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『東京組曲2020』深堀り企画 vol.7

【山口改さんインタビュー】
=誰一人いなくなったあの頃の町々の情景を撮っておいて良かったと思う= 

三島有紀子監督の企画に賛同し、一緒に本作をつくった出演者の皆様たちのインタビューによる『東京組曲2020』深掘り企画。第7回目は、山口改さんです。

―― 本作の企画へ参加したきっかけについて教えてください。 

何も出来なかったり、してはいけないみたいな風潮の中で、記録としてまた作品として昇華させようとする気概に刺激を受けて、ぜひ参加したいなと思いました。僕も何かしたいなっていう気持ちもありましたしね。 

―― 三島監督とはどのような対話を重ねて撮影に臨まれたのでしょうか?

 まず、ステイホームのなかでどういうふうに生活してるのかをお話ししました。ちょうどその頃に母からマスクが届いたことを三島監督にお話ししたら、監督より「そのお話も入れてください」とのことだったので取り入れました。
ただ、ステイホームの最初の頃、生活面ではあまり影響を受けていなかったんですよ。普通に仕事へ行ってます、ともお話しました。 

―― 周囲は外出もままならなかった状態でしたが、山口さんの日常生活としてはあんまり変わらなかったんですね? 

なんだか周りだけが変わっていましたね。当時、高円寺に住んでいたので中央線に乗って仕事へ通っていたんですが、乗車した車輛に僕一人だった時があったんです。僕の仕事は夜勤でしたので、外出時間が夜の22時頃という少し遅い時間帯ということもあり、本当に誰もいなくて。心底、驚いてしまいました。車両を移動して確認してみたりして、「わ、やっばり誰もいない。中央線が俺のために動いてる!!」といった感覚になりました(笑)。劇中に使用していただいたペットボトルが転がっている無人の電車の映像ですが、あれは「今だ!」と思って撮ったんです。あの時も誰もいなかったですね。 

―― 山口さんは撮影としてもクレジットされていらっしゃいますが、どのような経緯でしたか? 

もちろん、自分自身を撮影するということで企画に参加したのですが、情景も撮っておきたくなったんです。映像を提出したあとで監督に判断してもらえばいいことなので、一応撮っておこうかなという感じでした。中央線の電車内もそうですが、なかなか見れない光景でしたしね。
冒頭の渋谷や新宿などの町の風景や東京駅の光景は、この企画をお声がけいただく前より、もともと撮影していたんです。誰もいない東京というのは撮っておかないといけないという気持ちがありました。誰もいないから密になりようもないし、普通であればどの時間帯にも人がいる町なのに今はいない、というのがとにかくすごい!と思って。誰もいないのにネオンが煌々とついている町もあり、電気の意味が全くない(笑)。恐らく、この先、生きてるうちにはない、二度とないかもしれない状況ですから。撮影した情景映像を「こういうのもあります」と三島監督にお送りしところ、使っていただいたんです。

―― 映画をご覧になった皆さん、あの光景をみて当時を思い返している方も多いですよね。東京駅があんなふうに無人になるなんて、まるでCGで人を消したかのようで不思議でした。とても貴重な映像だと思います。映像も綺麗でした。 

情景を撮影した時は一眼レフのカメラで撮影したのですが、監督とも相談し、自分自身の撮影の時はスマホで撮影しました。 

―― 実際にお母様からマスクが届いたエピソードを元に撮影したシーンは、とても温かくて、いいシーンだなと思いました。お母様との仲が良いんだなぁ、と。 

母は洋裁が好きなようで、いらない服とか自分で何か新しく生まれ変わらせたりしてますね。マスクも母親のワンピースで、完全に見たことある柄だなぁ、と(笑)。
ただ映画を観てくださったいろんな方が「仲がいいね」と言って下さるので、ちょっと気恥ずかしくなりましたね。 

―― 会えないということが前提の世の中で、帰りたくても帰れないという気持ちから、離れて住んでいて久々に声を聞いた時に、いつも以上に優しい気持ちになったのかもしれませんね。逆に、深夜の東京駅にポツンといる姿は寂しそうな印象でした。 

世間と遮断されていたような時分でしたし、とにかく自分なりに生きていくしかないという開き直りがあったんです。
ただ時が経って、客観的にこの映画を観た時に、なかなか寂しい暮らしをしていたなぁ・・・と感じました。あの頃はそんなふうに思っていなかったんですけどね。世界中のみんなが同じ状況だから、ある意味怖くないというか、自分だけだったらちょっと辛いですけど、皆も大変だもんなぁと思っていました。 

―― 他の方のシーンを見て何か思うところはありましたか? 

