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三島有紀子監督インタビュー(official)

――本作が生まれた経緯を教えて下さい。
 
緊急事態宣言下で2020年5月にクランクイン予定だった撮影が延期になり、やがて中止になってしまいました。そういったなかで自分が立っている場所の断層がズレている感覚に見舞われたんです。いま私が立っているのかもわからないし、どの世界に生きているかもわからない。さまよっているような感覚で、少しでも違う場所で毎日を過ごしたいと思い、自宅のベランダにテーブルを置いて仕事を出来る空間を作りました。ちょうど自分の誕生日(4月22日)、眠れずにベランダで過ごしていたのですが、朝4時くらいに女の人の泣き声が聞こえてきたんです。
 
私の体感としては10分くらいでしょうか。それを聴いているうちに、すごくつらい思いをしているこの世界の一個人の泣き声ではなく、ここに生きている人たちみんな、或いは自分、さらには地球の泣き声なのではないかと感じ始めました。そのときふと、私が今までしてきたことは誰かの感情に客観的に寄り添うことだったのではないかと気づいたんです。NHK時代に作っていたドキュメンタリーはまさにそうでしたし、劇映画でも現場では役者さんではなく役名で呼ぶようにしていて、その人の肉体に生まれる感情を大切に撮ってきました。そういった経緯で「自分が知っている周囲の人はいまどんな思いで暮らしているのか」と考えて、ワークショップなどで出会った役者のみなさんに「こういう記録を残そうと思っているんだけど、いま何を感じていますか」とリモートで声をかけたのが始まりです。
 
――役者陣の反応はいかがでしたか?
 
皆さんたくさんお話をしてくださって、その中で「もうちょっと深く話を聞いてみたい」という方たちと「じゃあどういうところを撮っていこうか」と詰めていきました。たとえば舞台挨拶がなくなってしまった大高洋子さんのパートは最初固定カメラで夫婦が映っていたのですが、夫から見た妻の視点のほうが良いんじゃないかと提案したり、方向性や視点を決める役割を私が担いました。
 
「対象に撮影を任せる」「演出を提案する」という意味ではこれまで撮ってきたドキュメンタリーと全く異なる部分はありますが、こちらからシチュエーションを投げかけてリアクションを撮るという意味では同じです。だからこそ、どういうものが出てくるかは未知数でしたね。主婦も担う田川恵美子さんが部屋で踊りながら叫ぶシーンなどは、完全に予想外でした。
 
――各々機材も異なるため、編集は大変だったのではないでしょうか。
 
山口改くんは自分で映画も撮るから性能のいいカメラとマイクを使っていますが、みんな大体iPhoneでした。とはいえiPhoneにも色々バージョンがありますからね。どう揃えていくかは悩みましたが、撮影部の今井孝博さんと相談して下手に整えてしまうよりそれぞれが置かれた現実をそのまま見せていく形を選びました。
 
編集はトータルで1ヶ月半くらいはかかりましたね。今回はまず木谷瑞さんと個々人のパートの編集をして、そのあとに加藤ひとみさんと「どう並べていくのか」と全体の編集を行っていきました。たとえば医療従事者のお父さんがいる役者のパートは、木谷さんと「お父さんの留守電に語りかける声をベースに編集しよう」と話して、加藤さんと話しながらこのパートを最後に持ってきたという形です。
 
――本作はいまお話しいただいた「生活の記録」と「泣き声を聞いた各々の反応」という2つのパートで構成されています。泣き声を担当された松本まりかさんについても教えて下さい。
 
この泣き声をやってもらうとしたら松本さんしかいないだろう、きっと彼女だったらこの趣旨を理解してくれるはずと思いお願いしました。「誰かの声ではなくみんなの声で、そこには様々な感情があるはず。単に悲しいだけではなく悔しい人もいるだろうし、肉親を亡くした人や仕事がなくなった人、会いたい人に会えない人、政府のやり方に対する怒りを持っている人……そうした多様な感情がプロセスの中で見えてきてほしい。そして、最後にはこの泣き声が地球の泣き声に聞こえて欲しい。その泣き声を聞いたときにみんなから何が生まれるかを引き出したい」というお話をしましたね。
 
