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合評会にて

所属している同人誌の合評会があった。能登地震や日航機の衝突事件など元日から立て続けに大きな事件、災害が起き、不穏な空気が漂うなか大阪へ向かう。

この同人誌は一年に一回の発行なので合評会も一回だけ。zoomの方が1人、欠席1人。見学者1人。出席者は6人だった。

1時から始まって欠席者の作品を後回しにしたのに借りている会議室を返す5時ギリギリまで続いた。終わってぐったり。合評は時々荒れることもある。学校の時だったら作者が怒っちゃう。

「自分はそういうつもりで書いてないから!」
「これは全部本当のことなんだから!」

みたいなのが多いかな。
どこが問題かというと、これ、どっちも自分の筆力不足を棚に上げているのだ。自分の書きたかったことが充分でないから読者に伝わらない。たとえ真実だったとしても嘘っぽい。小説なんだからぶっちゃけ真実かどうかというのはどうでもいいのである。全部嘘でも全く問題はない。ただ真実らしく書けているかどうか。これに尽きるのである。

今回の合評ではこれはなかった。というのも皆さんかなりの書き手で、表現力、描写力は申し分ない方ばかり。書いてきた年数も長い。だから怒ったりする人は全くいなかった。ただ時々違うことで白熱した。たとえば評論で取り上げられた作家についての思い、当時の社会的背景など。これは知らないことも多く勉強にはなったが思いのほか時間が取られた。

終わったらもう外は真っ暗でこの日は二次会やりましょう!みたいな盛り上がりもなく、解散になった。

で、後日、この日欠席なさった方がグループLINEで作品への感想と自分の作品に対する私たちが送った感想へのレスポンスがあった。そこでちょっと「うわ」と思った。

その方は今、闘病中で作品も癌患者が集まるリトリートのような場所を舞台にしているものだった。感情描写がとてもリアルで「病気でない人」に対する感情吐露などはとてもフィクションとして受け止められなかった。それで感想にも「ここに共感できます」ということはわたしには言えない、というふうに書いた。そこに対して

「わたしが病気だから、ということをふまえた感想になっていて、わたしが聞きたいのは作品の感想なんですよ」

というのが返ってきたのてある。

あーーーー

と思った。
確かにそうだ。「小説」なんだから。ノンフィクションじゃないんだから。

なんか頭を殴られたような衝撃。
落ち込んだ。
すごく失礼だったなと。

それで謝ったけれど、うーん、もしかしたら傷つけてしまったかな、と思った。リアルすぎるとやはり作者の顔がチラチラしてしまうのは事実だ。それに重い病気ともなると、とてもストレートな感想は書けなくて(それは作品が悪いという意味ではない)言葉を選んでしまう。でもそういうちょっと腰のひけた感想というのは作者にもわかってしまう。気を遣ってるんだなとわかるといい気はしないと思う。

難しい。

純粋に作品として作品だけを評価することの難しさ。そして相手を傷つけないようにと選んだ言葉で相手が傷ついてしまう難しさ。

今の大学でも実習があって事前注意の中で言われたのは深い傷を負っている人は敏感で心が研ぎ澄まされている。少しでもいい加減な気持ちでいるとすぐに見抜かれるから、と。ある意味そういう方々は人間を見る目ができているのである。

今回の合評は貴重な体験だった。

あ、わたしの作品は最後の最後だったので割と皆さん端折っての感想で助かった。一生懸命書いたけれど、書いても書いても自分でもダメだなあ駄作だなあと思う作品だったのでボロクソに言われるのを覚悟して行ったのだ。この作品以後は公募用に一作書いただけで筆は止まっているわたし。今年は少しでも良い作品を書けるといいのだけれど……

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