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【ネタバレ】Undertale 感想

SPOILER ALERT! 

以下の文章はゲーム『Undertale』のクリティカルなネタバレを含むため、あなたがこのゲームをクリアしていないのであれば読むべきではない。(そしてこのゲームは良いゲームなので、あなたがこのゲームをクリアしていないのであれば、どこかでネタバレを喰らう前にプレイすることをオススメする)


SPOILER ALERT!   













Undertaleをクリアした。素晴らしいゲームであり、おれのベストゲームリストにも迷いなく入り、そしてサントラまで購入してしまった。
それを前提として、おれはこのゲームの狙いが未だにわからないということを書く。わからないということをそのままわからないと書くだけなので考察や仮説の類ではない。

要するにGenocideルートの話で、あの存在をどう受け止めるか?ということでこのゲ—ム自体の捉え方が変わってくる。

おれはNeutral(不殺)→Neutral(殺戮)→True Pacifist→Genocideというクリア順だったが、これはそう捻くれたものでもないはずだ。というよりも、素直にプレイしていればこれかこれに近いものになるはずだろう。(N→Pに直行はあるだろう)

おれがこのゲームに感じる悪意というか違和感は、Genocideルートが単なるバッドエンドではなくゲームの本質に迫るルートであり、かつ不可逆であるという二点だ。(おまえや俺は直接セーブファイルを削除したかもしれないが、それは本質的ではない)

True Pacifist をクリアした段階でプレイヤーはフラウィの忠告を聞き、このゲームから立ち去るのが最適解という結論に一見なるが、果たしてその選択は現実的だろうか?というよりも冒頭の看板からして、プレイヤーがGenocide ルートを進むことは予定調和の内側だ。また、First humanとの邂逅やSans戦、フラウィとの対話の存在も考えれば、Genocideをプレイしないという選択肢は製作者自身がおそらく望んでいない。

そしてタチが悪いことにGenocideは一周目からプレイ可能だが、Genocide→True Pacifistはゲームシナリオ的には明確に許されないということになる。というよりもGenocide以降のPacifistはある種素のGenocide以上のバッドエンドだ。(先にGenocideをやっておいて、最後にTrue Pacifistでキレイに締めようと思っていたやつには率直に同情する)

しかしながら、あれだけ作り込まれたルートと結末の存在を仄めかされながら、その誘惑に勝てるゲームプレイヤーはそうそういないだろうし、ほとんどのプレイヤーはSansをぶち殺したはずだ。(Sansが強すぎて勝てなかったから動画でエンディングだけ見るような腰抜けは今俺は相手にしていない)

そうすると大半のプレイヤーはGenocideまたは、Genocide→True Pacifistでゲームを終えることとなり、この胸糞悪い気分でUndertaleから離脱することになるわけだ。
※更に情け容赦無いことに、Genocideを自分でプレイするのは怖いけど、動画やWikiで中身だけは知っておきたいという腰抜けの中の腰抜けもキッチリ殺しに来るのがこのゲームの恐ろしい所だ

となると、結局このゲームは露悪的な悪趣味なゲームと捉えられなくもないが、それにしてはTrue Pacifist、ひいてはゲームそのものの完成度が高すぎるのがますますおれを悩ませる。(こうしたメタ的な構造かつ露悪的なゲーム自体はそれなりにあるが、Undertaleとそれらを分けるのはそこだ)

もちろん、True Pacifistが素晴らしければ素晴らしいほどGenocideの後味の悪さは引き立つわけであり、製作者もそれを承知でやっているのはわかるが、とはいえあのTrue Pacifistは嫌がらせの前フリだけで到達できるクオリティでもない。

だから俺は煩悶している。
Undertaleのベストなプレイ体験は一体なんだろうか?おそらく答えのある問いではないが、あなたがたの考えを教えてくれたら幸いだ。

(2018/3/16 追記)
ずっと考えていて、自分なりの答えにたどり着いた。

上でも感想を書いたように、Gルートがまず確実に最後になり、そして最悪の終わり方でゲームを離れる構造には違和感があったんだけど今わかった。全プレイヤーに対して同じ体験を与えようとしてないんだ、このゲーム。

つまり、このゲームはわざわざ好き好んでGルートをプレイするような人間(自分でプレイせずにwikiで調べたり、最後の敵に勝てないから動画で見るような腰抜けも含めて)に対しては『考察しがいのある地獄』に叩き落とす悪趣味で邪悪で悪辣な悪意の存在が明白だ。