それを聞いた松本さんが「寝転びながらやっていいですか」と提案してくれて、地面に這いつくばりながら慟哭に近い悲しみや怒り、誰かが横にいてくれた時の泣き方までの長いプロセスを見事にやって下さいました。カットをかけた後も松本さんが戻ってこられず、背中をさすった覚えがあります。
 
それを踏まえて、役者陣には「この泣き声を聞いたときの反応を基本的には一発撮りでお願いします」と伝えて、撮ってもらいました。
 
――改めて、2020年4月のコロナ初期段階でもう映画づくりに動いた三島監督のアクションの早さが驚きです。
 
何か崇高な目的があったというわけではなく、自分の弱さゆえだと思います。コロナ禍というなんだかよくわからないものに差し掛かって、それを得体のしれないままにした方が恐怖じゃないですか。実態は未だにわからないけど我々人間に何が起こっているのかはわかるから、それを知っておきたいという気持ちでした。
 
言葉は悪いのですが、映画のなかでも映し出されているような、例えば「チーズを作って頑張って毎日楽しもう」という姿って、どこか滑稽な姿だと思います。でもあの頃、私たちの多くは滑稽でしたよね。その弱さや滑稽さも含めて愛おしく、人間の全部を見ていたいという感覚でした。あと、背中を押された作品でいうとジャ・ジャンクー監督の短編映画『来訪』があります。
 
――コロナをテーマにした作品ですね。ちょうど2020年の4月に発表されました。
 
その中で、映画制作の打ち合わせをする男性2人が、裸の肉体がぶつかり合う映像を観るシーンがありますよね。「撮っておかないと忘れ去られてしまうのだ」というような感覚にもなりましたし、撮らねばならないという気持ちにしてくれました。今、出来ることはなにか、そう考えたときに行きついたのが本作の方法でした。腹をくくるという気持ち含めて、コロナ後の映画づくりが変わったように思います。
 
――「文化芸術は不要不急である」という主張に対する反発も、当時は強くありました。
 
誤解を恐れずいうと私は「絶対に不要不急じゃない」と言い切れます。というのも、神戸の震災(阪神淡路大震災)を取材した経験からです。最初は当然、寝るところ・食べるもの・排泄するところがまず必要になります。でもその次に必要になるのは、文化芸術なんですよね。人生を破壊されたと思っている人々にとって、気分を明るくしてくれる落語や映画、演劇に小説に音楽――そういったものがないと本当に生きていけないということを目の当たりにしました。生きることは楽しむことなんだと肉体に気づかせてくれる、心の命綱みたいなものなんですよね。文化芸術に触れた瞬間、避難所にいる皆さんの表情が目に見えて変わりましたから。
 
――『東京組曲2020』は、5月13日に公開されます。奇しくもその週初め5月8日「感染症法上の位置づけが「5類」に移行、入場時の検温等、感染対策は事業者の自主的な判断が基本」となりますね。
 
結局真相は藪の中で、より「コロナって何だったんだろう」と思う気持ちが強まってしまうかもしれませんが、コロナが登場して世界がどう動いて人間がどう右往左往したのか、そこに一つの幕が下りるように思います。
 
短編『よろこびのうた』『IMPERIAL大阪堂島出入橋』含めて今作3本において、「コロナを描きたい」というよりもコロナによって生まれた「人間って何だろう」という一部が少しでも見えたらいいなという想いで作りました。自分にとって人間研究の意味合いが大きいです。その考え自体は原作ものであろうがオリジナル作品であろうが変わっていなくて、どんな作品でも「自分自身がこの期間に考えていること」を入れ込もうとしてきました。そういった意味では、本作も人生のある一定期間の思考を描いた表現かと思います。
 
――出演者も観客も、皆が当事者であるという意味で特殊な作品になりましたね。
 
本当にそうですよね。観に来てくださる方全員と話したいくらいの気持ちです。
 
「会いたい」「触りたい」といった、あのときに強烈に感じた欲求がいまはもうほぼできるようになっていますよね。でもじゃあ、今、我々は意識的にそれができているのか。そのことを問い直すと言ったら偉そうですが、ちょっと心に留めてもらえたらと思います。
 
(聞き手:SYO)

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