一番嫌だった。一階が水没して恐怖に怯える母と救助を待つなんてまっぴらごめん。正常性バイアス、避難して何もなければそれでよし、と繰り返し念じていた。

避難勧告自体は昼前から出ていた。新中川と荒川の間の住民は避難しろという勧告がスマホに届き、いよいよ小学校の頃から教わってきた海抜ゼロメートル地帯の恐怖を身を持って感じはじめていた。区の広報車が何事かを言い出し、判断に迷っていた15:00頃、近所の人が避難準備をはじめ、母がどうしよう、行かなくていいのかなと言い出したので、連れ出せるなら今のタイミングかと思い、避難を決めた。決断めいたものではなくその時の流れに身を任せたというのが正しい。

慌てて避難グッズを集めたのでゴアテックスのパーカーの上にリュックを2つ前後に背負い、左手に水2ℓ×2、右手に傘という、フルアーマーのガンダムかという有様だった。

避難場所の様子はどうだった?

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フルアーマーのガンダムは強風で傘を破壊されながら母校の小学校に避難した。下駄箱のある入り口に受付が設置され、住所と名前を書いて土足のまま校内に上がった。すでにかなりの数の人は避難していて、大抵の教室には人がいる様子だった。各教室にテレビがあり、そこでNHKのニュースを放映していた。

どの教室にしようかと思ったが、2階の図書室に居を構えた。本があれば退屈しない。ある意味、最近見かける本屋で一晩過ごすイベントみたいなものだ。本さえあれば何でもできる。本は最高、図書室最高。

とりあえず1階で配っていた毛布を貰い、パンツをスウェットに履き替え、校内を探索することにした。卒業以来の母校。自分の図体が変わったので目線が変わり、ほとんど記憶と重なり合わなかったけど、図工室や家庭科室の位置などは昔と同じだった。

他の教室を見るとテントを貼ってる人がいた。公園の広場かよ、と思ったけど、日本の避難所はプライバシー確保で遅れている、みたいなツイートを思うとある意味正しいとは言える。まあ是非は問うまい。

3階に上がると濡れた毛布のような、獣のような匂いがした。匂いのもとを探すとペットを連れてきている家族がいた。確か受付でやんわりと断られていた気がしたが、なし崩しに入ったんだろうか。これもまあ是非は問うまい。

図書室に戻り、おもむろに本を見繕い時間潰しをはじめた。とはいえこんな状況だと、文字を読んでもなかなか頭に入ってこない。こんな時、図鑑はおすすめ。写真と解説の配分が抜群で眺めているだけでうまく気が紛れる。日本の草木と鉱石の図鑑を選んだ。図鑑はエンターテイメントだ、と謎の名言を思いついた。

1時間のルーティーン。図書室にテレビがないので他の教室ニュースを見に行き、そのまま校内を散歩で20分、図書室に戻ってネットのチェックで15分くらい。読書かぼーっとするので25分。なかなか時間が進まない。アプリゲーをやっている人がいたけど電池の消耗が怖くないのか。まあ電気は使えたのでまだ神経質になることもなかったのだけど。

図書室の中は、土建屋らしきおっさんがずっと話しててうるさいとか、赤ん坊の鳴き声とかあったが精神を危機管理モードにして、あまり心を反応させないようにした。目の前に座っている人は途中から折り紙の本を読みだし、ずっと折り紙をしていた。この人も神経質で、折り紙が気を紛らわせる手段だったのかもしれない。

7時ごろに配給があり、クラッカーをもらった。母は緊張からか突然食欲が湧き出し、異常に買い込んでいたパンの袋からバターロールを取り出して6個も食べた。
自分も適当にパンを食べ、風が強くなり出した8時ごろ、玄関にいって校庭の様子を見に行った。校庭を眺めていると探検隊の子供たちがやってきた。

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いつ帰ったの?

夜の11時頃。9時頃に区の人からアナウンスがあり、12時頃には雨が止むと思いますが、ダムの放流があるので荒川の水が溢れる可能性があります、というものだった。

雨雲レーダーの予測通り10時ごろには台風が東京を抜けた。二瀬ダムの放流の情報がツイッターに流れ、その状況を見てからかな、と思ったが周りの人はだんだんと帰りはじめていた。

それから1時間してYahooの河川情報を見ると荒川のうちに最も近いあたりの水位が上がっていなかった。これは大丈夫かな、と思い帰ろうかと思ったが、母が暗いから嫌だなどと言い出した。だが、ブレーカーを落としていたので冷蔵庫の中身が心配だった。すでに日常は戻ってきていた。

母を説得して家に帰り、テレビをつけて土曜のFGOやらSAOやらあしゅみー先輩やら桐須先生などの夜アニメを見ていたら、今日一日なんだったんだろうと言う気がしてきた。結局二瀬ダムは放流をしなかったそうだ。

思ったこと。

非常用持ち出しグッズは事前に用意しておくべきだったとか月並みなことくらいだろうか。こういう時アウトドアが趣味だと実利をかねて便利かも。早速こういう装備で避難しました、というアウトドアガチ勢による避難装備置き画エントリが出ていたけど、よっしゃSNS映え!とワンチャンを狙って避難する方が避難せずに万一の自体を迎えるよりよっぽどマシというものである。終わってみればグランピングとかゆるキャン△をしたくらいの気分だった。正常性バイアスガーとかいう前にもっとカジュアルに気楽に避難するつもりでもよかったのだよ。

結局今回は本番ではあったけど空振りというか何とも言えない感じに終わったのだけど、実際に避難をしたという実績解除をしたのはよかったのではないかと思う。これでトロフィー獲得だ。なお、台風2日前に私が注文した非常用電源は避難の翌日に届いた。なかなかうまくいかないものである。


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