映画の冒頭に「みんなどうしてるんだろう」とテロップが流れますが、僕も同じことを思っていました。僕の場合は、生活が苦しいということはあまりなかったのでまだ良かったんですけど、友人と連絡を取った時に、「ちょっと状況的にまずい」みたいなことを聞いてました。なので、他の皆さんがどういうふうに過ごしてるんだろうと思っていたんです。なので映画を観たときに驚きました。あの頃こんな感じだったんだな・・・と。
最初に三島監督とお話したときに、「映画が不要不急と言われたことをどう思ってる?」というようなことを聞かれて「押さえつけられている現実のなか、誰が悪いわけじゃないんですけど、また何だかわからないけど、僕は腹立ってます」みたいな話しをしたんです。三島監督は、どうやって生きていくんだよというような苛立ちなどを全て受け入れてくれて、「やるせなさみたいな想いを映像にしようよ」と。変に作りこんだりはしていない分、新しいし、参加して楽しかったですね。
完成したらどういう映像になるんだろう?とずっと思っていました。こんな普通で大丈夫だったのか、いや自分にとっては普通だけど、他の人からは奇妙な生活にみえるのかも? でもそれは他の人の映像を観たときに僕自身もそう思うかもしれない・・・。でも、結果、いろんな視点があって、すごく面白い作品になったんじゃないかと思いました。 

―― 三島監督からの「明け方(朝4時)に女の泣き声がどこからか聞こえてくる」シチュエーション。その泣き声を聞いた時、どのように感じましたか? 

ちょっと怖かったんですよ。聞いた時に少し固まってしまいました。何があったかはわからないですけど、何かが起こっているっていう怖さというか、身近な何かが失われたような怖さがあって、鳥肌が立ちましたね。聞いていて、だんだんと落ち込んできました。
撮影した場所は東京駅だったんですが、明け方4時頃の空が明るくなり始めるぐらいで、家へ帰るのに実際に電車を待っているところでした。人一人誰もいない、あんなに大きな道路があるのに、車もほぼ通っていませんでしたね。 

―― コロナ期間を経て、自分自身で「変わったな」と思うことはありますか?
逆に、コロナとか関係なく、「これはずっと変わらずにいたい」と思うことはありますか? 

変わったというか、この映画を通じて、やれない状況なんてないなと、より強く思うようになりました。今この瞬間から、始められることはたくさんあるんだ、と。
僕は、あの頃、世の中的に叩かれるかもしれない状況下で町々を撮りに行ってましたが、今では“いいもの”を撮っておいたと思いますし、変に世間に振り回されないで、独自の目線を持っていないと駄目なんだということ、それは変わらずに持ち続けたいと思います。 

―― 今後、チャレンジしてみたいことについて、お伺いできますか? 短編映画が映画祭で評価されましたよね。次回作も考えていらっしゃいますか? 

そうですね。長編を撮りたいなぁと思っています。今はまだ本を書いている途中なので、撮れたらいいなぐらいの感じです。 

―― 映画を観てくださる方々に向けて、メッセージをお願いします。 

当時を振り返るのは辛いと感じる方もいらっしゃると思いますが、今振り返るからこそ、自分自身で見えてくるものがあったり、皆さん自身が乗り越えたものが何だったのかが分かるのではないかと思います。恐らく、100%教科書に載るような日々を生きた当事者として、僕たちは一つ強くなれたような気がします。そして、みんな大変だったなと語り合える瞬間が、今、やっときたんじゃないでしょうか。確実に胸に響くものがある映画です。ぜひご覧ください。 


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