その一方で、ネットなんか見ずにこのゲームとピュアに出会い向き合うような少年(いるはずだ、おれは信じたい)や、Gの存在を知りつつも自分を律しきった真の勇者にはそのまま『パーフェクトな大団円』が与えられるわけだ。

このゲームの選択肢の不可逆性は最近のAAAタイトルの倫理的選択肢でよくある『結局セーブ&ロードで両方確かめる問題』へのカウンターだし、俺がさっき述べたこのゲームの意図に気づかなかったのも、AAAタイトルの延長線上で考えていたからだ。

基本的に、ゲームの中で『製作者の意図に気づかない』ってのはプレイヤーにとっては恥だし、作り手にとっては負けなんですよ。例えばアンチャーテッドで大爆発シーンを見逃したり、スカイリムでウィンターホールド大学の存在スルーしたら、プレイヤーは不注意でコンテンツを楽しみ損ねたあほだし、製作者は導線設計を失敗したことになる訳ですよ。

ただ、アンダテの場合は『気づくべきでない要素には気づくべきでない』という裏ルールがあり、その為に必要なのは上で挙げたようなピュアさとか心の強さとかで、それは確かに能力の欠落や不注意ではなく、美徳による純潔の結果であり、Pルートの大団円で報いられるべきでしょう。

で、じゃあ攻略wikiやら見て隅から隅まで舐め尽くそうとしてるキモ・ゲーム・オタクにとってはどうかというと、そんな連中にはGが相応しいし、実はそれこそがそうしたプレイヤーにとっては本当に喜ばれるんですよね。キモ・ゲーム・オタクなんてシンプルな大団円よりもあれこれやいのやいの学級会できる超展開の方が好みなんだから。(オタク、巧妙に練り上げられた大団円を提供されても2秒で飽きて他の餌に飛び移るけど、なんかよくわからないバッドエンドを与えられると半永久的に真剣10代しゃべり場を繰り返した挙句関連商品やリメイクや続編やリブートに永久に金を落とし続けるのでマジでチョロいという偏見がある。)

なるほど確かにゲーム内情報でたどり着けるのは基本的にPまでだし、そういうことか。腹落ちした。(自力でGにたどり着くようなサイコ野郎は当然Gエンドでよい)

このゲームの上手いところとして、『あの幸せなエンディングの裏ではこんな鬱展開が!』とか、『あの感動的なキャラには鬱設定が!』とかのありきたりなやり方じゃないのがいいですね。Pルート、あなたが自分で壊さない限りは完全に完璧な裏も表もない正史ですからね。Gの展開は隠されているものでもなんでもなく、自分が作りあげたもの。 その意味で不可逆性も必須なんですよね。いやー、上手いな。

(追記おわり)


あとは普通に個別シーンの感想を箇条書きで書く。

・冒頭、いささか退屈な遺跡の謎解きを終えた俺は、トリエル戦のBGMで一発でヤられてしまった。その後、トリエル殺害後のロードでのやり直しをフラウィに見透かされていた時点で、このゲームの数寄に斬られた。

・パピルスとのデートはこのゲームで一番好きなシーンの一つだ。

・オニオンさん何だったの?

・ガスター関連の考察は勝手にやってくれ。

・概ね素晴らしいゲームだが、複数周回を前提としているにも関わらず繰り返しが退屈なイベントは気になった(特にメタトン関連と冒頭の謎解き)

・ニューホーム到達後、『Undertale』が流れる中での世界の種明かしは演出が上手すぎる。50時間のゲームのラストでやるようなエモをこの短さで達成しているのは驚異的の一言だ。

・おれは公式日本語訳で初めてプレイしたが、この訳にはほとんど違和感がない。(非公式で先にプレイしたという先入観だけで、例えば言い回しや一人称など感覚一つの箇所にケチをつけるような人間は恥を知るべきだ)。ただ、アズラエル戦(本当に素晴らしい!)の「SAVE」「ふっかつ」については原語での展開の良さをより活かす術がなかったかという感覚はある。(非公式のそれが最適解というわけでも「ふっかつ」がよくないという訳でもない)

・音楽が素晴らしすぎたのでサントラを買ってしまった。特にデートラストと、アズラエル戦、トリエル戦、アズゴア戦、言わずもがなのメタトン戦が好きだ。(あとテミー)サントラは素晴らしいが(あれで1500円だと!?)、1ループで次曲に流れてしまい短いのが悲しい

・Genocideルート、エンカウント率の低さと難易度の高さで、プレイヤーの罪悪感を悪意にシフトさせていくアイデアの巧みさが凄い。俺が何回サンズ戦をリトライしたかは聞かないでくれ。



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