ビジネスホテルに前泊し、ドトールでのんびりとした朝を過ごしてから母の退院に立ち会ったが、ここから過酷な一週間が始まった。

車椅子に乗って出てきた母は、自分が誰なのか認識していない様子だった。

病院からの事前の説明では骨折した大腿骨をつなげる手術は無事終わり、自力で立ち上がり、トイレにも一人で通っているとのことだったが、そのような力があるようにはとても感じられなかった。

もともと躁鬱なので入院して落ち込み気味であることはわかっていたし、リハビリにもあまり積極的ではないとは聞いていた。だが見守り程度の介助があれば問題ないと病院は言っていたのでもっと軽度の具合だと考えていた。

だが向精神薬でぼんやりしているんだろうかと訝しみながら、支えつつタクシーに載せたが、車中でもうわ言のような事しか言わず、やはりこれはどう考えてもおかしいとケアマネージャーに連絡をした。

家について居間に倒れ込むように寝込んだ母を見て、ケアマネージャーは、これは見守りどころか全介助が必要だといった。自力でトイレに行けるはずの母にはオムツが履かされていた。

ケアマネージャーが急いで介護用ベッドと車椅子を手配してくれ、居間の秩序を破壊するようにベッドがカーペットの上に置かれた。自分は通院していた精神科や入院可能な精神科に片っ端から電話をかけ、すぐに入院できないか問い合わせた。身体的な問題よりも明らかに薬が効きすぎて前後不覚になっているようだったので、服薬調整が必要だと思われた。

入院した整形外科は服薬させた向精神薬が母に与えている影響についてどう判断したのだろうか。かかりつけの精神科と連絡を取っていたはずだが、明らかに様子のおかしい母を専門外だからと見過ごし、重大な問題を起こす前に適当な事を言って、放り出したということなのだろうか。

ときに悪態をつきながら交渉し、なんとかかかりつけの精神科に金曜日に入院できることが決まったのが23日の午後。トイレにはつきっきりで毎回のように自分がオムツを替え、汚した服やシーツを何度も洗濯し、ケアマネが持ってきてくれた栄養補助飲料を飲ませたり、薬をくれと何度も催促する母をあしらった。目を離しているうちに立ち上がろうとして転倒することも3度あった。病院につれていくまでの5日間、本当に気を張り続けた。夜も階下から母が自分を呼ぶ声が聞こえてくるようでなかなか寝付けず、居間は崩壊し、テーブルの上で食事をとるスペースもなくなってしまった。母が薬で寝込む間に近所のパン屋のイートインスペースや公園で慌てて食事をとるしかなかった。

そんな中でも急遽手配してもらったヘルパーさんが一日30分介護を助けてくれたのは助かった。彼らはこういう事を毎日のように繰り返しているのだと思うと、改めて尊敬の念しか無い。

なんとか入院させた金曜日。帰宅する気力もないままビジネスホテルに飛び込んだ。つい先日、前泊した時には、当分こんなきままにビジネスホテルに泊まれることもないだろうな、なんて思っていたが、まさかこんなすぐに、疲弊しきった体を休めるためにビジネスホテル泊するとは思わなかった。とにかく洗濯も掃除も気にせずに休める空間に入りたかった。介護で崩壊した我が家に戻るのは、せめてこの日だけは避けたかった。

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ホテルのベッドに倒れ込んでいると、職場のマネージャーからメールが入り、月曜には出社できそうだからスケジュールの相談をさせてくれと送ったら、私はテレワークだから先輩社員に聞いてくださいとそっけなく返されたのにキレて、家庭の事情で介護を抱えこんだ社員のスケジュール調整は一体誰の仕事だとメールを返し、また怒りで疲れてしまった。ビビりながら私の仕事です、疲れていたら休んで大丈夫ですとメールが帰ってきたが、めんどくさいので月曜日に休む旨のメールを当日の朝に送ってやろうと思った。

定期的に人生が詰みそうになるハードな出来事というのが起こるのだが、今回の母親の全介護5日間はさすがに厳しかった。ここからさらに2週間連続出勤なんてできるわけがない。

とりあえず入院期間は3ヶ月と設定されている。母がどの程度の状態で帰ってくるかわからないが、場合によっては施設にいれるしかないだろう。今回より多少マシ、という程度の要介護状態ならとても仕事なんてできない。

崩壊した居間に鎮座する介護用ベッドは明日回収にくるそうだ。かつてあった家庭の秩序のようなものが戻る日はくるのだろうか。

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